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気の向くままに

山、花、人生を讃える

人間は死んでも死なない

2018年11月09日 | 人間死んでも死なない

ある日のこと、わたしは北海道のある港に入港中、薄暗い機械室で客室のエアコンの点検をしていました。

すると私の背後を黒い人影のようなものが「すっ」横切る気配がするので、「おやっ」と思って振り向くのすが、別段変わったことは何もない。それでまた仕事を続けるのですが、また、すっと黒影がよぎる気配がするので、思わず振り向きます。しかし、やはり何事もない。普通なら数回も繰り返せば気のせいと思って振り向かなくなると思うのですが、しかし、確かに何かがよぎる気配がするので、思わず反射的に振り向いてしまいます。おかしいなあと思いながらまた仕事をはじめると、また気配を感じて思わず振り向くということを5,6回は繰り返しました。

 

そして、その内に点検も終わり、「おかしいなあ」と思いながら自分の部屋に戻ると、そこへちょうど事務員が「電報」を届けに来ました。それはお袋が他界したことを知らせる電報でした。一瞬びっくりしながらも意外と冷静で、ああ、あれはお袋がお別れに来てくれたんだと納得したのでした。そして、急遽下船して千歳空港から自宅へと急いだのでした。

 

そのあと、数年したころ、私が「生長の家」の「聖経」と言われている『甘露の法雨』というお経(現代詩)をあげると、その頃しきりに蝋燭の上に輪ができたり、またある時には、蝋燭のロウが一度にたくさん流れ落ち、そのロウではっきりと観世音菩薩とわかる像ができたこともありました。

 

人間は死んでも、本当には死んではいなくて、ただ肉体を離れたに過ぎないのだろうと思います。

 

以下は『神との対話』(ニール・ドナルド・ウォルシュ著))からの抜粋です。

○魂の目的、つまり魂が身体に宿った理由は、ほんとうの自分になり、それを表現することだ。魂は自分を知り、自分を経験したいと願っている。この知りたいという願いが、存在しようとする生命だ。表現することを選んだ神だ。あなたがたの魂は、わたしが自分を表現し、経験するための道具なのだ。 

あなたがたは生命そのものだ。生命が生命でなくなることはできない。したがって死ぬことはない。
では、臨終のときに何が起こるか・・・生きつづけるのだよ。

○「向こう側」にいる誰かについてほんのわずかでも考えれば、とたんに彼らの意識はあなたの許へ飛んでくる。「逝った人」について何かを思ったり考えたりすれば、その人のエッセンスは必ず気づく。愛こそがコミュニケーションの最高の「霊媒(メディア)だよ。

○いいかな、わたしはすべての花であり、虹であり、空の星であり、すべての星をめぐるすべての惑星上のすべてだ。わたしは風のささやきであり、太陽の温かさであり、それぞれが信じられないほど個性的で、しかもこの上なく完璧な雪の結晶のひとつひとつだ。わたしはすべてに存在する。わたしはすべてだ。