みちのくの山野草

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『旧陸軍軍馬補充部六原支部官舎』(6/27)

2019-07-01 08:00:00 | 賢治関連
 さて、『軍馬の郷六原資料館』の建物は、かつての「陸軍軍馬補充部六原支部」の官舎の一つであり、以前〝1012 六原道場(その5)〟でも報告したように、この官舎は現在3棟が残っている。
 そこで次に、残りの2棟の現在を見てみたい。
《1 2棟目》(平成31年6月27日撮影)

《2 》(平成31年6月27日撮影)

《3 当時のままの窓のようで、いわゆる「ゆらゆらガラス」だ》(平成31年6月27日撮影)

《4 もちろんここの土台のレンガにも》(平成31年6月27日撮影)

《5 「六」のグリル》(平成31年6月27日撮影)

《6 これが残りの棟で3棟目》(平成31年6月27日撮影)

《7 》(平成31年6月27日撮影)

《8 》(平成31年6月27日撮影)

《9 ここにはもう官舎は残っていないが》(平成31年6月27日撮影)

《10 当時のものだろう大木が》(平成31年6月27日撮影)

《11 そして懐かしいグミもあったので、一個失敬して食べた》(平成31年6月27日撮影)

《12 イワガラミもあった》(平成31年6月27日撮影)


 ところで、先にも述べたように、この「陸軍軍馬補充部六原支部」は昭和14年に廃止になったのだが、その後昭和7年になると、ここには「岩手県六原青年道場」が創設された。
 そしてこの道場は、戦時中、茨城県の満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所と併せて「南の内原、北の六原」と並び称せられ、あどけない多くの少年達を「満蒙開拓青少年義勇軍」として満蒙に送り出していたのだった。
 また、森荘已池は『ふれあいの人々』の中で、例の岩手国民高等学校に関して次のようなことを述べている。
 六原道場が、まだ開かれていない時代だったので、学校の教室を使って、夜は講演会や座談会、朝早く起きて「かけあし」をさせた。
 賢治も招かれて「芸術概論」や、詩や短歌を教えた。これが後の六原道場の芽生えになったのである。
             <『ふれあいの人々』(森荘已池著、熊谷印刷出版部)より>

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