先の記事を書いた時は、まだこの本の2/3ぐらいを読んだところで、後の1/3は未読で、記事を書いてから残りを読みました。
その残りの方に、あの鐘を送ってくれたアメリカの修道院の院長と実際にお逢いになったときのことが書かれていたので、それを書きたくなったのでまた書かせてもらっています。
初女さんと有志が、1999年の秋にお礼と報告のために鐘を贈ってくれた修道院を訪れることになったそうですが、初女さんはその直前になって体調をくずし、ご自身は同行できなかったとのこと。
しかし、「地球交響曲」の英語版を見た修道院の創設者でもあるベネディクト院長が、「初女さんに会いに日本へ行きたい。この修道院を創設したとき以来の強い促しを感じる」と言って、とうとう向こうから、本当に「イスキアの森」を訪問してくれたのだそうです。
これは戒律の厳しいベネディクト派では考えられないことであり、また遠い日本の一信徒への訪問はカトリック教会としては前例のないことだそうです。
その二人のご対面時の様子が次のように書かれていました。
○森のイスキアに到着された院長さまは、じっとイスキアの森の小さな家を眺められたあと、私の目をみつめて、「あなたは苦しみましたね」とおっしゃいました。
「わかりますか?」と尋ねると、
「わかります。私も苦しみました」
そうゆっくりした口調でおっしゃいました。
とのこと。
これには「へー!」と感心しました。
私などはその顔からはやさしさや芯の強さ、高潔さは感じられても、苦しみを乗り越えてきた人とはまるで想像できませんでした。「肝胆相照らす」とはこんなことかと思いました。
続いて次のように書かれています。
○そのとき、院長さまは数えで90歳、車椅子を使われているにもかかわらず、イスキアの階段を手すりにつかまりながらひとりで上がられて、
「私には勇気がありますから大丈夫です」と微笑まれました。
そんなふとした言葉や行動にも、とても通じるものを感じました。言葉を超えて、こころとこころで通じ合っていたと思います。
このように、90歳でしかも車いすを使われているぐらいなのに、わざわざアメリカから来られたんですね。本当に強い衝動があったのだと思います。
そして、普段通りの料理でもてなしたところ、「一食が一日分あるようです」と言いながらも、全部食べられたとのこと。そして次の日のこと、
○送っていただいた鐘を「二人で鳴らしたい」と強く希望して下さり、一緒に打てたことは、素晴らしい体験でした。あの時の鐘の音は、今も私の心の中で美しく響いています。
と、ありました。
初女さんが80歳を過ぎてからは、死についてどんなことを考えているか?とよく聞かれるそうですが、
初女さんは後のことは何も考えていないそうで、ただ、「今を生きる」ことだけを心掛けていられるとのこと。
そして、「何かのお役に立ちたいのですが・・・」という相談にも、それは、しょうと思ってできることでなく、ただ、今自分にできることを一生懸命やっていくうちに、自然に物事が動いていくと答えておられ、「今を生きる」という言葉を他の相談にも繰り返し使っておられました。
また、父親が事業に失敗し、その心労から若いころに、笑うだけでも血管が切れるという胸の病気を患い、17年もの闘病生活を送られたとのこと。それでも結婚を申し込まれ、結婚してから、そんな病弱では危険だから子供を産んではいけないと医者からも止められていたそうですが、腹の中に大丈夫という確信があり、お子さんを産まれたとのこと。
その病気から完全に立ちあがるきっかけになったのは、どなたからいただいた旬のおいしい食事からだそうで、その時に身体の細胞から元気が湧き出してくるように感じられ、そこから本当に「生きよう」という強い気持ちが湧いてきたとのことでした。(医者が処方してくれる薬は、良くなる兆しもないし、苦くて飲みたくないので、こっそり棄てていたとのこと)
そして、「食はいのち、食材もいのち」と感得されたようで、以後、薬の世話にはならず、風邪をひいて痰や咳が出ても、出るものが出てしまえば治る、で来られたそうです。
おむすび一つについても、米のとぎ方、水加減、握り方など、一つ一つの工程に生き届いた心配りが書かれていて、料理に縁のない私にもとても興味あるものでした。そして、「お米の一粒一粒が呼吸できる程度に握る」という言葉には、本当にお米のいのちを感じておられるんだなあと感動させられました。
一人の息子さんがあったのですが、その息子さんがまだ若いうちに亡くされているようです。
最後に、「人も野菜も透明がいい」という小見出しにあった感動した話を・・・。
最近は“ゆでる”ばかりになって“ゆがく”という言葉は聞かなくなりましたが、“ゆでる”と“ゆがく”は違うらしい。そして、初女さんは言う。
たっぷりのお湯の中で野菜をゆがいていると、緑が鮮やかになる瞬間があり、その時には茎が透明になる。その時に火を止めて冷やして食べるとおいしい。特にブロッコリーや小松菜は緑鮮やかに、そして茎が透明になる瞬間がよくわかる。
キャベツやゴボウなどを炒めているときにも、透き通ってくる瞬間があり、その時に味をつけて火を止め、しばらく休ませておくと味がしみ込んで、歯ごたえも良く、香りのよい炒めものが出来る、とのこと。
そしてその後、次のように書かれていました。
○透明になるときは、野菜のいのちが私たちのいのちとひとつになるために生まれ変わる瞬間、いのちのうつしかえのときです。いのちが生まれ変わる瞬間には、すべてが透き通るんですよ。セミやザリガニが脱皮するときも、蚕がさなぎに変わるときも、透き通っているそうです。
と、ありました。
素晴らしいお話ですね。感動しました。
「地球交響曲」の監督、滝村 仁さんの「ガイアのささやき」という本の中には、人間に捉えられて動物園で飼育されるようになった動物が、ある瞬間――例えば調教師と心が通い合った瞬間など――これらの動物たちが捉われの身になったことを受け入れ、「人間の役に立つなら訓練を受け入れよう」と覚悟を決めたとしか思えない、そういう変化の瞬間があると多くの調教師が語っている、という話を思い出しました。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
その残りの方に、あの鐘を送ってくれたアメリカの修道院の院長と実際にお逢いになったときのことが書かれていたので、それを書きたくなったのでまた書かせてもらっています。
初女さんと有志が、1999年の秋にお礼と報告のために鐘を贈ってくれた修道院を訪れることになったそうですが、初女さんはその直前になって体調をくずし、ご自身は同行できなかったとのこと。
しかし、「地球交響曲」の英語版を見た修道院の創設者でもあるベネディクト院長が、「初女さんに会いに日本へ行きたい。この修道院を創設したとき以来の強い促しを感じる」と言って、とうとう向こうから、本当に「イスキアの森」を訪問してくれたのだそうです。
これは戒律の厳しいベネディクト派では考えられないことであり、また遠い日本の一信徒への訪問はカトリック教会としては前例のないことだそうです。
その二人のご対面時の様子が次のように書かれていました。
○森のイスキアに到着された院長さまは、じっとイスキアの森の小さな家を眺められたあと、私の目をみつめて、「あなたは苦しみましたね」とおっしゃいました。
「わかりますか?」と尋ねると、
「わかります。私も苦しみました」
そうゆっくりした口調でおっしゃいました。
とのこと。
これには「へー!」と感心しました。
私などはその顔からはやさしさや芯の強さ、高潔さは感じられても、苦しみを乗り越えてきた人とはまるで想像できませんでした。「肝胆相照らす」とはこんなことかと思いました。
続いて次のように書かれています。
○そのとき、院長さまは数えで90歳、車椅子を使われているにもかかわらず、イスキアの階段を手すりにつかまりながらひとりで上がられて、
「私には勇気がありますから大丈夫です」と微笑まれました。
そんなふとした言葉や行動にも、とても通じるものを感じました。言葉を超えて、こころとこころで通じ合っていたと思います。
このように、90歳でしかも車いすを使われているぐらいなのに、わざわざアメリカから来られたんですね。本当に強い衝動があったのだと思います。
そして、普段通りの料理でもてなしたところ、「一食が一日分あるようです」と言いながらも、全部食べられたとのこと。そして次の日のこと、
○送っていただいた鐘を「二人で鳴らしたい」と強く希望して下さり、一緒に打てたことは、素晴らしい体験でした。あの時の鐘の音は、今も私の心の中で美しく響いています。
と、ありました。
初女さんが80歳を過ぎてからは、死についてどんなことを考えているか?とよく聞かれるそうですが、
初女さんは後のことは何も考えていないそうで、ただ、「今を生きる」ことだけを心掛けていられるとのこと。
そして、「何かのお役に立ちたいのですが・・・」という相談にも、それは、しょうと思ってできることでなく、ただ、今自分にできることを一生懸命やっていくうちに、自然に物事が動いていくと答えておられ、「今を生きる」という言葉を他の相談にも繰り返し使っておられました。
また、父親が事業に失敗し、その心労から若いころに、笑うだけでも血管が切れるという胸の病気を患い、17年もの闘病生活を送られたとのこと。それでも結婚を申し込まれ、結婚してから、そんな病弱では危険だから子供を産んではいけないと医者からも止められていたそうですが、腹の中に大丈夫という確信があり、お子さんを産まれたとのこと。
その病気から完全に立ちあがるきっかけになったのは、どなたからいただいた旬のおいしい食事からだそうで、その時に身体の細胞から元気が湧き出してくるように感じられ、そこから本当に「生きよう」という強い気持ちが湧いてきたとのことでした。(医者が処方してくれる薬は、良くなる兆しもないし、苦くて飲みたくないので、こっそり棄てていたとのこと)
そして、「食はいのち、食材もいのち」と感得されたようで、以後、薬の世話にはならず、風邪をひいて痰や咳が出ても、出るものが出てしまえば治る、で来られたそうです。
おむすび一つについても、米のとぎ方、水加減、握り方など、一つ一つの工程に生き届いた心配りが書かれていて、料理に縁のない私にもとても興味あるものでした。そして、「お米の一粒一粒が呼吸できる程度に握る」という言葉には、本当にお米のいのちを感じておられるんだなあと感動させられました。
一人の息子さんがあったのですが、その息子さんがまだ若いうちに亡くされているようです。
最後に、「人も野菜も透明がいい」という小見出しにあった感動した話を・・・。
最近は“ゆでる”ばかりになって“ゆがく”という言葉は聞かなくなりましたが、“ゆでる”と“ゆがく”は違うらしい。そして、初女さんは言う。
たっぷりのお湯の中で野菜をゆがいていると、緑が鮮やかになる瞬間があり、その時には茎が透明になる。その時に火を止めて冷やして食べるとおいしい。特にブロッコリーや小松菜は緑鮮やかに、そして茎が透明になる瞬間がよくわかる。
キャベツやゴボウなどを炒めているときにも、透き通ってくる瞬間があり、その時に味をつけて火を止め、しばらく休ませておくと味がしみ込んで、歯ごたえも良く、香りのよい炒めものが出来る、とのこと。
そしてその後、次のように書かれていました。
○透明になるときは、野菜のいのちが私たちのいのちとひとつになるために生まれ変わる瞬間、いのちのうつしかえのときです。いのちが生まれ変わる瞬間には、すべてが透き通るんですよ。セミやザリガニが脱皮するときも、蚕がさなぎに変わるときも、透き通っているそうです。
と、ありました。
素晴らしいお話ですね。感動しました。
「地球交響曲」の監督、滝村 仁さんの「ガイアのささやき」という本の中には、人間に捉えられて動物園で飼育されるようになった動物が、ある瞬間――例えば調教師と心が通い合った瞬間など――これらの動物たちが捉われの身になったことを受け入れ、「人間の役に立つなら訓練を受け入れよう」と覚悟を決めたとしか思えない、そういう変化の瞬間があると多くの調教師が語っている、という話を思い出しました。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。