13日家内は肺ガンの摘出手術を受けるため入院し、そしてその翌日、手術も無事に終わった。
家内は民生委員の仕事や、11日には生長の家の講習会があってその準備や推進、家事、畑仕事、そして朝夕の神想観(瞑想)と先祖への供養も欠かすことはなかった。そして、はじめて手術を受けるという不安や心配のそぶりも見せず、いつもと変わることなく元気に過ごしていた。
手術に要する時間は3時間~3時間半とのことだったが、手術前日の看護婦さんの説明にも、にこやかに笑顔で聴いていて、家内のそんな様子を、わたしは感心しながら見ていた。
そして、手術は終わった。
ドクターの説明を受けた後、家内に会わせてくれたが、家内は呼びかける声に返事をするだけの意識はあった。しかし、手術前とは打って変わって、全身麻酔されてベッドに横たわっている家内を見るのは、うれしさよりも、モノ悲しさがあった。
このようなことは私にとっては初めての経験だったが、しかし、例外なく誰もが経験してきた、あるいは経験していくことなのだろう。ある意味では、その分だけは一人前に近づいたといえるのかもしれない。
というわけで、まずは、めでたし、めでたしである。