みちのくの山野草

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軍人としての不動の目標

2020-02-02 14:00:00 | 法華経と賢治
《『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)の表紙》

 さて、今度は「1 国体と予言」の中の「国柱会に入会」という項からで、そこには
 決定的な転機が訪れたのは、(大正九年)四月下旬である。
 四月二十二~二十八日に鶯谷の国柱会で春期講習会が開催された。…投稿者略…
 石原は智学の講演を聴講して、智学に面会を求めた結果、「最後の疑問」を解決し、入会を決意する。

遂に私は日蓮聖人に到達して真の安心を得、大正八(ママ)年漢口赴任前国柱会の信行員になつたのであつた。殊に日蓮聖人の『前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし。』は私の軍事研究の不動の目標を与へたのである。
              〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)291p~〉
ということが述べられていた。この『前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし。』の中身については皆目見当が付かないが、いずれ、法華経が石原に軍人としての不動の目標を与えるものとなった、ということのようだ。
 そして同時に、私は石原の宗教心に多少違和感を抱きつつある。私は無宗教だから宗教のことは全くと言っていいほどわからぬが、なんとなく宗教とは人生を如何に生きるべきかを索めるものと思っていたのだが、石原の場合は宗教を軍人としての理論武装のためものとして捉えていたのではなかろうかという気が私にはしてきて、それはなんか功利的な考え方ではなかろうかと思ってしまったからだ。

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