平成20年に愛する奥さんに先立たれた永田さんは現在71歳で、細胞生物学の世界的権威であるとのことです。以下に紹介するのは、NHKで放送された「平成万葉集」の第2部(女と男)の中で紹介された、そのご夫婦の間に交わされた歌です。
≪二人が結婚する前≫
陽にすかし葉脈くらきをみつめおり 二人の人を愛してしまへり (奥さん)
君に逢う以前の僕に遭いたくて 海へのバスに揺られていたり (ご主人)
たとえば君ガサッと落葉をすくうように 私をさらって行ってくれぬか (奥さん)
≪平成14年、奥さんの病気が見つかった時≫
何という顔してわれを見るものか 私はここよ吊り橋じゃない (奥さん)
この時のことを日記に次のように書いているらしい。
奥さん:京大の病院で受診したがすぐに乳腺外来に回された。マンモーグラフを見ていた医師が向き直って「悪性です」と言ったときは、すぐに事態が呑み込めなかった。診察を終えて病院横の路上を歩いていると、向こうから永田(夫)がやって来た。彼とは30年以上暮らしてきたが私を見るあんな表情は初めて見た。痛ましいものを見る目、この世を隔たった者を見る目だった。
一方のご主人はその時のことを次のように語っています。
ご主人:私は見事に平静を演じきったと思っていたのに、私の顔はどこか歪んでいたのだろうか。引きつっていたのだろうか。目の前にいる河野を正面から見られなかったのかもしれない。「私はここよ 吊り橋じゃない」が、切なく、痛い。手術の後もできるだけ普段の生活を変えない、河野を病人として扱わない、そういうふうに接してきたと思うんですけど、後になってみると、それが河野を苦しめていたというか・・・――とご主人の永田さんは語る。
平然と振る舞うほかはあらざるを その平然をひとは悲しむ (ご主人)
≪病気療養中の奥さんの歌≫
あの時の壊(こわ)れた私を抱きしめて あなたは泣いた泣くより無くて
生きてゆくとことんまでを生き抜いて それから先は君にまかせる
この家に君との時間はどれくらい 残っているか梁よ答へよ
長生きして欲しいと誰彼数へつつ つひにはあなたひとりを数ふ
手をのべて「あなた」とあなたに触れた時 息が足りないこの世の息が (逝く前日)
≪ご主人の歌≫
一日が過ぎれば一日減っていく 君との時間もうすぐ夏至だ
かくも悲しく人を思うということの わが生涯に二度とはあるな
奥さんが入院中のことについて永田さんは次のように語っています。
永田:精神がバランスを崩して、かなりひどい時期がありましたね。僕に対して最終的には「ガンになったのはあなたのせいだ」みたいな感じで、まあ、乳がんていうのは、本当は旦那が気がつかないとダメみたいなところもあって、それが河野(奥さんのこと)の中でどんどん膨らんできて、かなり不安定になって激昂するようになって、僕を責め立てるようになって・・・。それをひたすら耐えて待っているというのはとても辛いことだけど、ある時河野が歌を作ったんですよね。この歌ですべてを許せると思ったし、「ああ、耐えてきてよかったんだ」だという思いはしましたけど、その歌は、
あの時の壊(こわ)れた私を抱きしめて あなたは泣いた泣くより無くて
という歌で、絶対彼女はもうろうとしていましたから、覚えていないと思っていたんですけども、それをちゃんと覚えていてくれた、本当に救われたという感じがしましたね・・・と。
そして、「特にありがとう」という様な事は言わなかったが、歌を通じて私の気持ちは分かってくれていたと思う、と語った後、「一つだけ、あなた可愛かったよ」と言ってやればよかったと思ってますけど・・・と言ってテレ笑いしていました。
≪奥さんが他界された後の歌≫
抱きたいと思へる女性(ひと)がどうしよう どこにもなくて裕子さん、おい
訊くことはつひになかったほんとうに 俺でよかったのかと訊けなかったのだ
おばあさんになったあなたを見たかった 庭にちひさくまどろむような