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おわりに

2017-06-12 10:00:00 | 「羅須地人協会時代」検証
            『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』






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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
  おわりに
 それでは、今まで約10年間に亘って「羅須地人協会時代」を中心にして「仮説検証型研究」という手法等によって検証を続けてきて辿り着いた私の結論を、以下に少しく述べて終わりにしたい。
 まず、私のかつての賢治像はどのようして出来上がったか。それは「賢治年譜」や巷間流布している賢治の「通説」を少しも疑わずに信じ、信じ続けてきたことによってであり、賢治は、「貧しい農民たちのために自分の命を犠牲にしてまでも献身しようとした詩人であり童話作家である」だった。そして、「原体剣舞連」や「やまなし」「おきなぐさ」あるいは「稲作挿話」「和風は河谷いっぱいに吹く」は私の大好きな作品だった。
 ところが、定年を期にやっと時間的余裕ができたので、ずっと気になっていた賢治の甥(私の恩師でもある岩田純蔵教授)の嘆きに応えようとして、今まで約10年をかけて「羅須地人協会時代」を中心として検証作業等を続けてきたのだがその結果、常識的に考えておかしいと思ったところはほぼ皆おかしかった。しかもその検証の結果、「通説」とかなり違っていたり、中には正反対なものや嘘のものまでもあったりした。
 それ故に、例えば、かつては感動していた「稲作挿話」や「和風は河谷いっぱいに吹く」にもはや私は感動しなくなったから、正直一時期は裏切られたという思いを禁じ得なかった(こんな嫌な思いこれからの若者たちにはもうさせたくはない)。

 譬えてみれば、「賢治年譜」は賢治像の基底、いわば地盤だが、そこにはかなりの液状化現象が起こっているのでその像は今真っ直ぐに建っていない。当然、それを眺める私達の足元も不安定だから、それを的確に捉えることも難しい。まして、皆で同じ地面に立ってそれを眺めることはなおさら困難だから、各自の目に映るそれは同一のものとは言いがたい。
 したがって、「賢治研究」をさらに発展させるためには、皆が同じ地面に立ててしかも安定して賢治像を眺められるようにせねばならないはずだから、まずは今起こっている液状化現象を解消せねばならないだろう。すなわち、何はさておき「賢治年譜」や賢治の「通説」を一度再検証せねばなかろう(例えば、先に論じた〝㈡〟について再検証をしていただければ、その液状化現象の酷さと、放置しておくことの深刻さを直ぐさま分かってもらえるはずだ)。
 さりながらその一方で、一連の私の主張はすぐ様世間から受け容れてもらえることが難しいであろうことも承知している。それは、このような主張は私如きが申すまでもなく、少なからぬ人たちが既に気付いているはずであるのにも拘わらず、このような液状化現象が長年放置されてきたことがいみじくも示唆していると私は感ずるからだ。おそらく、そこには構造的な理由や原因があったのであろう、とも。
 逆に言えば、私の主張が受け容れられるためにはまだまだ時間がかかるであろう。だから私は、時が来るのを俟っていてもいいと思っている。つまり、〝㈠~㈦〟等の評価がどう定まるかは歴史の判断に委ねていいと思っている。だが一つだけ、決して俟っているだけではだめなものがある。
 それは、冤罪とも言える「〈悪女・高瀬露〉の流布」を長年に亘って放置してきたことを私達はまず露に詫び、その冤罪を晴らすために今後最大限の努力をし、濡れ衣を着せられた露の名誉を早急に回復してやることをである。
 もしそれが早急に果たされることもなく、今までの状態が今後も続くということになれば、それは「賢治伝記」に最大の瑕疵の一つがあり続けるということになるから、今の時代は特に避けねばならないはずだ。なぜならばこのことは他でもない、人権に関わる看過できぬ重大な問題だからである。
 それ故、もし今まで通りこの瑕疵を看過し続けていたり、知らぬ顔の半兵衛を決め込んで放置し続けていたりするならば、「賢治を愛し、あるいは崇敬している人達であるはずなのに、人権に対する認識があまりにも欠けているのではないですか」と、私達一般読者までもが世間から指弾されかねない。
 一方で露本人はといえば、
 彼女は生涯一言の弁解もしなかった。この問題について口が重く、事実でないことが語り継がれている、とはっきり言ったほか、多くを語らなかった。
<『図説宮沢賢治』(上田、関山等共著、河出書房新社)93p~>
というではないか。あまりにも見事な生き方だったと言うしかない。がしかし、私達はこのことに甘えてはいけない。それは、あるクリスチャンが、
 敬虔なクリスチャンであればあるほど弁解をしないものなのです。
と私に教えてくれたからだ。ならば尚のこと、理不尽にも着せられた露の濡れ衣を私は一刻も早く晴らしてやりたいし、そのことは多くの方々も望むところであろう。
 まして、天国にいる賢治がこの理不尽を知らない訳がない。少なくともある一定期間賢治とはオープンでとてもよい関係にあり、しかもいろいろと世話になった露が今までずっと濡れ衣を着せ続けられてきたことを、賢治はさぞかし嘆き悲しんでいるに違いない。そして、「いわれなき〈悪女〉という濡れ衣を露さんが着せられ、人格が貶められ、尊厳が傷つけられていることをこの私が喜んでいるとでも思うのか」と、賢治は私達に厳しく問うているはずだ。

 以上が、この約10年をかけて「羅須地人協会時代」を中心として調べてきた結果、私が辿り着いたことのほぼ全てだ。同時代にはこのようにいくつかのあやかしが内包されているからそれらの再検証(とりわけこの人権問題の)が不可避であり、喫緊の課題である。そしてそれらが為されれば液状化現象がかなり解消できるので新たな地平も見えてきて、「賢治研究」の更なる発展が期待できるのではなかろうか。

 なお本書は、平成28年『第69回岩手芸術祭』の文芸評論部門に応募して優秀賞をもらった『「賢治神話」検証五点』をベースにして書き足したものである。
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 最後になりましたが、本書の出版に際してご指導やご助言、ご協力を賜りました阿部千鶴子氏、阿部弥之氏、伊藤博美氏、岩手日報社様、鎌田豊佐氏、菊池忠二氏、澤里裕氏、新庄ふるさと歴史センター様、鈴木友氏、高瀬露の教え子K氏、高橋カヨ氏、高橋輝男氏、日本現代詩歌文学館様、八重樫新治氏の皆様方には深く感謝し、厚く御礼申し上げます。
 平成29年3月25日
鈴木 守
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