<絵葉書「昭和三年特別大演習記念 統監部」(出版元不明、凸版印刷株式会社)>
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
以前、〝やはりあの陸軍特別大演習のようだ〟において、昭和3年の「陸軍特別大演習」の絵葉書を二葉紹介したことがあるが、その絵葉書を入手した盛岡材木町の古物商へ、この11月5日にまた立ち寄ったところ、今度もまたその時の絵葉書「昭和三年特別大演習記念 統監部」を新たに一葉入手出来た。それが上掲の絵葉書である。そこには、「大本営」(岩手県公会堂)の写真や、鈴木参謀長、赤井第二師団長、眞崎第八師団長等の写真も載っている。
さてそこで思ったことは、今でもこのような絵葉書が存在しているということは、当時は相当数の絵葉書が出回っていたであろうということである。おのずから、かなりの数の人々が昭和3年の10月に岩手県で華々しく大々的に「大演習」が執り行われたということを知っていたであろうことも導かれる。
だからこそ、賢治が澤里武治宛昭和3年9月23日付書簡(243)の中ので、
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
<『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)259pからより>
と書いておっても、賢治も武治もこの「演習」が何を指すのこということは共通の認識があったと言えるのではなかろうか。
そして一方で、『新校本年譜』が昭和3年9月23日の項に
演習(*45)が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
とあり、〝*45〟の註釈として
盛岡の工兵隊がきて架橋演習などをしていた。
<『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜篇』(筑摩書房)より>
としているのは、誤解を恐れずにはっきり言わせてもらえば、
『新校本年譜』は甘いのだ、とか、とぼけているのだ。
と読者から指弾されても致し方ないのではなかろうかろうか。その工兵隊の架橋演習の時期を確認さえもしていないことになるからだ。
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《鈴木 守著作案内》
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◇ 拙ブログ〝検証「羅須地人協会時代」〟において、各書の中身そのままで掲載をしています。
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