みちのくの山野草

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推定がいつの間にか独り歩きして断定へ

2021-02-02 16:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈『【賢治】の心理学』(矢幡洋著、彩流社)〉

 さらに矢幡氏はこう続ける。
 後の露宛の手紙から判断すると、この時期三日連続で手紙が送られたこともあるというので、手紙も相当受け取っていただろう。また、二人の間では、結婚の可能性についての話がやりとりされたこともあった。
             〈『【賢治】の心理学』(矢幡洋著、彩流社)149p〉
 さて、この引用部分は、「露宛の手紙から判断すると」と前置きしてから始まっているので、「この時期三日連続で手紙が送られたこともあるというので、手紙も相当受け取っていただろう。…投稿者略…話がやりとりされたこともあった」の部分は、その「手紙」の中身から同氏は判断してこう書いているのだろう。そこで私は、この「部分」にも問題がないわけではないと思っているのだがそれは措いといて、それ以前にこの大前提である「露宛の手紙」にかなり不安を抱いている。

 さて、この「露宛の手紙」とは、「三日連続で手紙が」ということだから、“新発見書簡252c〟と『校本宮澤賢治全集第十四巻』が突如発表した<*1>、次の書簡下書を指すことになる。
252c〔日付不明 高瀬露あて〕下書
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。あの節とても教会の犠牲になっていろいろ話の違ふところへ出かけなければならんといふ時でしたからそれよりは独身でも〔明〕るくといふ次第で事実非常に特別な条件(私の場合では環境即ち肺病、中風、質屋など、及び弱さ、)がなければとてもいけないやうです。一つ充分にご選択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに〔数字分空白〕科学がわれわれの信仰に届いて来ます。……さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外へお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれる為に書いたもので、あとのは正直に申し上げれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざなものをあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目においでになったとき私が『もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、』と申しあげたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝではだんだん間違ひになるからいまのうちはっきり私の立場を申し上げて置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前後に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三ぺんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申し上げませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
             〈『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)31p〉
 というわけで、この下書「252c」は〝〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟と筑摩が書いてあるように、この〔 〕記号で明らかなように、あくまでも推定である。すなわち、
    後の露宛の手紙から
ではなくて、
    後の、露宛と推定される書簡下書から
とせねばならないはずである。筑摩は「露宛」とも言っていないし、手紙とも言っていないからだ。あくまでも「推定」される「下書」にすぎないのである。
 しかも、同巻は、「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」と書いている(『校本全集第十四巻』(筑摩書房)34p)はいるものの、「内容的に」の「内容」が具体的にどのようなものかを明示もせず、あるいはまた、「高瀬あてであることが判然としている」というその根拠も示さぬままにあっさりと断定表現をしているのである
 そこで、
 他ならぬ筑摩書房がこのような書き方をしてしまうと、「露宛と推定される書簡下書」がいつのまにか、「露宛書簡」に変身して独り歩きをしだしてしまう。
ということを私は懸念していたのだが、残念ながらその懸念があちこちで見られる<*2>。

 そこで私が懼れていることは、もしそれが断定などできぬ推定であったならば、それを基にして展開した論考は、いわば液状化した地盤に建物を建てることになり、早晩その建物が崩れてしまうことは避けられないであろう、ということである。
 だから、石井洋二郎氏のあの警鐘を私たちはやはり重く受け止めなければならない、と改めて痛感させられる。一般読者がついつい、推定を断定だと思い込むことはまだしも、賢治研究者等が推定を断定と(結果的に)書き変えていることの多さに、正直私は茫然とする。

<*1:投稿者註> 『校本宮澤全集第十四巻』の《備考》に、
 第十三巻で、書簡「不5」として掲げたもの、およびその下書㈠~㈤は、新発見書簡252c(その下書群をも含む)とかなり関連があるとみられるので……
とある。
 のみならず、これは「新発見」と嘯いたのであったという意味のことを、天沢退二郞氏や堀尾青史が明らかにしている
<*2:投稿者註> たとえば他にも、
 賢治が高瀬露にあてた事がはっきりしている下書きの中から問題の点だけをしぼってここに紹介してみたい。
             〈『宮沢賢治の愛』(境忠一著、主婦の友社)156p〉
とか、
 けれども露とのつき合いは、それだけでは終わりませんでした。昭和四年には手紙のやりとりがあり、そのなかには結婚についての記述もあります。
 書簡集に紹介されているのは賢治の手紙のみで、いずれも下書きですが、以下に一部を抜粋してみましょう。
「お手紙拝見いたしました。
法華をご信仰なさうですがいまの時勢ではまことにできがたいことだと存じます。どうかおしまひまで通して進まれるやうに祈りあげます」
             〈『宮沢賢治 愛のうた』(澤口たまみ著、もりおか文庫)269p~〉
というようにである。

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            ☎ 0198-24-9813
 なお、目次は次の通り。

 〝「宮澤賢治と髙瀨露」出版〟(2020年12月28日付『盛岡タイムス』)
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