みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

童話もそのまま還元などできない

2018-11-19 10:00:00 | 蟷螂の斧ではありますが
《自分から仰向けになった「褐色のカマキリ》(平成30年11月2日撮影、イギリス海岸)

鈴木
 ではちょっと飛んで、次は93p~だ。HJ氏はこんなことを書いている。
 戦前の賢治観は友人や教え子たちの語る逸話や証言をもとに…(投稿者略)…偶像化されたきらいがあります。…(投稿者略)…「全人」とよばれ、「賢者」と讃えられ、偶像にまつりあげられましたが、その内面の鬱屈した情念のうずきや、現実と理想の矛盾に傷ついた挫折感や孤独の深さには、目が行き届いていない恨みがあります。(93p~)
そして少し置いて、今度は、
 羅須地人協会時代の奉仕と献身の農村運動も、本質は菩薩道実践の宗教的使命感に促されたものでした。(94p)
と断定している。
荒木
 ここでもまたか。どうしてそう「断定」できるというんだよ。
吉田
 そして次は、
 彼ほど農村の実情を知り、農民を愛した人はいないでしょう。(95p)
と書いてある。
鈴木
 はっきり言って、「彼ほど農村の実情を知り、農民を愛した人はいない」という事実は、私が調べてきた限りではあり得ない。だから、バイアスがかかりすぎだと私は言いたい。
吉田
 まあ、この個所は断定していないからこれでいいとしても、少し置いて今度は、
 地方在住の一人の農村インテリとして、彼ほど時代の矛盾や限界に誠実に耐えた存在は少ない。(同)
とまた断定している。ただただ、観念的な言葉を羅列しているだけで、その根拠も、理由も、そして具体的な実践例もなにひとつ示さずにだ。
荒木
 だから、申し訳ないが、同氏の一連の解説に俺は説得力を感じられん。似たようなことばっかり繰り返すだけで、深まっていない。逆に、「誠実に耐えた」の「誠実に」という修飾の仕方にかえってなんか胡散臭さを感じてしまうんだな。
吉田
 また、「彼ほど時代の矛盾や限界に誠実に耐えた存在は少ない」と同氏は言うが、この表現だと賢治がそのような人物の頂点だということになるが、当時はそのような人物、あるいはそれ以上の人物が少なからずいた時代のはずだ。
鈴木
 実際、そのような「存在」としては、例えば松田甚次郎がいるし、犬田卯もいる。あるいは、農村インテリとは言えないにしてもそれに近い人物土田杏村もいると私は言いたい。そして、はたしてこれらの人物に比して、賢治ほど「時代の矛盾や限界に耐えた存在は少ない」と言えるのだろうかと問いたい。私の知る限りでは、実践では到底松田甚次郎犬田卯に敵わないし、理論的には在野の哲学者土田杏村の方が勝るとも劣らないはずだ
吉田
 ちょっと待てちょっと待って。そうか、同氏はこのような考え方をしていたのか。少し置いてここにこんなこと、
 こうした賢治の精神を、彼の作品に即して具体的に確かめたいという人には、彼の童話作品、なかんずく、「銀河鉄道」と「風の又三郎」と「グスコーブドリの伝記」の三篇の代表作を読むことをすすめたい。
ということを書いている。これで大体解った。同氏は賢治の作品をそのまま還元することによって、「地方在住の一人の農村インテリとして、彼ほど時代の矛盾や限界に誠実に耐えた存在は少ない」と断定した蓋然性が低くない、ということがだ。
荒木
 所詮、作品は創作であり、そこに書いてあることが検証できたり、裏付けが取れたりした場合はさて措き、それらをせずにそのまま童話を還元することなどできない、ということは当たり前のことだと俺でさえも認識してるんだがな。
吉田
 そこでだ、HJ氏のこの本は荒木も指摘しているとおり、ここまではほぼトートロジーだし、これからも似たり寄ったりの虞が大だから、もうこの本についてあれこれ言うのはもう止めないか。
 それよりは、このような偉い賢治研究家が同じことを繰り返し言い続けた結果、それがあたかも事実であったかのごとくに世間は受容して、それが児童や子どもたち向けの本などでも踏襲された危険性大だ。そして、そのような本を読んだ純真な子どもたちは、そう、ちょうど鈴木と同じように、「賢治は、貧しい農民たちのために自分の命を犠牲にしてまでも献身しようとした天才詩人であり童話作家である」と思い込んでしまった、ということが十分にあり得たし、これからも続くかもしれないからな。どうだ、そのことを今度は話し合ってみようよ。
鈴木
 そうだね、吉田の言うとおりだな。
荒木
 うんだ。そうすっぺ、そうすっぺ。 

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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