みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

3417 賢治の詩の中の〝黒い花〟

2013-08-01 08:00:00 | 羅須地人協会の終焉
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
佐藤勝治の見方
 さて、佐藤勝治は前掲書で次のようなこと
 ○この〝サキノハカ……〟の詩句は、実は『生徒諸君に寄せる』の前に作られた無題の詩(作品番号一〇五六)の冒頭に一度置かれたものである。
 
 サキノハカといふ黒い花といっしょに
 革命がやがてやってくる
 ブルジョアジーでもプロレタリアートでも
 おほよそ卑怯な下等なやつらは
 みんなひとりで日向へ出たきのこように
 潰れて流れるその日がくる
 やってしまへやってしまへ(以下略)


この詩の方が〝革命〟の内容をはっきり説明している。…(略)…〝黒い花〟というのは、革命に対する賢治の感じ方であろうか。
という見方を述べていた。私は〝サキノハカ〟以上にこちらの〝黒い花〟の方が気になっていた。というのは、〝サキノハカ〟の方はいつもの賢治のシャレの一つと考えられないこともないからその手には乗らずに、〝黒い花〟の方をまず攻めるべきではなかろうかと思っていたからである。
 そしてそもそも、賢治の
   サキノハカといふ黒い花
という表現中の、「といふ」という用語の用い方からして
   サキノハカ≒黒い花
と言えるから、この〝黒い花〟のことがわかれば逆に〝サキノハカ〟を規定できる可能性もある。
 さりとて、この〝黒い花〟が何であるのかはもとより、そのヒントさえ掴めずにいた。
『日本の歴史24』より
 ところが、たまたま読んでいた本の中のある部分が目に留まった。それは、次のようなものの中にあった。
 「革命――さきに幸徳秋水らの先覚者が、その思想のために獄中に縊られ、数多の同志が迫害を蒙った社会主義革命は、もはや『狂信者』の世迷い言でも、夢想でもないことが、ロシアにおいて実際に証明されたのだ!」(立野信之『黒い花』)
            <『昭和の歴史24 ファシズムへの道』(大内力著、中央公論)108pより>
それも、本文にではなくて〝(  )〟内の出典図書『黒い花』にである。そういえば、共産主義のシンボルカラーは赤色だが、たしかアナーキズムのそれは〝黒色〟だったはずだ。早速私は、この本を注文した。
再び佐藤の見方
 そして、もう一度佐藤勝治の前の論考を見直してみた。
 そこには先程の見方に続けて、次のように実はちゃんと言及してあった。
 〝黒い花〟というのは、革命に対する賢治の感じ方であろうか。それとも「アナーキズム革命」を云ったのであろうか。
と。そして、
 ○大正十年であるが、大杉栄は
 「尾崎行雄は五年以内に革命が起きると主張しているが、僕は二、三年説を取る。」
と書いている。当時の政治家、知識人、労働運動の渦中にいた人たちはこういう切迫感、あるいは希望的観測があったことが知られる。さればこそ、治安維持法が公布され(大正十四年)三・一五、四・一五等の大検挙が行われたのだ。いはば明治末に呼応する第二の大逆事件だ。根こそぎの弾圧だ。
 労農党も解散命令を受けた。賢治も警察の取り調べを受け、羅須地人協会を解散した。
            <『啄木と賢治』(佐藤勝治編、みちのく芸術社)41pより>
と更に続けていた。佐藤勝治は〝黒い花〟が〝アナーキズム〟に関係している可能性があるとことを指摘し、実際そこには続けてアナーキストの代表的人物大杉栄の発言を引用していたのだった。

 なお、ここで佐藤勝治は
  賢治も警察の取り調べを受け、羅須地人協会を解散した。
と断言していることにも注意を払っておきたい。佐藤勝治という人はとても信頼に足る人だということを、佐藤を知っている人から聞いていることもあるからである。
 羅須地人協会を解散した理由は、やはり警察の取り調べが直接の原因となっている可能性がかなり高そうだということを改めて認識した。


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 なお、その一部につきましてはそれぞれ以下のとおりです。
   「目次
   「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)
   「おわり
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