気の向くままに

山、花、人生を讃える

親には「大切な宝」

2018年06月13日 | 信仰

8~10日と練成会がありました。例によってわたしは受付で参加者の名前などを入力しながらモニターを通して講話を聴いていました。その中である女性講師がこんな話をしていました。

その講師が生長の家の話を聞くようになって間もないころ、道を歩いているとき友達に出会った。するとその友達Aさんが、

「あなた何か嬉しそうね。いいことがあったの」と聞く。

「いや、別に」と答えると、「でも何か嬉しそうよ」という。

それで、「別に嬉しいことがあったわけではないけど、心が軽くなるような話を聞いたから、それでかな」と答えると、友達は「心が軽くなるような話なら、わたしも聞きたいわ」というので、次の誌友会(例会)の時に彼女も誘って、一緒に話を聞いた。

 

その後、しばらくして、Aさんの家を訪ねると、何人かのコーヒーやお菓子を用意していたので、「お客様が来るの?」と聞くと、その友達はこんな話をしてくれたとのこと。

Aさんには息子がいて、その息子が暴走族のようなグループと付き合っていて、そのことを心配していた。そして、そのグループが息子を誘いに来ないようにと、排斥する気持をもっていた。ところが、彼女が言うには、生長の家の話を聞いてから、そういうように悪く思っていた子供たちも、それぞれの親にとっては大切な子供たちであることに気が付いた。それで、悪い子供ではなく、親にとっては大切な宝だと気づいて、今度来たら、コーヒーとお菓子で歓待しようと思った。それで、いつ来てもいいように準備している、という話だった。

 

それからさらに日がたった。そしてAさんが言うには、コーヒーとお菓子で歓待しようと待っているが、一度も来てくれないとのこと。そして、息子は、これから家の家業を継ぐことを決心してくれたという話でした。

 

「類は類を以て集まる。類でないものは反発する」の見本のような話ですが、それよりも、Aさんが、「悪い仲間」と思っていた子供たちは、それぞれの親から見たら「大切な子供たち」であることに気づき、そして、排斥するのではなく歓待したくなった、というのは本当によい話ですね。感動しながら、自分まで幸せな気分になったことでした。

 

アジサイも、そろそろ終わり。しかし、

○天も地も過ぎ行くが、あなたは過ぎ去らない。 『神との対話』より

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