気の向くままに

山、花、人生を讃える

昨日の1日

2020年10月06日 | 人生

昨日は家内を連れて日赤病院に行った。
先日、家内は息苦しさを感じたらしく、心配して近所の医者に診てもらったのだが、紹介状を書くから詳しく日赤で診てもらった方が良いとのことだったので、昨日診てもらうことになったのだった。

 

結果は「異状なし」ということで安心したが、月曜日ということもあったせいか診察を待つ人が多く、ずいぶん待たされてしまった。予約の時間は10時半だったので10時に着いて、終わったのは14時30分だった。その間近くの店で食事をしたが、その時間を別にしても3時間半は病院内でじっと待ち続けて、剪定の仕事をしているよりも疲れた気がした。

 

待っている間は、イヤホンで自分で朗読して録音した『神との対話』(ニール・ドナルド・ウオルシュ著)をずーと聞いていたので、何だか耳も疲れてしまった。ずーと長い時間きいておられたのは、その対話が素晴らしいからだが、改めて私の心に響いたのは次の箇所だった。少し長くなるが、過去に抜き書きしていたものを掲載させてもらいます。

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神:家庭人にとっては、気を散らすことがいくらでもあり、現世的な心配がいくらでもある。
だが、精神的な美だけを追求する者はそうしたことに煩わされない。
パンと水を携え、粗末なワラ床で休み、祈りと瞑想と神性を思いめぐらすことにすべての時間を捧げる。
そういう環境なら、神性を見ることはどれほど簡単だろう!務めはどれほど単純だろう!
しかし、配偶者があり、子供があったら!
午前3時におむつを変えなければならない赤ん坊に神性を見る。毎月1日に支払わなければならない請求書に神性を見る。
配偶者を襲う病に、奪われた職に、子供の発熱に、親の苦痛に神の手を見る。
それができたら、聖者だろう。
あなたが疲れるのはよくわかる。苦闘にうんざりしているのもよくわかる。
教えてあげよう。わたしに従えば、苦闘は終わる。神の場で暮らせば、すべての出来事が祝福になる。

                                            

ニール:でも、失業して、家賃を払わなければならず、子供は歯医者にかからなければならないとき、どうすれば神の場に着けるのですか。高貴で哲学的な場が、こうした問題を解決してくれるとはとても思えないんですが?

 

神:つらいときには、真の自分を忘れがちになり、自分が選んだ人生を創造するために与えられた道具を忘れがちになる。
今こそ神の場に行くときだ。そこでまず大きな精神の平和が得られる。
平和な精神からは良いアイディアが溢れ出す。
そのアイディアで、あなたが抱えていると思っている問題が解決するかもしれない。
第2に、神の場でこそ、あなたの自己が実現する。それが、あなたの魂の目的、唯一の目的だ。
神の場に入れば、いま経験していることはすべて、かりそめに過ぎないとわかるだろう。
言っておくが、天国も地上も過ぎ去るが、あなたは過ぎ去らない。
この永遠という視点から見れば、ものがよく見えてくる。
現在の状況や環境は、一時的なかりそめのものだと正しく考えられるようになる。
そして、それを道具として使えるようになる。
状況や環境は、現在の経験を創造していくうえでの、一時的なかりそめの道具に過ぎないからである。
あなたは自分を何者だと考えているのか?失業との関連で、自分は何者だと考えているのか?
そして、もっと肝心なことだが、わたしを何者だと考えているのか?
問題が大きすぎて、わたしには解決できないと思うのか?
今の苦境からの脱出という大きな奇跡は、わたしの手には負えないと思っているのか? 

 

ニール:あなたの手に負えないかどうかではなく、あなたが手を出して下さるかどうか確信が持てないんです。

 

神:あなたはわたしの能力を疑っているのではなく、わたしの意図を疑っているということなのだね。

 

まだまだ続くが、ここまで。

 

長い時間ジッとしていて疲れてしまったので、病院から帰ってすぐ、個人的に頼まれているお宅へ伺い、2時間ほど剪定させてもらった。このお宅は知り合いで、いつでも好きな時に来てやってくださいということなので、とてもありがたいのである。
その後は録画した映画「エアーホースワン」を見た。面白かった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

追記:この記事に興味を持たれた方は、合わせて 神様に手紙を書く も読んでいただければうれしい。

 

コメント (8)
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