みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

〔甲助 今朝まだくらぁに〕(下書稿検討)

2017-03-02 10:00:00 | 賢治作品について
 やはりこうなると、下書稿をもう少し遡って調べてみる必要がある。
 まず下書稿㈣を見てみれば次のようになっていた。
【下書稿㈣】
   一〇一二

              一九二八、三、三、
   唐獅子いろのずぼんをはいて
   どこの親方かと思ったよ
   春木の山へ出たってね
   吹雪の日などひどいんだらう
   ああ 出ないのか
     ……木にはいっぱい氷がついて
        野原はうらうら白い偏光……
   いまどの辺で伐ってるのかな
   八方山の北側か
   ずゐぶん奥へはいったな
     ……雪に点々けぶるのは
        三つ沢山の松のむら……
   ぼくの方はだめだ
   胸を傷めてしまってね
     ……江釣子森が
        氷醋酸の塊りのやうだ……
   いやあ伏牛<*1>へ行くところ
   例の肥料といもちのことさ
             <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)405p~>
 しかしこれでは、次の比較から分かるように、

本文とはもちろんのこと、

下書稿㈥とも大分違う。その上、日付は下書稿㈥も同㈣も共に
    一九二八、三、三、
となっているではないか。よくわからん。

 では、下書稿㈢はどうなっているかというと、
【下書稿㈢】
   一〇一二
     会合
               一九二八、三、三、
   唐獅子いろのずぼんをはいて
   春木を伐りに行くんだな
       ……木にはいっぱい氷がついて
          野原はうらうら白い偏光……
   いまどの辺で伐ってるのかな
   八方山の北側か
   ずゐぶん奥へはいったな
       ……雪に点々けぶるのは
          三つ沢山の松のむら……
   ぼくの方はまるでだめだ
   からだを傷めてしまってさ
   済まないな
       ……江釣子森が
          氷醋酸の塊りのやうだ……
             <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)404p~>
となっていて、何と「会合」という題名(ただし読み返してみても何故タイトルが「会合」なのかが分かりにくいが)さえもついていて、そして日付は相変わらず
    一九二八、三、三、
だ。これでは、逆にますます分からなくなってきた。このような内容であれば、【本文】の下書稿であることを匂わせているのは主に「字下げ部分」だけだ。

 ところで、<*1>の「伏牛」とはおそらく臥牛であり、臥牛という場所は下根子桜から見れば北上川越しの東側、更木の「臥牛」のことであろう。したがって、この時賢治は下根子桜付近で「唐獅子いろのずぼんをはい」た人物と出会って、最後に「済まないな」と詫びた時のことを詠んでいたのだろうか。しかも、
      ぼくの方はまるでだめだ
      からだを傷めてしまってさ

の個所は、『同四巻』によれば
      ぼくの方はまるでだめだ
      [開墾のまねでね→削]からだを傷めてしまってさ

というように推敲され、また下書稿㈣では、
      ぼくの方はだめだ
      胸を傷めてしまってね

という記述もあるから、これらの記述に従うとすれば下書稿㈢~㈥が詠まれた時期は「羅須地人協会時代」の前半ではなさそうだ。それはもちろん、同時代の前半であれば、賢治はまだ「ぼくの方はだめだ/胸を傷めてしまってね」とまで嘆くような病状にはなかったはずだからだ。

 さてそれでは下書稿㈡はどうなっているかというと、
【下書稿㈡】   
   一〇一二

               一九二八、三、三、
   どこへ行くんだ
   (三字不明)いろのずぼんなどはいて
   馬を盗みに行くとこか
   鉱山だって
   いったいどこの鉱山さ
    ……雪に点々けむるのは
       三つ沢山の松のむら……
   さうか発破の親方か
   遁げるときには立派だらうな
    ……あっいけない 江釣子森だ
       窓ガラス越し
       氷醋弾をなげつけやがる……
   その服は
   組合から買ったのか
   そいつはどうもありがたう
             <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)403p~>
 では、次に下書稿㈢と下書稿㈡を較べてみると、

となっているから特に目立つことは、今まで全くでてこなかった
    馬を盗みに行くとこか
という、これまでの下書稿からは予想などできなかった物騒な一言だ。たしかに下書稿㈢と下書稿㈡には字下げの部分などに共通部分はあるものの、どう考えても同じ主題の詩とは思えないから、あまり下書の関係にある詩篇とは思えない。

 では最後に下書稿㈠だが、それは次のようなものだった。
【下書稿㈠】   
   [一〇一二]

               一九二八、三、二一、
   (十数字不明)かね
    (一行アキ)
   その服は
   おれの組合から買ってくれたのかい
   ありがたう
   すてきななりだぜ
   まるで(数文字不明)ら(一字不明)馬盗人(二字不明)ふん装だ
   もうそろそろ
   お嫁さんをもらったらどうだい
   もう貰った
   うまく行くかい
    (一行アキ)
   アムモホスの使ひ方だって
   うん
    (一行アキ)
   あっいけない
   江釣子森だ
   窓ガラス越し
   氷醋弾をなげつけやがったんだ
             <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)402p~>
 では今までと同様に、次に下書稿㈡と下書稿㈠を較べてみると、

となっていてどちらにも「」「」があるから、こちらであればこれらの二つの場合は下書の関係にあるということは窺える。

 そして新たな疑問がまた生じた。それは、ここまでのいずれの下書稿も日付は
    一九二八、三、三、
だったのだが、下書㈠になって初めて
    一九二八、三、二一
となったことだ。それからもう一つ、詩の番号が今までは
     一〇一二
だったのが、[ ]付きの
    [一〇一二]
となっていることだ。

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