気の向くままに

山、花、人生を讃える

『いのちの森の台所』

2010年08月21日 | 読書
久し振りの更新です。

昨日家内が、「良かったらどうぞ」と言って本を手渡すので、見ると、佐藤初女さんの『いのちの森の台所』という本でした。

佐藤初女さんは、地球交響曲第二番を見てはじめて知った人ですが、明日22日にはその映画をもう一度見に行く予定なので、家内は図書館でその本を見つけて借りてきたようです。

佐藤初女さんはこの映画で紹介されてからは、あちらこちらから講演依頼が来るようになり、またマスコミにも出ておられるようだから御存知の方も多いかもしれませんね。

「地球交響曲」という映画は、いろいろな形で霊的な人生を送っている人たちを紹介するドギュメンタリー映画で、一本に4、5人の出演者がありますが、この佐藤初女さんは映像が美しかったせいもあって最も感動した人でした。

心のこもった料理を作る人らしく、この佐藤初女さん手作りのものをいただくと、皆さんがそのおいしさに感動し、人生に疲れきった人たちまでが癒されてしまうらしい。

映画の中では、(記憶ですが)
「夜中でも漬物の声が聞こえてくる。漬物が『重いよ~』と言うんですね。すると夜中でも起きていって、漬物石の重さを変えてやるんですよ。だから、漬物石も重いものから軽いものまで十種類以上もあるんですよ」というようなことを話しておられました。

また、この人の握ったおにぎりを食べて、そのおいしさに感動して、自殺を思いとどまった人もあるという話も紹介されていました。

佐藤さんはカトリックを信仰する人ですが、短大で染物実習の講師をしていたらしい。そして自宅には染物工房の一室があり、或る時、「狭くてもよい、ここにどなたをも暖かく迎え入れよう」と決意されたとのこと。それからいろいろな人が訪れるようになり、やがて手ざまになり、多くの人に支援されて家が増築され、「弘前イスキア」と名前もつけられました。

当時はサラ金問題が多発していた時だそうで、暴力団から逃れるようにしてここへやって来る人も多かったそうです。それも近隣からばかりでなく、遠くは沖縄からも。そして、このような人たちを長期滞在させるには限界があり、「自然の中にみんなが集い、安らげる場があれば・・・」と切に願うようになったとのこと。

そして、資金があったわけでもないのに、いろいろなたくさんの人からの支援があり、ついに念願のその為の土地も購入でき、やがては人々を招き入れる建物も立ちました。これが有名な「森のイスキア」と呼ばれるものですが、青森県の名山、岩木山山麓の一画にあり、映画では上空から写したカットがありましたが、一面に森が広がる一度見たら忘れられないほどのとても美しい光景でした。

佐藤初女さんは小学校の頃から、教会の鐘の響きにとても心を惹かれていたらしく、この「イスキアの森」にも、そんな美しい音色を響かせてくれる鐘が欲しいと願っておられました。そんな初女さんの願いを知った或る人が、アメリカへ行った時にそんな鐘がないだろうかと心当たりを探ってくれ、細かいことは忘れましたが、ともかくそんな話を聞いた或る修道院の院長さんが、保管されていた由緒ある鐘を贈ってくれることになりました。

映画では、イスキアの森と佐藤初女さん、そしてアメリカの修道院とその院長さんを交互に映しながら、それぞれのインタビューの声を聞かせてくれるのですが、人種が違っても、まるで姉妹のように共通した美しさがあって、遠く隔たっていても「通い合うこころ」をまざまざと実感させてくれる本当に美しいシーンでした。(お二人は当時で、70歳、80歳ぐらいだろうか)

この地球交響曲という映画は、知らなかったのですが、海外のいろんな国でも上映されているようですね。そして、海外からも初女さんへの講演依頼が少なくないようだし、また「森のイスキア」を訪れる外国人も少なくないようです。

家内に本をわたされた時、読んでいる最中の本があったし、またこれからも読みたい本があったので、一旦は「読まないよ」と返したのですが、思いなおして、せっかくなので拾い読みぐらいしてみようかと思い、途中のページを開いて拾い読みをはじめたのですが、たちまち引き付けられて、すぐ最初から読み始めました。

難しいことは何も書いてないのに、何処を開いても癒しに充ちていて、どうしてだろう?どこが違うのか?と不思議でした。

「木は生きている。生きているものに釘を使うなんて、生きている木を殺すようなものだ」と言ったのは、有名な宮大工棟梁の西岡常一さん。

佐藤初女さんは「食材は生きている。それを生かして使うよう工夫すればおいしくなる」と言う。
佐藤さんの一言一言に、「命」という言葉の奥にある、その「いのち」を感じさせてくれる本でした。

巻末を見ると、今年発行されたばかりの本で、初女さんは89歳になられるようです。
今年の新緑の頃に書かれた「おしまいに」の挨拶文の中には「神のはからいは限りなく」という言葉があって、その実感のこもった美しい言葉にまた感動させられました。
そして、ご健在なのを知って嬉しくなりました。

最後に、巻頭に掲載されていた小学校五年生、吉田 健君の詩が素晴らしいのでここへも書かせてもらいます。

  
   ≪仕事≫  吉田 健

   仕事は大変だ。
   なのに、つけもの石くんも、
   電信柱くんも、ふすまくんもがんばっている。
   つけものいしくんは、いっしょうけんめい長~い間すわっているし、
   電信柱くんは、雨がふっても、雪がふってもたっている。
   ふすまくんも、風を止めて、人がきたらちゃんとどく。
   なのに人間は仕事をやるのに、もんくをつけたりする。
   仕事はなかなかできるものではない。


これは学校の宿題で書かれたものとのこと。
そして、その吉田 健君は大学四年生の時に急逝されたのだそうです。

そう言えば、先日、高校の同級生の訃報が届いて、それに対する同級生たちの返信もパソコンのメールに届いて、それを読みながらとても懐かしくなりました。

止まらなくなりそうなので、この辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございました。