みちのくの山野草

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奇矯な行為と〔聖女のさまして近づけるもの〕

2024-03-03 08:00:00 | 常識でこそ見えてくる賢治







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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
 奇矯な行為と〔聖女のさまして近づけるもの〕
 それから念のため言及しておきたいことがまだ二つある。その一つは、賢治の露に関わる奇矯な行為についてである。周知のように、賢治は露を拒絶するために
 ・顔に灰(一説に墨)を塗った。
 ・「本日不在」の表示を掲げた。
 ・癩病と詐病した。
 ・襖の奥(一説に押し入れ)に隠れていた。
などということがまことしやかに巷間言われている。さて、果たしてこれらがどこまで事実であったのか今となってはなかなかはっきりとはわからぬが、仮にこれらの行為が事実だったとしても、常識的に判断すれば、いずれも賢治の奇矯な行為であると言われこそすれ、このような賢治の行為によって露一人だけが一方的に<悪女>にされるというでたらめさが許されないことは明らかである。
 実際この件に関しては、例えば小倉豊文は、
 彼女の協会への出入に賢治が非常に困惑していたことは、当時の協会員の青年達も知っており、その人達から私は聞いた。それを知った父政次郎翁が「女に白い歯をみせるからだ」と賢治を叱責したということは、翁自身から私は聞いている。労農党支部へのシンパ的行動と共に――。
 <『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(小倉豊文著、筑摩書房)、48p>
ということを紹介しているし、高橋慶吾や関登久也もこのことに関して似たようなことを述べ、賢治は父政次郎から強い叱責を受けたと証言している。したがって、賢治のこれらの奇矯な行為が責められることもなしに(そして誰一人として賢治のこれらの行為を責めている賢治研究家は実際いないようだが)、一方でこのことで露だけを悪女だったと言い募ることがもしあればそれはあまりにも不公平であり、理不尽なことであり、もちろん許されることではない。
 そしてもう一つは〔聖女のさまして近づけるもの〕という詩についてである。例えば、宮澤賢治伝記の研究家として評価の高い境忠一は、
 (賢治は)昭和六年九月東京で発熱した折の「手帳」に、「十月廿四日」として、クリスチャンであった彼女にきびしい批評を下している。
  聖女のさましてちかづけるもの
  たくらみすべてならずとて
  いまわが像に釘うつとも
  乞ひて弟子の礼とれる
  いま名の故に足をもて
  われに土をば送るとも
  わがとり来しは
  たゞひとすじのみちなれや
   <『評伝宮澤賢治』(境忠一著、桜楓社、昭43)、316p~>
と述べていて、賢治は露のことをこのように厳しく〔聖女のさましてちかづけるもの〕に詠んでいる、と境は断定している。
 そして境のこのような見方は彼一人にとどまらず、森荘已池もこの〔聖女のさましてちかづけるもの〕について、
 その女人がクリスチャンだったので「聖女」というように、自然に書き出されたものであろう。
 <『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房、昭24)、101p>
と似たような見方をしている。つまり、
 「その女人(=高瀬露)」はクリスチャンだ、クリスチャンは「聖女」だ、だからこの詩の「聖女」は露である。
という論理(〈註一〉)で捉え、露は聖女のふりをして賢治に近づいて行ってその足で賢治に土をかけたと解釈し、そう認識していることになる。そして、私の知る限りでは多くの人達がそう認識しているようだ。
 したがって、少なくともこの詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕が〈露悪女伝説〉の大きな要因の一つになったということは否定できなかろう。それは境や森をはじめとして多くの賢治研究家がこの詩を基にして、「露は賢治から厳しい批評を下された」と見做していると言えそうだからである。
 しかしながら、果たして賢治自身は露のことをこの詩で詠んでいたのだろうかと私は疑問に思う。それはまず、露がクリスチャンだということを当時賢治は知っていたし、さらには露のことを賢治自身が「聖女」と表現していたことさえもあった(〈註二〉)のだから、常識的に考えて賢治は露のことを「聖女のさまして」とは言わないだろうと考えられるからである。もし、クリスチャンだから「聖女」だという論理に従うならば、クリスチャンである露は「聖女」その者なのだから「聖女のさまして」とは普通言わない。逆に、露がクリスチャンであることを知っている賢治が露のことをもし「聖女のさまして」と詠んだとするならばそれは揶揄であり、賢治の人間性が問われることになる。それゆえ、「聖女のさましてちかづけるもの」とは少なくとも露以外の人物であったとした方が妥当であると考えられる。
 さらには、一般に露が賢治から拒絶され出したのは昭和2年の夏頃以降と言われているようだから、もしこのことが事実であったとしたならば、佐藤勝治が言うところの「このようななまなましい憤怒の文字」が使われている〔聖女のさましてちかづけるもの〕を、それから4年以上も経った後の昭和6年に賢治が露をモデルにして詠む訳がない、というのが常識的な判断であろう。仮にもしそのような賢治であったとするならば、その執念深さは度を超しているので問われるのは露どころか賢治の方だということになる。この点から言っても、この「聖女のさましてちかづけるもの」は露であるという判断は危うい。
 よって、以上のことだけからしても、常識的に判断すればこの「聖女のさましてちかづけるもの」とは露以外の人物であるという可能性が高いと言える。換言すれば、この詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕の誤解によって、「露は賢治から厳しい批評を下された」と見做され、延いては<悪女>の濡れ衣を着せられてしまった蓋然性が高いということが導かれる。
 しかも、露以外にもっと「聖女のさましてちかづけるもの」に当てはまるある女性がいたというのにもかかわらず、である。ではそれは誰かといえば、例えばあの伊藤ちゑである。
 なんとなれば、佐藤勝治が「このようななまなましい憤怒の文字」を連ねたと言うところの〔聖女のさましてちかづけるもの〕という詩を、次の二人のいずれに対して賢治は当て擦って詠むかというとことを考えてみればほぼ明らかだろう。すなわち、
・露 :癩病と詐病等をしてまでも賢治の方から拒絶したといわれている露に対して約4年後
・ちゑ:「私は(ちゑと)結婚するかもしれません――」と賢治が言っていた(〈註三〉)というちゑに対して約2ヶ月半後
となる昭和6年10月24日に、この二人のうちのどちらに対して詠むかといえば常識的に考えても、あるいは心理的に考えても、少なくとも露でないことはもはや明らかだろう。
 それは、一つには、「約4年前」に拒絶したという女性を間延びしたその「約4年後」にしかも「憤怒の文字」を連ねて賢治は詠むのかということを考えれば、普通はそんなことはあり得ない(もしそうであったとするならば、賢治の執念深さはあまりにも度を超していることになる)からだ。そしてもう一つは、一方のちゑ、つい約3ヶ月前の7月に結婚するかも知れないと賢治が言っていたというちゑに対して詠むのかを考えれば、少なくとも前者の場合よりは後者の方がその蓋然性は高かろうからである。それは、ちゑは賢治と結びつけられることを森荘已池宛書簡において拒絶しているし、藤原嘉藤治宛書簡においても同様なことを伝えているからなおさらにである。
 つまり、露以上に「聖女のさましてちかづけるもの」のモデルに当てはまる女性ちゑがいるのだから、少なくとも露はこのモデルからは除かれるというのが普通の論理だろう(それとも、この詩のモデルは高瀬露だという説得力のある客観的な根拠があるというのだろうか。私の知る限りそのようなものはないし、実際にもないはずだ)。したがって、一連の賢治の奇矯な行為も、詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕も共に〈露悪女伝説〉を否定するものでこそあれ、それを裏付ける何程の力がこれらにあるというのだろうか。

<註一> クリスチャンということであれば、伊藤ちゑもクリスチャンだったという蓋然性が高い。それは、平成28年10月22日に筆者が『二葉保育園』を訪れた際、そこの責任者のお一人が、
 基本的には当時の同園の保母はクリスチャンでしたから、伊藤ちゑもそうだったと思います。
と教えて下さったからだ。したがって、この論理は心許ないものとなる(そこには必要条件を十分条件と思い込んでいる誤解がある)。言い換えれば、それは露のみならずちゑの場合もほぼ同様に当て嵌まることになる。
<註二> 賢治の昭和2年4月18日付の詩〔うすく濁った浅葱の水が〕の中に次のような連、 
   そのいたゞきに
   二すじ翔ける、
   うるんだ雲のかたまりに
   基督教徒だといふあの女の
   サラーに属する女たちの
   なにかふしぎなかんがへが
   ぼんやりとしてうつってゐる
         <『校本全集第四巻』(筑摩書房)、66p~>
があるが、この下書稿(二)において、《俸給生活者》に対して《サラー》と賢治はフリガナを付けているから
  「サラーに属する女たち」=「俸給生活者に属する女たち」
という等式が成り立つことが分かる。さらには下書稿(四)においては、[あの聖女の]を削除→[基督教徒だといふあの女の]に書き換えているから、「基督教徒だといふあの女の」とはクリスチャンで俸給生活者の女性、つまり寶閑小学校の先生高瀬露その人だと判断できる。賢治周辺の女性でこれに当てはまる人は他にいないからである。
したがって、賢治は「昭和2年4月18日」時点で露のことを「聖女」と認識していたことがわかる。 
<註三> 再燃したちゑとの結婚話を持ち出して賢治は森荘已池に対して、
 「私は結婚するかもしれません――」と盛岡にきて私に語つたのは昭和六年七月で、東北砕石工場の技師技師となり、その製造を直接指導し、出來た炭酸石灰を販賣して歩いていた。最後の健康な時代であつた。
  <『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)、104p>
と語ったという。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813

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