みちのくの山野草

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賢治と中舘武左衛門

2019-02-11 18:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

鈴木 いや、実はまだ一つ残ってるんだ。
荒木 えっ、そうなんだ。じゃあもう一踏ん張りしてみっか。
鈴木 ではその最後だが、それは以前、荒木が『そこに露の名が出ているぞ』と教えてくれた『年表作家読本 宮沢賢治』に載っていることに関してだ。
荒木 あっ、そういえばそんなことがあったな。
鈴木 念のため、当該個所をもう一度見てみよう。昭和7年6月の出来事の一つとして、このようなことがそこには述べられている。
 二二日 中舘武左衛門(盛岡中学の先輩で、自称「行者」)宛返書。賢治の病気の原因が、父母に背いたことや女性との関係にあるというような内容の手紙がきたらしい。「大宗教」の教祖、中舘に対して、言葉は丁寧だが厳然たる調子で反発している。
             <『年表作家読本 宮沢賢治』(山内修編著、河出書房新社) 197pより>
荒木 そうそう思い出した。ここには露の名は出てこないが、その頁の下段のところに註釈があってそこに露の名が出ていたはずだ。どれどれ、やはり
 一時噂のあった高瀬露との関係についても「終始普通の訪客として遇したるのみ」と一蹴している。普通こうした中傷めいたことは、一笑に付して黙殺するはずだが、わざわざ反論しているのは、妹の死・父母への反抗・高瀬との関係、それぞれが、賢治の心の傷だったからかも知れない。
             <『年表作家読本 宮沢賢治』197pより>
となっている。
吉田 なお、賢治は『昭和二年日記』の断片の1月7日(金)分に、
中館(ママ)武左エ門、田中縫次郎、照井謹二郎、伊藤直美等来訪
              <『校本全集第十二巻(上)』(筑摩書房)409pより>
と書いていて、中舘は正月松の内に下根子桜の賢治の許を訪れるような人物でもあった。
鈴木 ところがそのような間柄の中舘に対して宛てた「返書」、正確には「返書の下書」なのだが、これが全く賢治らしからぬものなんだな。
荒木 えっ、賢治らしからぬとな。
鈴木 ちなみにそれは、昭和7年6月22日付中舘宛書簡下書〔422a〕のことであり、
  中舘武左衛門様                          宮沢賢治拝
     風邪臥床中鉛筆書き被下御免度候
拝復 御親切なる御手紙を賜り難有御礼申上候 承れば尊台此の度既成宗教の垢を抜きて一丸としたる大宗教御啓発の趣御本懐斯事と存じ候 但し昨年満州事変以来東北地方殊に青森県より宮城県に亘りて憑霊現象に属すると思はるゝ新迷信宗教の名を以て旗を挙げたるもの枚挙に暇なき由佐々木喜善氏より承はり此等と混同せらるゝ様有之ては甚御不本意と存候儘何分の慎重なる御用意を切に奉仰候。
 次に小生儀前年御目にかゝりし夏、気管支炎より肺炎肋膜炎を患ひ花巻の実家に運ばれ、九死に一生を得て一昨年より昨年は漸く恢復、一肥料工場の嘱託として病後を働き居り候処昨秋再び病み今春癒え尚加養中に御座候。小生の病悩は肉体的に遺伝になき労働をなしたることにもより候へども矢張亡妹同様内容弱きに御座候。諸方の神託等によれば先祖の意志と正反対のことをなし、父母に弓引きたる為との事尤も存じ候。然れども再び健康を得ば父母の許しのもとに家を離れたくと存じ居り候。
 尚御心配の何か小生身辺の事別に心当たりも無之、若しや旧名高瀬女史の件なれば、神明御照覧、私の方は終始普通の訪客として遇したるのみに有之、御安神願奉度、却つて新宗教の開祖たる尊台をして聞き込みたることありなどの俗語を為さしめたるをうらむ次第に御座候。この語は岡つ引きの用ふる言葉に御座候。呵々。妄言多謝。  敬具
             <『新校本全集第十五巻 書簡本文篇』(筑摩書房)407p~より>
というものだ。
吉田 最初は「御親切なる御手紙を賜り」と慇懃に始まったと思いきや、最後はなんと、吃驚仰天「呵々。妄言多謝」という皮肉たっぷりの言葉で賢治は締めくくっている。
荒木 いくら賢治とはいえども、盛岡中学の先輩に対して「この語は岡つ引きの用ふる言葉に御座候。呵々。妄言多謝」と言うのもな。俺が今まで抱いていた賢治のイメージとは程遠い。
鈴木 ところが米田利昭はこの「書簡下書」について、「まじめに対応し、真実を吐露した手紙である」とか、「こんな相手にではあってもわるびれずに真実を告げている」(『宮沢賢治の手紙』(米田利昭著、大修館書店)271pより)と…
荒木 えっ、いくらなんでもそれはないべ。ちょっと良心的過ぎるよその見方は。
吉田 そうだよな。仮に賢治を振り子に例えてみれば、〔聖女のさましてちかづけるもの〕で極端にまで振れ、そして〔雨ニモマケズ〕でその対極に振れ、またこの書簡下書〔422a〕では元の極に戻ったような振れ方をしているということであり、賢治って感情の起伏がかなり激しかったという見方の方が妥当だろう。
鈴木 そうそう、そのことについては菊池忠二氏も、
 これらの回想の中で、私が意外に思ったのは、隣人として、また協会員としての伊藤さんが、賢治のところへ気軽に出入りすることができなかったということである。
「賢治さんから遊びに来いと言われた時は、あたりまえの様子でニコニコしていあんしたが、それ以外の時は、めったになれなれしくなど近づけるような人ではながんした。」というのである。
 同じような事実は、その後高橋慶吾さんや伊藤克己さんからもたびたび聞かされた。
「とても気持ちの変化のはげしい人だった」という話なのだ。
             <『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)36pより>
と述べている。
荒木 どうやら、かつての俺の抱いていた賢治のイメージとは正反対だが、これも本当の賢治の姿だったとそろそろ受け容れるべきだということかもしれんな。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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