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『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
冤罪とも言える〈悪女・高瀬露〉
言い換えれば、「仮説検証型研究」の結果、件の「下根子桜」訪問も、唯一の「直接の見聞」と思われたその際の「露とのすれ違い」も虚構や創作だった、となる。まさにあやかしの極み、しかもそこには悪意があるからこれらは捏造と言える。とうとう恐れていたことが現実のものとなり、大前提が崩れてしまった。となれば、先に考察した「ライスカレー事件」等も同様で、虚構や風聞だったと判断せざるを得ない。よって、『宮沢賢治と三人の女性』における露に関する記述には捏造の「下根子桜」訪問を始めとして、悪意のある虚構や風聞もあることが判ったから、そこで語られている露は捏造された〈悪女・高瀬露〉であり、同書は露に関しては伝記などではなくて悪意に満ちたフィクションに過ぎなかったのだった。
ところが、森は『宮澤賢治と三人の女性』の巻頭で、
宮沢賢治については、今までに数冊の傳記的著述はなされているが、やや完全とみられる「傳記」はない。今のところ、なかなか書かれる日も近く來そうもない。さて無事に頂上までのぼれるかどうか。…(筆者略)…
この本は、宮沢賢治を知るためのみちの、一つのともしびである。つまりに宮沢賢治と、もつともちかいかんけいにあつた妹とし子、宮沢賢治と結婚したかつた女性、宮沢賢治が結婚したかつた女性との三人について、傳記的にまとめて、考えてみたものである。
<『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)3p~>
と述べているものだから、読者は同書を「伝記」であると捉え、皆同書の記述内容を事実と信じ切り、これを「下敷」としたのだろう。しかも上田の指摘通り、誰一人としてその検証もせず、裏付けも取らぬままにその拡大再生産等が繰り返されて、次第に〈高瀬露悪女伝説〉が出来上がっていったというのが実情と言えよう。
ただしここで注意せねばならぬことは、この〈露悪女伝説〉を全国に流布させた責任はこの「下敷」にはまずないということだ。それは、この「下敷」も、そしてその後の再生産でも、ある時期までは高瀬露という実名を一切使っていなかったからだ。だから私は、この〈伝説〉が全国に流布したのは『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房、昭和52年)においてその実名が初めてしかも安易に公にされたことが切っ掛けで、それ以降であると言わざるを得ない。
さてこれで、前掲の
〈仮説〉森荘已池が一九二七年の秋に「下根子桜」を訪問したということも、その時に露とすれ違ったということも、いずれも事実だったとは言えない。
の反例が今後見つかった時には許されるとしても、少なくともこの仮説の反例が提示されていないという現状では、確たる客観的な根拠もないのにも拘わらず、安易に一人の女性に濡れ衣を着せた捏造〈悪女・高瀬露〉が流布しているということになるから、このことは決して許されない。
なぜならばこのことは人権に関わる重大問題であり、他の事柄とは根本的に違うからである。いわば、現状の〈悪女・高瀬露〉の流布は冤罪であり、「賢治伝記」上の看過できぬ瑕疵であり、早急に解決せねばならない人権上の課題である。
(さらなる詳細は、拙論「聖女の如き高瀬露」(上田哲との共著『宮澤賢治と高瀬露』所収)を参照されたい)
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冤罪とも言える〈悪女・高瀬露〉
言い換えれば、「仮説検証型研究」の結果、件の「下根子桜」訪問も、唯一の「直接の見聞」と思われたその際の「露とのすれ違い」も虚構や創作だった、となる。まさにあやかしの極み、しかもそこには悪意があるからこれらは捏造と言える。とうとう恐れていたことが現実のものとなり、大前提が崩れてしまった。となれば、先に考察した「ライスカレー事件」等も同様で、虚構や風聞だったと判断せざるを得ない。よって、『宮沢賢治と三人の女性』における露に関する記述には捏造の「下根子桜」訪問を始めとして、悪意のある虚構や風聞もあることが判ったから、そこで語られている露は捏造された〈悪女・高瀬露〉であり、同書は露に関しては伝記などではなくて悪意に満ちたフィクションに過ぎなかったのだった。
ところが、森は『宮澤賢治と三人の女性』の巻頭で、
宮沢賢治については、今までに数冊の傳記的著述はなされているが、やや完全とみられる「傳記」はない。今のところ、なかなか書かれる日も近く來そうもない。さて無事に頂上までのぼれるかどうか。…(筆者略)…
この本は、宮沢賢治を知るためのみちの、一つのともしびである。つまりに宮沢賢治と、もつともちかいかんけいにあつた妹とし子、宮沢賢治と結婚したかつた女性、宮沢賢治が結婚したかつた女性との三人について、傳記的にまとめて、考えてみたものである。
<『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)3p~>
と述べているものだから、読者は同書を「伝記」であると捉え、皆同書の記述内容を事実と信じ切り、これを「下敷」としたのだろう。しかも上田の指摘通り、誰一人としてその検証もせず、裏付けも取らぬままにその拡大再生産等が繰り返されて、次第に〈高瀬露悪女伝説〉が出来上がっていったというのが実情と言えよう。
ただしここで注意せねばならぬことは、この〈露悪女伝説〉を全国に流布させた責任はこの「下敷」にはまずないということだ。それは、この「下敷」も、そしてその後の再生産でも、ある時期までは高瀬露という実名を一切使っていなかったからだ。だから私は、この〈伝説〉が全国に流布したのは『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房、昭和52年)においてその実名が初めてしかも安易に公にされたことが切っ掛けで、それ以降であると言わざるを得ない。
さてこれで、前掲の
〈仮説〉森荘已池が一九二七年の秋に「下根子桜」を訪問したということも、その時に露とすれ違ったということも、いずれも事実だったとは言えない。
の反例が今後見つかった時には許されるとしても、少なくともこの仮説の反例が提示されていないという現状では、確たる客観的な根拠もないのにも拘わらず、安易に一人の女性に濡れ衣を着せた捏造〈悪女・高瀬露〉が流布しているということになるから、このことは決して許されない。
なぜならばこのことは人権に関わる重大問題であり、他の事柄とは根本的に違うからである。いわば、現状の〈悪女・高瀬露〉の流布は冤罪であり、「賢治伝記」上の看過できぬ瑕疵であり、早急に解決せねばならない人権上の課題である。
(さらなる詳細は、拙論「聖女の如き高瀬露」(上田哲との共著『宮澤賢治と高瀬露』所収)を参照されたい)
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