気の向くままに

山、花、人生を讃える

「学術会議」の件で学んだこと

2020年10月17日 | 社会

日本学術会議が会員として推薦した105人のうちの6人を、総理が任命しなかったことがマスコミの話題になっています。
そして多くの学者やマスコミが、「学問の自由に対する侵害である」と言っている。

 

わたしはこの件がニュースになりはじめた時、「日本学術会議」という組織があるのを初めて知った。だから、学術会議について何の知識もなかった。

 

この時期、菅総理は誕生したばかりなのでマスコミや国民からの注目度が高い。そんな時に、このような批判を浴びやすい、マスコミの格好の餌食となりそうなことをするには、よほどの覚悟であり、きっと「正しい」と信じてのことに違いない、と言うのが私の最初の印象でした。

 

そしてこの自分の印象が果たして正しいのか、それともマスコミが言うように「横暴・独裁的なのか」、大いに関心があって、これに関する識者たちの毎日の記事に眼を通してきました。

 

そして、日本学術会議について知り始めて、だんだん学術会議そのものに問題点があることを知るようになり、更に昨日は、「これだ!」という、自分なりの最終回答を見つけ、それによってもやもやが解消し、すっきりすることが出来ました。以下に何がどうすっきりしたのか、その点について書かせてもらいます。

 

まず私が知った学術会議の問題点ですが、昔から科学者たちの頭脳が戦争兵器開発のため国家に駆りだされ、利用されて来ました。(もちろん、国を愛する気持ちから進んで参加した科学者も多い。ただ、戦後はその事を恥じている人が多いかもしれない)

 

そのような反省から、日本学術会議は、「軍事に利用される研究はしない」という声明を出し、その事に力を入れてきているとのことです。それは私にもよく理解できます。

 

ところが、その一方で、2015年に中華人民共和国の「科学技術協会」と相互協力する覚書を締結しているとのこと。中華人民共和国は一党独裁の国ですから、民間もへったくれもない国です。ですから、いつでも科学者の研究が軍事に利用できるのですから、「軍事に利用される研究はしない」という声明に反すると思う。日本にだけ、これを適用し、覇権主義を地で行くような国と相互協力するなどは、明らかに矛盾であり、ダブルスタンダードと言われても仕方がありません。

 

それに、国基研理事・北海道大学名誉教授の奈良林直と言う人が「学術会議こそ学問の自由を守れ」という記事の中で、こんなことを書いておられました。

○北大は2016年度、防衛省の安全保障技術研究推進制度に応募し、微細な泡で船底を覆い船の航行の抵抗を減らすM教授(流体力学)の研究が採択された。この研究は自衛隊の艦艇のみならず、民間のタンカーや船舶の燃費が10%低減される画期的なものである。このような優れた研究を学術会議が「軍事研究」と決めつけ、2017年3月24日付の「軍事的安全保障研究に関する声明」で批判した。学術会議幹部は北大総長室に押しかけ、ついに2018年に研究を辞退させた・・・と。

もしそれが事実なら、私には、菅総理が任命しなかったことより、こちらの方がよほど横暴なことに思えました。このように、私から見れば、学術会議にはそういう問題点があるのですが、しかし、これを問題とするかどうかは人それぞれというところがあります。それで私はもやもやしていたのですが、昨日、私のそんな気持ちをすっきりさせてくれる記事に出会いました。

 

それは東京大学で宇宙物理学を研究している戸屋友則と言う人が、『天文月報』2019年1月号に寄稿された「学術会議声明批判」と題した記事に書かれているもので、以下は、それを紹介する記事からの引用です。

 

○「いかなる軍事研究も禁止されるべきである(学術会議の声明)」という考えが、現在の研究者あるいは一般社会の間で広くコンセンサスを得ているとは到底思えません。「軍事」と「戦争/平和」の関係はそう単純なものではないでしょう。戦争の惨禍が軍事によって生み出されるのは自明ですが、一方で、パクスロマーナの例を持ち出すまでもなく、平和を生み出し維持するうえでも軍事というものが大きな存在となっていることは、古今東西の人類史を見ても明らかです。

 

○こうした極端に理想的な平和主義は、やはりイデオロギーと呼ぶべきものでしょう。[中略]個人としてどのようなイデオロギーを持とうが勝手ですが、すべての人に一つのイデオロギーを押しつけ、従わない人は審査制度を作って取り締まれというのは、私には「戦前の裏返し」にしか見えません。

 

○安全保障と科学についての議論は、第2次大戦におけるわが国の状況に対する反省から始まっているわけですが、学術界として何を反省すべきかと言えば、それは「軍事研究をしたくない人に強制的にさせてはならない」ということに尽きるのではないでしょうか。・・・引用終わり。

 

そうなんです。引用が長くなりましたが、

「学術界として何を反省すべきかと言えば、それは「軍事研究をしたくない人に強制的にさせてはならない」ということに尽きるのではないでしょうか。

 

私はこれを読ませていただいて、「そうだ、そうだ、まったくその通りだ」と、思ったのでした。

 

≪追記≫
ちなみに、その記事を紹介した記者が、公に学術会議を批判した戸谷教授にその気持ちを尋ねたところ、このような返事が返って来たとのことです。

○学術会議から声明が出て、天文学会でも年長者の先生方が同じ方向で意見をまとめようとする動きがあり、このままでは意見の多様性や研究の自由が縛られるという印象を持った。特に、若手の研究者の間に萎縮して意見を言えないような雰囲気があって、私のような世代(編注・戸谷教授は48歳)が代弁すべきと思ったのです。若手からは『よくぞ書いてくれた』、年長者のある先生からは『反省したよ』と言われました。・・・と話されたとのことです。

 

コメント (2)
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