みちのくの山野草

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『續 土に叫ぶ』の出版

2019-02-25 10:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》

 さて、その後の松田甚次郎はどんなことをしたのだろうか。たとえば、『続 土に叫ぶ』の序で甚次郎は次のように語っていた。
 「土に叫ぶ」を出版してから早くも五年になる。その間日本も世界も大きな變動と善き展開を見せた。そして農村と農業はその使命日に重大を加え我等は益々奮勵せねばならなくなつたのである。
 私は此の間「土に叫ぶ」で誓つたことを厳守し續け、心身の修練と農耕に精出し、勉強して來たつもりであるが、度々失敗をして人生修業の遅〻として牛歩の感を深ふする。
 度々羽田先生から「續土に叫ぶ」を出版する樣に申付けられたが、暇のない私にはそれに答ふることが出來ずに今日に至つたが、本春誕生三十三年を記念に、或は食を斷ち、或は徹宵して、私の反省錄として執筆したのが本書である。
      …(投稿者略)…
 村を護ることも、土を守ることも、それは結局皇國守護の誠心を捧ぐることである。これこそが天下を後世まで信服せらるゝ日本農民魂である。
 昭和十七年冬  
                              雪輝く山里にて
                                松田甚次郎
            〈『続 土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)〉
 というわけで、甚次郎は昭和17年12月に『續 土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)を出版したのである。
【Fig.1 『續 土に叫ぶ』の表紙】

 そしてその内容を目次で見れば、
  序
  一 農耕者として
  二 戦時農村生活の実際
  三 其の後の鳥越
  四 村塾の事ども
  五 農村文化運動
  六 来訪者
  七 修まる家々
  八 結び
というものである。
 とりわけ、松田甚次郎はこの本の「八 結び」で、
 私達の兄弟は大陸に開拓し、聖戦に参じて各々その偉業に従つてゐるのである。銃後にある私は義に生き、義に死する一捨石として、一介の農民として本分を全うしたいと念願してゐる。
          〈同〉
と綴っていて、この甚次郎の「念願」からは、彼も時代の中で生きていたのだということを思い知らされる。そしてまた、当時は殆どの日本人はこのように念願していたのであろうということも、である。そうすると、松田甚次郎の場合はこのようなことを述べていたことなどもあったから、戦後になると「時流にのり、国策におもねた」とか、「戦争協力者となった」と戦後非難されたのであろうか。

 しかし、小林節夫によれば、
 (2) 戦争に協力した文学者・芸術家と日本文学報国会・大日本言論報国会
 こういう中で有名な文学者・芸術家が戦争に協力するようになりました。一九三三年(昭和八年)四月には浪岡惣一郎作詞「日章旗の下に」を中山晋平が作曲。八月、内閣情報部の中国の漢江攻略戦従軍に関する文芸家との協議に菊池寛、吉川英治、佐藤春夫らが出席。陸軍二班計二十二名の従軍に決定、佐藤春夫は永井荷風に報告。九月には吉川英治、佐藤春夫、小島政二郎、吉屋信子らが文学者の従軍海軍班として中国に行きました。
 それどころか、「満州事変」から、敗戦までの十五年戦争の間、特に一九三七年の支那事変となり、大政翼賛会がつくられると急速に戦争協力の文学・芸術家の人たちが増えました。
 島崎藤村は「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」という東条英機の戦陣訓の校閲をしました。…(略)…
 山田耕筰は「日支事変」以来、戦時歌謡、軍歌として「杭州小唄」、戦争昂揚の歌「英霊賛歌」…(略)…などを作曲し…(略)…
 北原白秋は一九三八年には「万歳ヒットラー・ユーゲント」を作詞するなど、国家主義への傾倒がはげしくなり…(略)…
 歌人斎藤茂吉はアララギ派の総帥で、高村光太郎に似て戦争賛美・戦意昂揚短歌、言わば戦争強力の歌を詠み、その中には東条英機賛歌などもあり、戦争協力を恥じたり、反省するというようなことは全くありませんでした。
             〈『農への銀河鉄道』(小林節夫著、本の泉社)233p~〉
ということだから、これに従えば、当時の第一線の名立る作家の名がぞろぞろ出てきていて、もちろん、当時でも己の思想・信念を貫いて虐殺されてしまった小林多喜二や、せめて(?)沈黙しようとした小林秀雄や谷崎潤一郎などはいるようだが、多くの作家は戦争に協力をせざるを得なかったということではなかろうか。したがって、松田甚次郎独りだけが非難されることがもしあったとするならば、それはアンフェアなことだということになる。
 なお、このような人達の戦時中のこのような生き方を、今の時代に生きる私が非難することなど到底出来ない。同時代を生きていなかったからだ。ただし問題は、戦後のそれぞれの方々の生き方だ。例えば高村光太郎のように、戦意高揚に与した己を恥じて花巻に自己流謫したというような生き方には私は敬意を払う。しかし、「戦争協力を恥じたり、反省するというようなことは全くありませんでした」という方々に対しては、その逆である。私は昭和21年生まれ、終戦直後の生まれだから同時代をそのような人達と生きていたからだ。

 なお、
【Fig.2 『續 土に叫ぶ』の奥付】

を見てみると、印紙の印影は「松田」になっており、『土に叫ぶ』の時とは異なっているので私はほっとした次第だ。今回は一刷が五千部、定価は「一圓五十錢」とあるし、この本の場合には「第五刷」と印刷されているので、松田甚次郎にもある程度の印税が払われたことは確かだからである(大ベストセラー『土に叫ぶ』や『宮澤賢治名作選』の印税は、甚次郎の懐には一銭も入らなかった)。

 ところで、この本の裏表紙が気になる。
【Fig.3 『續 土に叫ぶ』の裏表紙の左下隅】

にはの中に書かれた”停”が印刷されており、それが後で×印で消され、その上方にの中に”許”という赤いスタンプ押印がなされている。これらは一体どんな意味が含まれていて、なぜなのだろうか。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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