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《『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)の表紙》
では今度は、「1 国体と予言」の中の「我皇国の成仏」という項からである。そこには、
西洋人は中国を西洋列強の干渉で国際管理しなければならないと考えているようだが、それは違うと石原は異を唱える。日本が主導者でなければならないが、現状では力が足りない。特に「正義の力」が足りないという。日本は建国の大精神において世界を統一すべき大正義を有しているが、眼前の小利害に目がくらんで、正義の光を隠している。そこで、日本国民が「法華開顕の我国体」に感激し、こぞって人道や正義のために利害問題を超越して中国のためにことを計ることが重要だとして、以下のように断言する。
〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)296p~〉嗚呼、小は一身のことから大は国家の事迄すべての帰結は、南無妙法蓮華経の七字でありませぬか。一身の成仏勿論大問題です。然し吾々の南無妙法蓮華経は何処迄も日蓮聖人の御示しになつた通り、国家、神聖なる我皇国の成仏でなければ鳴らないと思ひます。(六月十二日)
という記述もあった。しかし私は何かスッキリしない。演繹的な論理で展開されてはいても、そのスタート地点「日本は建国の大精神において世界を統一すべき大正義を有している」がはたしてそう言えるのか、はたまた実際に有しているのかが私には解らぬからだ。ひいては、この引用部分が何を言っているのかということもよく理解できない。
とはいえ、大谷氏が引き続いて、
国柱会信行員の石原は中国問題の解決を日本国民の国体認識に求め、問題の帰結を「南無妙法蓮華経」にもとづく「我皇国の成仏」に求めるのである。
〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)296p〉と説明しているので、石原の考えているところは少しは見えてきた。そして同時に、常識的に考えてそれはもともと無理なのではなかろうかということも直感した。それは、「少なからぬ日本国民が「法華開顕の我国体」に感激し」というところまでことはありえても、「すべての日本国民が「法華開顕の我国体」に感激し」ということはあり得ないからである。
さて、今私が一番知りたいことの一つは、石原がなぜかくも強く日蓮主義に影響されたのかという端的な理由だったのだが、それを知る道は私にはなかなか遠そうだということを覚りつつある。それは、そろそろこの「1 国体と予言」も約半分を過ぎてしまったというのに未だその端緒にさえも辿り着けずにいるからだ。
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