ゴミ拾いをしていとき、「ご苦労様ですね」と最近よく声をかけられる。
声をかけられるようになったのは先月の中頃からで、それ以前の2ヶ月以上は一度もそんなことはなかった。10月中旬を境にして、急にそんなふうになってきたので、ちょっと不思議な感じがしていた。
考えて見るに、
はじめの頃は、「あの人、何をしているのだろう?変わった人がいるもんだ」と、変人を見るような目で見ていた。
(わたし自身も変人に見られそうで、少しばかり恥ずかしい気持ちがあった)
そして、だんだん見慣れて来て、変人から感心なことだ、というように見方が変わって来て、声をかけられるようになった、と想像した。
と、云うことであれば、ゴミ拾いのような小さなことでも、「変人」から「感心なことだ」と見方が変わるまで、およそ2ヶ月かかる、ということかもしれないと、面白いものを発見した気持ちになった。
「ご苦労様ですね」声をかけられても返事に困り、「いや、暇つぶしです」とぶっきらぼうに答えるよりなかったが、今はそれにも慣れてきたので、これからは「ご苦労様です」と声をかけられたら、「はい、ゴミ奉行ですから」と、言ってみようかな。
昨日は、道を隔てた隣の主人に貸していた徳久先生のテープ3巻を、貸してから2週間にもなるので、サービスでくれた、と勘違いされたのではないかと心配になり、代わりにダビングしてあった他のテープを持って、返してもらいに行った。
すると、主人曰く。
「面白いから、毎日聞いているよ」とのこと。それで、「あのテープは23巻まであるからまた貸しますよ」といって帰ったのだが、その「面白いから、毎日聞いているよ」の言葉につられて、自分もまた聞いてみる気になって聞いたら、やっぱり面白くて、夕食後、続けて2巻(3時間)聞いてしまった。
聞いている方も多いと思いますが、ブラジルで徳久先生が本人から直接聞いた話として紹介されている、
移民した生長の家の信徒さんが、病気で倒れている牛を『甘露の方雨』を読んで治した話。
倒れている牛の前、つまり庭で『甘露の方雨』を読んでいると、いつの間にか、背後には「何をしているんだ?」というわけで人が集まって来ている。もう『甘露の方雨』を3回もあげている。
その人だかりの中には息子がいて、人々が「ブラジルの牛じゃないか、お経か何か知らんが、日本語でブラジルの牛に読んだって分かるもんか」などと言っているのを聞いた。
心配になった息子が、『甘露の方雨』を読んでいるお父さんに、みんなこう言ってるよ、と知らせた。
それを聞いたお父さん、「ここで、もし治らないようなことがあれば、日本の恥だ!」と思い、意を決して立ち上がり、『甘露の方雨』を、倒れている牛の頭から尻尾まで丁寧にさするような気持ちでかざしていった。そして、もう1回読んで、最後に「プロンプト!」(終了の意)と叫んだ。
その瞬間、牛が立ちあがって、それっきり元気になったとのことで、以来、豚の病気や、鶏が卵を産まなくなったことまで、いろいろ頼まれるようになったという話。
「ブラジルの牛じゃないか、お経か何か知らんが、日本語でブラジルの牛に読んだって分かるもんか」というところなどは、徳久先生の話しぶりも相まって、いつもながら、吹き出してしまう。
話は変わりますが、
これを書き始める前、テープを聞いていたら『礼拝主義』と云う言葉が出てきました。
いい言葉だなあと思いました。
生長の家に触れた頃、3回飛田給の練成を受け、わたしにも、合掌するということがいかにも人間の自然な姿に感じられるようになりました。
といっても、普段はそんなことはすっかり忘れていますが、その気持ちは心には残っているので、50歳ごろだったか、思いついて、朝、家内に合掌して「おはようございます」と、言うようになった。
とは言っても、この頃は半ば形式的になっていますが、しかし考えようによっては、はじめは奇異だったものが、形式化といえるほど自然になっているのは、ある意味では立派なことだと褒めてやりたい。
が、それはいいとしても、小さなことで時に腹立て、素晴らしき我が奥様に不平を言っているようでは・・・・と反省。
しかし、心ではほんと感謝しているから、かんべんね。
わが奥がたは、間違いなく私が選んだ日本一です。
わが奥がたは、間違いなく私が選んだ日本一です。
やあ、とうとう言ったぞ!
これで、奥がたの前でも言えるかな。
声をかけられるようになったのは先月の中頃からで、それ以前の2ヶ月以上は一度もそんなことはなかった。10月中旬を境にして、急にそんなふうになってきたので、ちょっと不思議な感じがしていた。
考えて見るに、
はじめの頃は、「あの人、何をしているのだろう?変わった人がいるもんだ」と、変人を見るような目で見ていた。
(わたし自身も変人に見られそうで、少しばかり恥ずかしい気持ちがあった)
そして、だんだん見慣れて来て、変人から感心なことだ、というように見方が変わって来て、声をかけられるようになった、と想像した。
と、云うことであれば、ゴミ拾いのような小さなことでも、「変人」から「感心なことだ」と見方が変わるまで、およそ2ヶ月かかる、ということかもしれないと、面白いものを発見した気持ちになった。
「ご苦労様ですね」声をかけられても返事に困り、「いや、暇つぶしです」とぶっきらぼうに答えるよりなかったが、今はそれにも慣れてきたので、これからは「ご苦労様です」と声をかけられたら、「はい、ゴミ奉行ですから」と、言ってみようかな。
昨日は、道を隔てた隣の主人に貸していた徳久先生のテープ3巻を、貸してから2週間にもなるので、サービスでくれた、と勘違いされたのではないかと心配になり、代わりにダビングしてあった他のテープを持って、返してもらいに行った。
すると、主人曰く。
「面白いから、毎日聞いているよ」とのこと。それで、「あのテープは23巻まであるからまた貸しますよ」といって帰ったのだが、その「面白いから、毎日聞いているよ」の言葉につられて、自分もまた聞いてみる気になって聞いたら、やっぱり面白くて、夕食後、続けて2巻(3時間)聞いてしまった。
聞いている方も多いと思いますが、ブラジルで徳久先生が本人から直接聞いた話として紹介されている、
移民した生長の家の信徒さんが、病気で倒れている牛を『甘露の方雨』を読んで治した話。
倒れている牛の前、つまり庭で『甘露の方雨』を読んでいると、いつの間にか、背後には「何をしているんだ?」というわけで人が集まって来ている。もう『甘露の方雨』を3回もあげている。
その人だかりの中には息子がいて、人々が「ブラジルの牛じゃないか、お経か何か知らんが、日本語でブラジルの牛に読んだって分かるもんか」などと言っているのを聞いた。
心配になった息子が、『甘露の方雨』を読んでいるお父さんに、みんなこう言ってるよ、と知らせた。
それを聞いたお父さん、「ここで、もし治らないようなことがあれば、日本の恥だ!」と思い、意を決して立ち上がり、『甘露の方雨』を、倒れている牛の頭から尻尾まで丁寧にさするような気持ちでかざしていった。そして、もう1回読んで、最後に「プロンプト!」(終了の意)と叫んだ。
その瞬間、牛が立ちあがって、それっきり元気になったとのことで、以来、豚の病気や、鶏が卵を産まなくなったことまで、いろいろ頼まれるようになったという話。
「ブラジルの牛じゃないか、お経か何か知らんが、日本語でブラジルの牛に読んだって分かるもんか」というところなどは、徳久先生の話しぶりも相まって、いつもながら、吹き出してしまう。
話は変わりますが、
これを書き始める前、テープを聞いていたら『礼拝主義』と云う言葉が出てきました。
いい言葉だなあと思いました。
生長の家に触れた頃、3回飛田給の練成を受け、わたしにも、合掌するということがいかにも人間の自然な姿に感じられるようになりました。
といっても、普段はそんなことはすっかり忘れていますが、その気持ちは心には残っているので、50歳ごろだったか、思いついて、朝、家内に合掌して「おはようございます」と、言うようになった。
とは言っても、この頃は半ば形式的になっていますが、しかし考えようによっては、はじめは奇異だったものが、形式化といえるほど自然になっているのは、ある意味では立派なことだと褒めてやりたい。
が、それはいいとしても、小さなことで時に腹立て、素晴らしき我が奥様に不平を言っているようでは・・・・と反省。
しかし、心ではほんと感謝しているから、かんべんね。
わが奥がたは、間違いなく私が選んだ日本一です。
わが奥がたは、間違いなく私が選んだ日本一です。
やあ、とうとう言ったぞ!
これで、奥がたの前でも言えるかな。
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