みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「お明神様の湧水」へ(2/10)

2019-02-12 08:00:00 | 賢治関連
 堤防をそのまま北上し、「お明神様の湧水」へ向かう。
 堤防東側には北上川が流れその向こうには
《1 胡四王山、権現堂山、鶏頭山、早池峰連巓、旧天山等》(平成31年2月10日撮影)

《2 薬師岳も見える》(平成31年2月10日撮影)

《3 左から鶏頭山、中岳、早池峰山、薬師岳》(平成31年2月10日撮影)

《4 》(平成31年2月10日撮影)

《5 》(平成31年2月10日撮影)

《6 「お明神様の湧水」》(平成31年2月10日撮影)


 賢治の妹岩田シゲ(私の恩師岩田純蔵教授の母堂)が、「思い出の記」の中で、
 その年(大正11年のこと)の七月頃だつたと思いますが、病氣の姉をいまの碑の建つているところの家へ移すことになりました。母が姉の看病疲れで弱つているので、若い看護婦さんと付き添いのおきよさんと私が泊まることになりました。私は食欲のない姉の食事拵らえが役目でしたが、夜は農學校から歸った兄が泊まることになりました。そのころの兄は書き度いことが次から次へと湧き出すようで、それがとてももどかしくていちいち字にしていられないというようなときも多かった樣でした。
 或る日、すつかり勞れ切つたように見える兄を慰めるつもりで、「脳味噌を洗つてあげましようか。」と申しました。兄は思いがけない樣でしたが、「今日はひどい面しているが?」ときまり惡そうに言いました。
「あん、いまお明神樣の湧水で腦味噌をよく冷やして、洗つてあげるから。」と言つて、先ず兄の頭の錠を靜かに外して手際よく頭蓋骨の蓋を明け、透きとおつた硝子の入れものに腦を移して湧水につけることにしました。腦にくつついた何かもやもやしたものが、すうすうと流れていつて熱つぽかつた腦が硝子の中で冷えています。隣室の姉もついに笑つて、「ついでに頭の椀コも洗えばいい。」と言いましたのでそれも洗い、綺麗になった腦味噌をまた大事に椀コに入れて蓋をして、皮をかぶせてスーツと撫でて取り付けて「それ氣持ちがよくなったでしよう。」といいました。兄も姉も私も皆スーツとして晴ればれと樂しく笑いました。こんな冗談が非常に兄を喜ばせたり、力付けたりしたことを先頃のことのように思い出すのでございます。
            <『宮澤賢治硏研究』(草野心平編、筑摩書房、昭和33年)230p>
と追想しているが、これがその「お明神様の湧水」である(この清水は「桜の瀧清水」あるいは「桜のお明神さま」とも呼ばれるという)。

 続きへ
前へ 
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 賢治と中舘武左衛門 | トップ | 昭和7年、賢治遠野へ露を訪ね... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢治関連」カテゴリの最新記事