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気の向くままに

山、花、人生を讃える

「高齢者が人生で後悔すること」を読んで

2020年04月19日 | 人生

今朝、「みんなのブログ」欄の「高齢者が人生で後悔すること」というタイトルが目に入り、興味が湧いてクリックしました。すると、その記事には、高齢者が、どんなことを後悔しているかのアンケートに答えた、いくつかの回答が紹介されていました。たとえば仕事や結婚、家庭生活、自分の生き方などについて・・・。

 

そこに紹介されているものは必ずしも自分の後悔ではないのに、何か他人(ひと)ごとではない、自分の後悔でもあるような気がしました。それは後悔の種類は違っていても、深いところからの心の声、とでも言えるような、そんな共通点があるからだろうと思われた。

 

私も子供のこと、親不孝だったこと、親孝行できなかったことなどの後悔があるし、そして、今こうして生きている間も、つい自分第一になり、いつも機嫌よくしていたいと思いながら、時々ちょっとしたことで家内にブスッとなり、そして後悔する・・・ということを繰り返しています。

 

その時が来れば、もっと大事にすればよかったと後悔するのが、目に見えるほどにわかっていながら繰り返してしまうのだから、まさに煩悩具足の凡夫というよりほかはない。人間は悲しい生物なのだと思う。

 

しかし、みんなこんな悲しみを越え、後悔しながら、生長して行くのだろうと、私は今日も希望をもって生きるのである。おっほん。

 

とにかく、良い勉強になりました。
先輩の方々の言葉、決して無にいたしません、と固く誓うのでした。

 

「高齢者が人生で後悔すること」はここ 団塊シニアのひとりごと


「最後の講義」脳死を考える

2020年04月16日 | 人生

前の記事からの続きです。

 

≪福岡先生の話≫
脳死問題というのは、死ぬ時点というのは一体いつか、という考え方なんです。「死」というのは実はある瞬間に死ぬわけじゃないんです。我々の身体は37兆の細胞が集まってできているので、心臓が止まっても身体の細胞はまだ大半は生きています。だから死というのは、本当はどこかの一点で起きるわけじゃなく、徐々に消えて行くわけですよね。でも法律が決められなかったり、色々な不都合があるので、「死はここにします」という風に、勝手に分節点を作ったわけなんです。で、古典的な死の瞬間というのは、①心臓が止まること、②呼吸が止まること、③瞳孔の反射が消えること、をもって「死」としていました。でも最近では、この死の基準をもっと遡って、脳が死ねばそれが「死」だというふうになったわけですね。

 

何故こういう考え方が出来たかって言うと、新しい産業が生まれるからです。新しい医療が生まれ、お金を儲けられる人が増えるからです。脳死をこの時点(脳が死んだとき)にすると、まだ身体は生きているのに死んでいるとみなせる。つまり、脳死というのは、臓器移植のために死の地点を前倒しした、そういう分節的、機械論的生命観に基づく、まあ生命を分断する考え方なわけです。で、これと同じことがですね、「生きる」方にも言えて、脳が始まるところが人間の始まりと考えてもいいかな、ということになります。

 

≪阿川佐和子談≫
臓器を移植することによって救われる生命があれば、それは幸せなことかもしれないけれども、でも人間は経済システムっていうのができ、いろんな取引をするようになった。で、行き着くところが、生きている人間の臓器を交換することが、脳死という限定によってそれが出来る様になると、いつから生まれたかって言うことも限定するようになるでしょう。すると、その前にできている内臓は、まだ生まれている範疇に入らないということになって、それを利用できるという考え方をする人が出て来る。仰天ですよね。

 

≪福岡先生の話≫
「生命がいつ始まるか」というのは非常に難しい問題で、受精卵という新しい状態が出来たところが(写真で示している所)、一応暫定的な新しい生命の始まりと考えると、もうここから生命は出発しているわけです。しかし、この「脳が始まる」という概念を持ち出すと、「胎児の脳が機能しはじめた時が人間の始まり」だという考えも成り立つわけです。その人間の脳が始まるときというのは、妊娠期間の3/4ぐらいが終わったこの辺が(図の脳始とある位置)、ようやく脳の活動が始まって、いろんな反応が出来て意識が立ち上がって来る所であります。

 

だから、脳死が人の死ならば、脳が始まるところが人間の始まり、と考えると、(受精から脳始までの)この期間を使えるわけです。使えるというのは、医療上、生物学上のツール(道具)として・・・。だから実際に胎児の細胞を使って新たな再生細胞を作るとか、いろんなことに使えることになるわけです。

 (図の「脳始」の右にある短い縦線は誕生を示す。22週は妊娠期間中の真ん中を示す。)

そしてこれがまた機械論的な生命観による生命の操作ということにつながっていくわけです。
だからこの脳死、脳が始まる方の脳始も、人工的な切れ目なので、この考え方は医療の進歩でもなんでもなくて、両側から我々の生命の時間を短縮してくれているわけなんです。

 

以上で福岡先生の講義は終わりです。講義中、カメラはときどき講義を聴講する学生たちの様子を映しましたが、その学生たちの真剣に聞き入るその表情、その眼差し、こういう真剣なまなざしというのは、見ていて気持ちがいいですね、こちらまで気持ちが若返る気分でした。
講義が終わった後には、質問の時間があり、数人の質問がありました。以下は、最初の質問と先生の回答です。

 

獣医学部の学生からの質問: 医学とか獣医学は機械論的な生命観の下で発達してきた学問ですよね。具体的にはどういう考えをもって日々の臨床に当たったらいいのでしょうか。

 

福岡先生の回答:医学が学問であるためには必ずエビデンス(科学的根拠)がいるし、でも、一人一人の人を救うためにはですね、その一人一人は固有の動的平衡をもっている。エビデンスの様な平均化したり、標準的な治療で臨むと、一人一人の個別性は消えてしまうわけですよね。で、医学、獣医学が有効なのは、結局、痛みを解放してあげるとか、問題を解決してあげることが臨床の大切なポイントですよね。その時に部品として見てしまうと、エビデンスや標準治療にたよってしまう秀才型の医者になってしまうわけです。

例えば、膝が痛いって時に、膝という部品が悪いから、膝が痛いんじゃなくて、生命は動的平衡のバランスの上に成り立っていて、そのバランスが崩れて病気となって顕れている。そういう考え方をいつも中心に置いて、そこからモノを考える様にしたらいいんじゃないかと思います。どうぞ、良い獣医さんになってください。

 

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございます。


生命は機械ではない「動的平衡」

2020年04月15日 | 人生

以下は前の記事からの続きです。

 

≪ナレーション≫

2011年、博士は理系の研究所を閉じました。ミクロの世界での生命の研究を止め、文系の教授になったのです。少年時代に心を躍らせた生命、機械とは異なる生命の本質を探究し、理系も文系も分け隔てなく伝えようとしています。博士のキーワードは動的平衡です。

 

≪福岡先生の話≫

シェーンハイマーのコンセプトは、日本語では動的平衡というふうに呼んだらいいと思うんですが、動的というのは常に動いているということであり、平衡というのはバランスという意味です。絶え間ない流れの中でいつも合成と分解がバランスをとっているというのが我々の身体の一番大切な特性です。そして常に動的平衡が成り立っているから、私たちの身体は何かがなくても、他のものがピンチヒッターになってやってきたり、平衡を作り替えることが出来る。それはGP2がなくてもですね、ナイなりにそれを補えるような仕組みで生物は新しいバランスを作り直していくわけなんです。

 

註:2016年にノーベル賞を受賞した大隅良典さんの「オートファジー(Autophagy)」を思い出してください。例えば外からのたんぱく質の補給が足らなくなったとき、細胞が自らの細胞質成分を食べて分解し、アミノ酸を得るとのこと。「自ら(Auto)」を「食べる(Phagy)」という意味とのこと。

 

≪ナレーション≫
生物学者や大隅義典教授を始め、21世紀に入ると生命が分解される仕組みがわかってきました。
分解、即ち自己自身を壊す仕組みです。でもどうして生命は自分を壊す必要があるのか?
(これについての話は、話が長くなるので省略させてもらいました)

 

さらに、人間が生命を機械と捉えると怖いことが起きる、と博士は警告します。生命が連鎖する地球環境から人間がリベンジされた例があるそうです。狂牛病です。狂牛病とは牛の脳がスポンジ状になり、牛が異常行動を起こす病気です。1986年にイギリスで発生しました。原因は牛の餌でした。

 

≪福岡先生の話≫
牛の餌っていったい何ですか。牛は草食動物で牧場の草を長閑に食べているとみんな思うんですが、狂牛病に罹った牛のほとんどはミルクを出す乳牛でした。乳牛はミルクを搾り取られるから沢山の栄養を食べさせないといけない。しかしミルクより高い餌を与えていたんではミルクは安く作れませんから、出来るだけ安くて栄養価のあるものを食べさせていました。それは草ではなく、肉骨粉と呼ばれる飼料だったんです。肉骨粉というのは、実は他の家畜の死体、つまり草食動物である牛を肉食動物に人工的に変えていた。その方が経済効率がいいからです。

 

で、狂牛病というのは、羊のスクレイピー病という病気がその餌の中に入り込んで、それを食べた牛がたくさん病気(狂牛病)になったということがわかったんです。で、そうこうしていると、今度はですね、その牛を食べた人が狂牛病になってしまう・・・、ヤコブ病っていう名前がついていますけれども、いずれも人間が勝手な都合で生物の動的平衡を切断し、組み替えているせいでこういうことが起きてしまったわけです。

 

≪ナレーション≫
「生命は機械ではない」博士がいくら訴えても、なかなかどうして機械論的生命観は私たちにしっかり浸み込んでいるようです。こちらの絵は小さな子供が書いた人間です。

 

≪福岡先生の話≫
驚くべきことはたった4歳の子供でも、もう機械論的な生命観に染まってしまっているということなんです。つまり人間はパーツ(部品)から出来ているという風に、目、耳、鼻、口、手足から人間は出来ているというような・・・。でもこの考え方が間違っているのは次のような思考実験をしてみれば明らかです。

 

 天才外科医がやって来て、AさんからBさんに鼻を移植しようと考えたとしましょう。Aさんからどういうように鼻を切り取れば、鼻という機能を取り外してBさんに移植できるか・・・。鼻というのは、実は鼻の穴の奥の天井には嗅覚上皮細胞というのがあって、そこで匂い物質を感知して、その信号をズ~と脳の奥に運んでいって・・・、だから、嗅覚っていう機能を鼻と考えると、結局身体全体を持ってこないと鼻という機能は取り出せないわけです。

 

≪ナレーション≫
食べ物が身体を造るのに、牛を肉食に替えたせいで牛の動的平衡がくずれました。バランスを失った牛を今度は人間が食べ、人間もバランスを崩しました。

 

≪福岡先生の話≫
つまり、動的平衡は一つの生命の中だけで起こっているのではなく、地球全体の生態系の中でも動的平衡は成り立っているのです。

 

≪ナレーション≫
さらにです。機械的生命観はいよいよ人間の生命そのものを揺るがしています。脳死の問題です。
博士の人生は今この生命哲学の問題との格闘です。 

                                   今回は以上です。

 

福岡教授の話は最後に「脳死問題」を取り上げられました。次回はその話ですが、お楽しみに。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

後記:「地球全体が動的バランスの上で成り立っている」という話は、お釈迦様の「山川草木国土悉皆成仏、有情非常同時成道」の言葉を思い出させるし、また詩人の「地球は生きている」という言葉を思い出させますが、いわゆる科学者からのこのような言葉を聞くと、いっそう訴えて来るものがある気がしました。
狂牛病の話も以前から宗教の世界で教えられていましたが、生物学教授からも聴けて心強く思ったことでした。

 


生命は機械ではない

2020年04月13日 | 人生

前回の記事の続きです。

 

福岡先生が生物学者になることを目指して大学に入学しましたが、その頃の虫の研究は、駆除を目的とした研究しかされていなかったそうです。それで虫好きの先生としては本意ではないということで、進む道を分子生物学へと舵を切り、かつて昆虫少年は、新しい遺伝子を発見する遺伝子ハンターになりました。

 

そして、やがてGP2と名付けられた新しい遺伝子を発見し、その遺伝子がどんな役目を担っているのか、それを突き止める研究に没頭されました。マウスからGP2という遺伝子を抜き取り、マウスにどんな変化が起きるか、それを調べるわけですが、マウスからその遺伝子を抜き取るだけでも3年の月日を要したそうです。そして、注意深くマウスの変化を見るのですが、何の変化も見られなかったのでした。この間のことを、「昼夜の別なく、ボロ雑巾のようになって」と話しておられます。

 

一つの遺伝子を抜き取ったのだから何か変化があるはずと思っても、何の変化もないということで、大きな壁にぶち当たっているとき、福岡先生はふと以前に読んだ論文の一節を思い出したそうです。それが「生命は機械ではない」という言葉でした。その事をナレーションは次のように語っています。以下は、福岡先生の「最後の講義」の番組の一部を文字に起こしたものです。

 

≪ナレーション≫

「生命は機械ではない」博士はこの言葉にガツンと殴られました。
生命を機械のように扱った浅はかな自分、それは、生命の美しさに感動し、この道に進んだ少年時代の自分への裏切りでした。研究は行き詰ってしまいました。
(機械から或る一つの部品を取り去れば何か変化(異常)が起る、それと同じように、マウスから一つの遺伝子を抜き取り、その変化を調べようとした、そのことを「生命を機械のように扱った」と言っている)

 

≪阿川佐和子談≫ 阿川さんは福岡先生と親しくされているようです。

自分の子供時代というものに気持ちを戻すことのできる人と、できない人がいるような気がするんですね。福岡先生は即戻りたい人ですね、きっと。

 

≪ナレーション≫

そもそも生物学は、生命を機械のように見る機械論で発展してきました。ヒトノゲム計画はその最たるもの。人間を解体し、更に分解して細かな部品のようにして、遂にすべての遺伝子を明らかにしました。しかし、それは映画のエンド・ロールを見ているだけ。登場人物はわかったけれど、肝心の内容は何もわからない、と博士は言うのです。「生命は機械ではない」と言ったシェンーハイマーはそれを明らかにしようとした一人でした。

 

≪福岡先生の話≫

シェンーハイマーの問いかけも「生命とは何か?」という非常に大きな本質的な問いかけだったんです。
でも、彼の問いはもう少しシンプルなものに変えられていました。

生命は毎日毎日、食物を食べ続けなければいけない、どうして我々は毎日ご飯を食べ続けなければいけないんでしょうか?
そんなの当たり前のことじゃないか・・・。

それはシェーンハイマーが生きた20世紀前半でも答えられない人はいなかったんです。食べ物と生物の関係というのは、自動車とガソリンの関係に置き換えられて説明されていました。食べ物と生物もまったく同じで、食べ物は身体の中で燃やされています。その事によってエネルギーが生み出され、それは動物の体温になります。でもそれが全部燃やされてしまうと、消費されてしまうんで、新しいエネルギーが必要になり、また食べなければならない。でも、シェンーハイマーは、そのことをもっとちゃんと確かめようと考えたわけです。で、結果を見ますと、とても意外なことが起きていました。

 

≪ナレーション≫

ガソリンのはずの食べ物は身体の中に入るとどうなるのか。
食べ物を原子の単位でマーキングし、身体の中での行方を探りました。

 

≪福岡先生の話≫

食べた食物の半分以上は燃やされることなく、ネズミの体のしっぽの先から頭の中、体の中、いろんなところに溶け込んで、ネズミの一部になってしまったんです。これってガソリンと車の喩えで言うと、(ガソリンが)タイヤの一部になったり、座席の一部になったり、ハンドルの一部になったりするということなんです。どんどん造り替えられて交換されていく・・・。爪とか髪の毛とか皮膚なら交換されていくというのは何となく実感されると思いますが、実はあらゆる部分がまったく例外なく入れ替わって行ってるんです。骨とか歯みたいに固いものでも、中身は入れ替わっています。脳細胞でも細胞の中身は変わって行ってるんです。

≪餌とマウスを原子単位でマーキング≫

 

≪外に排出された細胞の後を埋める様に、食べられた餌はマウスの細胞になっている≫

ですからウンチの成分というのはですね、実は食べかすが出て来るんじゃないんです。自分自身の細胞がどんどん捨てられているのがウンチの実体で、その棄てられた分は食べ物から新しい細胞が造られているんです。ですから、1年前の私と今の私では、物質レベルではほぼ別人になっている。ほとんどが入れ替わっているといっても過言ではない位入れ替わってしまっています。ですから皆さん、自分の身体は個体だと思っているけれども、長い時間軸で見ると流体なわけです、絶え間なく流れている。 以上

 

≪後記≫

有吉佐和子さんの「少年時代の自分に戻れるか、どうか」ということ、「生命は機械ではない」という言葉が私には印象的でしたが、最後の「ウンチは、食べたもののカスではなく、自分の細胞の棄てられたもの」というのは、初めて聞く話で、驚きでした。

 

このあと、更に先生の話は核心へと迫っていきますが、ひとまずここまでにさせてもらいます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 


『最後の講義』 福岡伸一 教授

2020年04月12日 | 人生

前回の記事に続き、今日は、生物学者、福岡伸一さんの「最後の講義」に於ける冒頭部分の「なぜ生物学者を目指すようになったか」についてのお話を紹介させていただきます。

 

福岡先生は挨拶の後、次のように話しだされました。

≪福岡先生の話≫
 今日は私は生命のこと、生物のことをお話しします。結論はビバ生物、ビバ生命ということなんですけども、私は少年の頃は虫が好きな昆虫少年でした。どっかその辺の葉っぱに付いている蝶の卵を採取して来て、それを家でせっせと育てていました。だから私はあんまり人間の友達がいないで、虫だけが友達というふうでした。

 

昆虫を見て私が感じたことは、如何に自然が精妙に出来てるか、そしてこの色ですよね。
  (と、スライドでアゲハチョウの写真を見せる)
この「生命というのは何か?」という疑問は、少年の素朴な疑問であると同時に、生物学最大の問いかけでもあります。

 

≪ナレーション≫ 博士を生物学の入り口に誘ったのは、両親がプレゼントしてくれた顕微鏡でした。

 

≪福岡先生の話≫
   顕微鏡と云ってもそんな上等なものじゃないんですが、これで蝶の羽を見ると、鱗粉(りんぷん)という小さなモザイクタイルの様な、色のついた桜の葉っぱみたいな鱗が1枚1枚貼りつめられているわけですね。それを見たときに、顕微鏡の中で宇宙がパ~と広がっているような感じがして、私はそこに吸い込まれてしまって、ますます人間の友達なんかいらなくなって・・・、当時はオタクって言葉はなかったですけども、まさに虫オタクで、オタクの気持ちって言うのはですね、何か一つのことを見つけると、ず~とその源流をたどりたくなってしまう・・・。それで、この素晴らしい装置(顕微鏡)は、いったいいつの時代の何処の誰が作りだしたのかと思い、当時はネットもなく、手掛かりになるのは本だったわけですね。で、近くの図書館に通い詰めて研究しようとしたわけなんです。

        蝶の羽の鱗粉

 で、顕微鏡を一番最初に作り出したのは、オランダのアントニー・レーウェンフックという人でした。この人は高等教育は受けていないし、大学の先生でもなく、町の一市民でした。でも只管(ひたすら)アマチュアとして顕微鏡を工夫して、ミクロの世界を人類史上初めて精密に観察した人だったんです。

    この人の作った顕微鏡というのは、現在の顕微鏡とは似ても似つかない、不思議な形をした原始的なものなんですが、レンズの磨き方が非常に素晴らしくて300倍の倍率を実現していたんです。  
そして我々の身体が細胞という小さなユニットから出来ているということを見つけました。
それから血液の流れを見ると、血管の中を粒々の粒子が流れていて、それが赤血球、白血球です。

   で、彼の最大の業績は、動物の精子を発見したということで、それが生命の種になっているということを突き止めたわけですね。アマチュアが生物学上の非常に大きな発見をしたということで深~く感動しました。そして、レーウェンフックみたいに生命を探求する人に成れたらいいなと思いました。

 

ということですが、福岡教授の話は今日はここまでにします。

今まで、わたしはこれを3回見てますが、再生しながら文字にしていると、話の細部まで一層心に染み入って来て、飽きるどころか、一層感動させられました。そして、「大きな可能性を秘めている」とはよく言われることですが、こういう話を聞いていると、感動と共に、素直に本当にそうだなあと思いました。同時に、これは少年に限らず、人間は年齢を超えて、いくつになっても可能性は無限に広がっている、可能性を無限に秘めていることを感じさせられました。

最後まで読んでいただきましたこと、ありがとうございます。


『最後の講義』 村山 斉 教授

2020年04月11日 | 人生

NHKのBSで「最後の講義」という番組がありました。これは各界のエキスパートに、「若し、後世の人に最後に何かを伝えるとしたら、あなたは何を伝えたいか?」ということで企画された番組だそうです。

 

私は再放送で物理学者の村山 斉(ひとし)さんと、生物学者の福岡伸一さんのものしか見られなかったのですが、実際には3時間の講義を、テレビでは50分に短縮して放送され、どちらも貴重で有意義なお話でした。

 

今、新型コロナウイルスの影響で学校が休校となり、子供の教育のことで心配されている親もおられると思いますが、そんな親御さんは勿論、子供や私の様なシルバーにとっても、啓発される話だと思うので、今日は物理学者村山さんの話を紹介させてもらいます。

以下は東大で学生や一般から応募した高校生らを対象に話されたその講義の導入部分です。

 

冒頭、村山さんは、動物と人間とはどこが違うかについて、次のように話された。

○人間は動物と何が違うかと考えると、やっぱり科学する所が違うんだと思います。例えば、普通の動物は火を見ると怖くて近寄らないが、人間は何故か恐怖心よりも好奇心が勝って、火をどうやって熾(おこ)すのか、そして自分で使える様になりたい、と考える。そこが違うんだと思っていて、だから人間はやっぱり「科学する猿」だと思うわけですね。

 

そして、科学者である村山さんは最も科学する猿であるわけですが、どうして自分が「科学する猿」になったか、そのきっかけについて2つの例をあげて話された。

 

≪例 その1≫

○私は子供の頃、喘息がひどくて病弱でしたので、学校を1/3ぐらい休んでいました。
小学校の低学年の時、学校を休んで、家にいてもすることがないのでテレビのスイッチを入れました。すると、理科の番組をやっていて、ウナギ屋さんがパタパタ団扇を扇ぎながらウナギを焼いている。そこへ頬かむりをした変なオッサンがやって来て、鼻をクンクン鳴らして匂いを嗅ぎ、「ああ、いい匂いだ」と満足して帰っていく。そして、その男が毎日やって来てタダで匂いだけを嗅いでいくので、ウナギ屋の主人が腹を立てて、「毎日匂いを嗅いでいくんだから、お金を払え」と請求するわけですね。

 

そこで、匂いがするということはどういうことなんだ?と疑問が出てくるわけですね。

 

で、理科の番組ですから、屋台と頬かむりをしたオッサンとの間に硝子の壁をつくってしまうと匂いがしなくなる・・・。結局、匂いというものは目に見えないものなんだけども、何かが飛んできて鼻に入って来る、それが匂いの正体なんだということがだんだん分かってくる。そういう番組だったわけですね。

 

「へえ~」と思って、ああ、匂いってそういうものなんだな、と感心しました。それから少し元気になって登校するとき、道端に犬の糞が落ちていてその匂いを嗅いだ瞬間、「あ、糞が鼻の中に入って来てるんだ」とちょっとびっくりしたけれども、ともかく、匂いというものはそう云うものなんだ、とよく分かった気がしました。

 

≪例 その2≫

○それからまた或る時、学校を休んでテレビを見ると、数学の番組をやっていました。それが落語仕立てて面白いんですね。江戸時代の長屋の八つぁんが、豆腐屋へ豆腐を買いに行きます。豆腐を1丁買って、それからこの店のオヤジを上手におだててやれば、「おまけ」をしてくれるかもしれないと考えて、色々とおだてるわけですね。するとオヤジさんはすっかり喜んで、豆腐1丁の半分を「おまけ」してくれる。それで八つぁんはシメシメと思い、もっとおだてれば、もっと「おまけ」してくれるに違いないと考えて、さらに褒めちぎる。すると、さっきの半分の残りの半分をまた「おまけ」してくれる。そしてさらに、その半分のまた半分、更に半分のまた半分・・・と「おまけ」してくれる。八つぁんは、これで一生豆腐に困らないぞと喜ぶ。ところが家に帰ってよく見ると、おまけでくれた豆腐をすべて足し合わせても、1丁にはならないことに気がつくわけですね。(半分を永久に繰り返しても、要は半分だから完全に1丁にはならない)

 

それを見ていた私は「ああ、こんなことがあるんだ!数学は面白いな」と、思いました。それで父にその話をすると、父は企業で研究をしていましたから、「じゃあ、数学の本を買って来てやるよ」と言って、高校の数学の参考書を買って来てくれて、それを小学校2年生の時に読んでしまった。まあ、それ位ハマったんですよね。

 

で、いろいろ勉強していくと、宇宙はビッグバンという大爆発で始まったわけですけども、身の廻りのものは皆原子でできている。私たちも原子でできているんですが、初めからそう教えられているから当たり前に思ってしまうんですが、考えて見たらすごいことだと思いません?この部屋にあるだけでも、凄くいろんなものがあるわけですよね。水があったり、コンピューターがあったり、マイク、スピーカー、モニターがあったり、衣類の生地があったり・・・いろんなものがあるんだけれども、それがぜ~んぶ(大きな声で)、たかだか100個ぐらいの元素で説明できる。で、ファインマンという物理学者がいて、「もし、今あなたが死ぬとして、100年あとの後世の人に一言だけ何か残すとしたら、何を伝えますか?」と聞かれたときに、「万物は原子で出来ている」と答えたそうなんですね。

 

(註) ここで、「それが小学生の村山さんの心に深く刻まれました」とナレーションが入る。

 

≪再び村山さんの話≫

そう言うことから、子供時代にすごく思ったのは、いろんなことに好奇心をもって見ていると、いろんな疑問が湧いてくるわけですけども、「あ、疑問には答えがあるんだ!」と思って育ってきた気がします。

 

と、このように話をされ、、それから今取り組んでいる天文物理学の方へと話題が展開していきました。(以下省略)

私は学校の授業で何かに興味を感じたという記憶はないのですが、ただ中学3年のとき、「中学生の勉強室」という30分のラジオ番組があって、それで勉強するのを楽しみにしていました。

今も時々録画しては高校生の理科や物理の教育番組を見ますが、学校の試験の点を取るための授業と違って、興味をそそるように、短い時間でわかり易く話をしてくれるのでとても良いと思っています。そして、休校中の今、子供さんがそういう番組に親しむにはとても良い機会なのではないでしょうか。 長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。


マスクで勉強させてもらった

2020年03月31日 | 人生

昨日、いずれマスクを買うために店頭に早くから並ばなけれはならないことになりそうなので、それなら自分で作れないかと思い、作り方をインターネットで調べ、ちょうどよいのが見つかったのでそれを印刷して、試しに作るつもりでいた。すると夕方、家内が80歳になる知り合いから布で作ったマスクを二人分頂いてきた。

 

その一つが下の写真です。

 

そしてもう一つ、ハンカチとゴムで応急的にマスクにする方法を教えてもらったらしく、それを私に伝授してくれた。既に多くの方がご存知と思うが、せっかくなので、ここにも披露させてもらいます。

先ずハンカチを3つに折る。(適当なサイズになるように。13㎝ぐらい)

 

次に左右両端にゴムを掛け、両端からゴムを覆う様に適当なサイズ(15㎝)になるよう折りたたむ。

 

出来上がりはこんな感じ。マスクとして十分使えそうです。

 

感じだけでもつかめるようにと写真を撮ったのだが、モデルが悪いのでこれでも苦労しました。

最近、家内がスマホデビューし(私はまだガラ系ですが)、いただいたマスクをして、二人顔を並べて自撮りしました。
何年かしたら、その写真を見て、今頃のコロナ騒ぎのことを懐かしく思い出すんだろうね。

それはともかく、マスク不足はこれで何とかしのげそうだと安心した事でした。

そして、持つべきものは友ですね。ありがたいことです。

      合掌す 君のいのちに

      礼拝す 我のいのちを

 


小学校の卒業式に思ったこと

2020年03月20日 | 人生

昨日、畑の草むしりをして家に戻って来るとき、近くの小学校の卒業式を終えた児童や親たちが帰って来るのを見た。そして、児童が着ているド派手な衣装を見て、「あれ、今頃は小学校の卒業式で、こんな服を着るんだ!」と驚きました。小学生のそんな姿を見るのは初めてだったので、本当にびっくりでした。

 

家内にその話をすると、「今まではまだ少なかったのに、今年は多いねえ」とのこと。
最初は、多分東京の上流階級の子たちが集まる学校から始まったことだろうが、少しづつ伝播して、田舎にまでそんな風潮が広まって来たんだろうと思う。

 

しかし、生活に余裕のない家庭を思い、子供にせがまれ、愛する子供に肩身の狭い思いをさせたくないという訳で、余裕のない中から、こんなことにお金を使わなければならない親の気持ちを思うと、おめでたい卒業式のはずが、喜べないどころか腹立たしささえ感じてしまった。

 

たかが小学校の卒業式のことじゃないかといわれそうだが、そういう衣装を身につけた小学生たちの姿をニュースで見た時、私には何か薄気味悪かった。無邪気で元気溌剌の小学生が、まるで大人のように見栄で着飾っているように見えたからだ。

 

斯く云うわたしは、多分、凄く時代遅れの人間なんだろうね。

たとえば、まるで明治生まれのおっさんが、昭和の風潮を「怪しからん」と憤慨するような。

今まで自分が時代遅れと思ったことはなかったが、今回はそんなわけでコロナウイルスより衝撃だった。

 

私には今孫が6人いて一番上が今度小学校の5年生になるから、あと2年もしたら、孫の卒業式のそんな写真が東京から送られて来るんだろうね。そしたら、わたしは「格好いいね。素敵だね」と言うのだろうか。

 

時代がそういう流れなら、それに逆らって生きるのは難しいだろうと思う。

だが、息子よ、娘よ、わかっているとは思うが、こういうことはいつまでも忘れないでいて欲しい。

 

○あまりに裕福な家庭に生まれ、欲しいものはすべて親より与えられ、なんの労苦なくしていっさいの必要品が贅沢に揃えられるというような家庭に育った子女たちは一面においては誠に不幸な人たちであります。なぜなら、そういう人たちは、すべての善き物はことごとく外からのみ与えられて、自分自身の内部から生み出す機会を恵まれないからです。本当の幸福というものは自分の内にあるところの善きものを生み出すことにあるのです。他から与えられた幸福は他が立派な着物を着ているのと同じであって、自分自身の立派さでないのです。自分自身が立派になることのほかに自分が幸福になる道はないのです。自分自身に力がつくよりほかに自分の強くなる道はないのです。 『生命の実相(久遠仏性篇)』より

 


歌の良さを思う

2020年03月15日 | 人生

先日、BS民放で作曲家の「船村 徹全集」という放送があり、それを録画したものを先ほど見せてもらいました。そして、放送の中に出てくる数々のヒット曲を聞きながら、自分が育ってきた昭和の時代が懐かしく思い出されました。

 

番組によると、作曲家「船村 徹」は26歳の時から女子刑務所の慰問を始めたそうで、女性受刑者たちの社会復帰の一助になればということで、それをライフワークとして50年もの長きにわたり慰問を続けてきたそうです。

 

慰問では、船村徹が自ら、ギターを弾き歌ったそうです。
私はこの番組で船村徹が歌うのを初めて聞きましたが、情感があり、とてもうまいので、この人は歌手出身なのかと思いました。(事実はどうか知りません)

 

そして岐阜県の笠松に「笠松女子刑務所」というのがあるそうで、当時そこには300人ほどの受刑者がいて、その平均年齢は40歳ぐらいだったそうで、その彼女たちのために作詞・作曲」した『希望(のぞみ)』という歌があるそうです。(笠松女子刑務所を訪れたのは昭和56年1月とのこと)

 

番組の中で、ある刑務所を慰問したときの、その歌をうたうシーンがあり、その時、彼は次のように語っていました。

 

○私は5000曲近くの歌を作りましたが、みんな良いところは歌い手さんたちがもってゆき(聴衆笑う)、私の手元に残っているのは1曲か2曲しかありません。その内の大事にしている1曲は50年近く刑務所の慰問をやってきまして、笠松の刑務所の受刑者たちに作ってやった「希望(のぞみ)」という歌があるんです。

 

とこのように語り、そして、「希望(のぞみ)」を歌い始めます。

 

        「希望(のぞみ) 

       ここから出たら 母に会いたい      

       おんなじ部屋で ねむってみたい

       そしてそして泣くだけ泣いて

       ごめんねと 思いきり すがってみたい

 

  私の感覚ではヒットするような(一般に受ける)曲ではないですが、しみじみとした情感のある歌でした。

 

そして、女性の声で、次のようなナレーションがありました。

○船村が、みずから書いた歌詞の説明をし、歌い始めると、またたくまにハンカチの花が咲き、すすり泣く声が起きたという。

 

 番組を見て、感動を覚えながら、あらためて歌はいいものだと思ったことでした。


「言葉の宝石・思想の宝石」

2020年03月08日 | 人生

私は通常、朝起きた後に40分ほど瞑想をし、その後珈琲を飲みながら1時間ぐらい本を読むのですが、その時間を何よりも楽しみにしています。そして素敵な文章に出会うと、それが「言葉の宝石」に思えたり、「思想の宝石」に思えたりして、宝を発見したような嬉しい気持ちになります。

今日も本を読んでいて、そんな一文に出会い、うれしい気持ちになってここにも紹介させてもらいたくなりました。
これです。

 

年齢と共に魂は進歩する:見苦しい姿をした毛虫の生活はまことに不自由な生活であり、空を飛ぶことも出来なければ、直立して進行することも出来ない。ただ彼の全生活は植物の葉から葉に渡ってそれを食して糞をするだけに限られている。併しやがて時が来る。彼の内部に“革命”とでも云うような衝動が起って彼の生命を揺り動かすのである。彼は自分自身の現状に満足しなくなる。そして不機嫌そうに動かなくなる。
 しかしやがて彼は変貌する。羽の生えた美しい蝶となってその古い殻から飛び出すのである。もう彼は、貪欲に植物の葉を貪り食わなくなる。利己的に他を食いあらすことを休(や)めて、わずかな蜜の精髄を吸うだけで、花から花へと花粉を配達すると云う「与える生活」のみを送るようになるのである。人間も晩年にも達すれば、過去の儲けることばかりを考えた習慣から去って神への奉仕生活が始まるのである。     
                                                     
 (谷口雅春著 『希望をかなえる365章』 より)

(註) 聖書の中に「いと小さきものを助けるのは、わたし(神)を助けたのである」という意味の言葉があるが、「神への奉仕」とは、そんな意味のことかと思う。

 

あの毛虫を、こんなに美しく表現できるなんて、なんと素晴らしいのだろう。

見るだけで体がかゆくなるようなあの毛虫が、まるで違ったものに思えて来て、「ああ、毛虫ってそんなに素晴らしいものだったのか」と、毛虫を見る目が一変してしまったようです。

そして自分も、いつか必ず、彼のように大きく飛翔する時が来るに違いないと夢を見るのでした

 


嘘から出た真

2020年02月29日 | 人生

私は高校生になってから、善人ぶった人間より、悪人ぶった人間の方がよほど正直で好ましいと思い、そして自らも悪人ぶって、いろいろ悪いことをやり始め、停学になったり、警察に補導されたり・・・するようになりました。そして悪習慣が身に付き、怠け癖が身に付き、これではいかんと思いはじめた頃には、もう自分の弱い意志では立ち直れなくなっていました。

 

これは悪い方の「嘘から出た真」ですが、その後、私が20代の頃にこんな印象的で感動的な話を聞きました。
御用とお急ぎでない方は、どうぞ、その良い方の「嘘から出た真」の話を聞いてやって下さい。

 

さて、細かいところまでは覚えていませんが、或る不良で親不幸な青年がいたと思ってください。その彼が警察に追われるような何か悪いことをして、必死に逃げていました。そして、と或る人混みの中に逃げ込みます。

 

逃げ込んだときにはゼーゼー息をしていましたが、次第に落ち着いて来て、「ここはどこ?」と周りの様子を伺うと、誰かが演壇に立って話をしていました。その話を聞くともなく聞いてみると、その演壇の人物は「嘘でもいいから親孝行せよ」という話をしていたとのこと。青年はそれを聞いて「なかなか面白いことを言う」と思ったらしいのです。

 

そして家に帰ると、父親が風呂に入っているところでした。それで青年は「嘘でもいいから親孝行せよ」という言葉を思い出し、嘘で親孝行の真似事をする気になったそうです。それで「親父、背中流してやろか」と言って、父親の背中を流し始めた。そして自分が父親の背中を流していると思うと、なんだか妙な気持ちになってきて、一生懸命こすり始めました。こすっていると、父親の背中が前に倒れ込んでいくので、その背中を起します。しかし、また倒れ込んでいくので、また起こします。そうしているうちに、父親が泣いているのに気がついたそうです。

 

父親が泣いているのに気づいた青年は、ますます妙な気持ちになり、自分は今まで親不孝ばかりしてきて父親に嫌われていると思っていたのに、ちょっと背中を流しただけで、こんなに喜んでくれる父親であることを知り、本当に申し訳なかったという気持ちになり、警察に自首し、その後すっかり親孝行な青年になったという話でした。

 

というわけで、私にとっては、今でも忘れられない印象的な話でした。


或る「夫婦の会話」

2020年02月18日 | 人生

毎月の月刊誌を放置しておくと本箱に入りきらなくなるから、自然と古いものから処分してゆかなければならない。空気を吸って吐く様なもので、処分することも大事な仕事なのである。ただ、そのまま処分するのも申し訳ない気もするので、処分の前にはざっと目を通します。

 

そして今朝、処分をと思って婦人向けの「白鳩」という月刊誌をざっと読むと、『信仰随想』コーナーの「夫婦の会話」と題するエッセーがとても良かったので、このまま処分は勿体ない気がして、ここに書かせてもらうことしました。深いしみじみとしたものが感じられてとても良かったのですが、皆様も何かを感じて頂ければ幸いです。

 

さて、このエッセイを書いた奥さんのご主人は、食べ物をのどに詰まらせて苦しそうにすることが続いたので診察してもらうと、ステージ4の食道ガンだったとのこと。それでも、五女の結婚式のときには、バージンロードを娘と歩いてくれました、と書いています。

以下、原文をそのまま紹介させてもらいます。

 

≪夫婦の会話≫

私たちは、私が22歳、主人が27歳の時に職場結婚しました。鉄鋼メーカーの営業職だった主人は、「僕は出世しないけどいいの?」と言いましたが、私は主人といるだけで安らぎを感じました。

 

主人は元々口数が少なく、しかも単身赴任が7年も続き、私も5人の娘を育てることで手一杯で、夫婦の会話はあまりありませんでした。子育てのことや子供たちの進学のことなどを私一人で決め、主人には事後承諾ということが度々ありました。今振り返ると「きっとわかってくれている」と自分勝手に思い込む私を優しく大きな心で受け止めていてくれたのです。

 

入院中は主人との時間がゆっくり過ぎて行きました。近所の知り合いから生長の家の教えを伝えられていた私は、「人間は神の子で、命は永遠に生き通し」と学んでいたので、「お父さん、命は生き通しだから、いつも一緒だよ」と励ましました。そして枕もとで生長の家のお経の『甘露の法雨』を繰り返し黙読しました。

 

ベッドの主人に「これまで何もできなくてごめんなさい」と言うと、主人からは「よくやってくれてありがとう」という言葉が返ってきました。私も「子供も孫も家もあり、日本一、世界一、宇宙一の幸福者です」と素直に感謝の気持ちを伝えました。主人に「来生は何になりたい?」と聞くと、「お殿様になりたい」と言います。「じゃあ、私がお姫様になったら探してね」と答えました。結婚生活の中で、互いの心が通い合った時間でした。

 

この会話から数日後、「少しだるい、ゆっくり休みたいから先生を呼んでくれ」と主人が言いました。主治医が「ゆっくり休みたいんだね」と問いかけると、主人は「うん」と頷きました。子供たちは手足や体をさすりながら「おとうさん、ありがとう」と 言葉を掛け続けました。そして平成○年○月○日、主人はそのまま安らかに霊界に旅立ちました。

 

主人を亡くした後も、私はもっと主人と話す時間を作ればよかった、もっと主人の気持ちに寄り添えばよかったと、後悔の念に苛まれました。

 

と、その頃の心境をつづられ、その後、本の中に、

○人間の本質は肉体ではなく、それを動かす生命である。肉体はこの地球という天体で生きるための宇宙服のようなものだから、この世の使命が終わればそれを脱ぎ捨てて、新たな次の境涯へと移行する。≪中略≫残されたものは、悲しく、恋しく、切なくても、その思いを感謝の心に替えていくことが必要だ」

 

と、書かれているのを読み、

 

毎日、『甘露の法雨』を読誦して、遺影に「お父さん、ありがとう」と語りかけています。私が毎日明るく笑顔で生きることが、主人か一番喜ぶことだと信じています。

 

と、このように結ばれていました。


さて、自分があの世に行くときは、どんな死に方になるのだろう。
こんなしみじみとした会話の後で静かに旅立っていければきっと幸せだろうと思う。


「生命の進化」

2020年02月16日 | 人生

学校の先生に、ほんのちょっとしたことで褒められ、その先生が好きになり、成績がぐんぐんよくなったという話を聞きます。
反対に、先生から馬鹿にされ、それから先生に反抗心を持ち、勉強しなくなり、成績が見る見る落ちていったという話も聞きます。

 

子供ばかりではなく、大人でも、上役から褒められて能力を発揮し出す人もいれば、反対に上役が変って始終文句を言われるようになり、鬱になったという話も聞きます。

 

わたしは、以前にも書いたことがありますが、高校時代に堕落して成績は落ちる一方で、卒業後には国家試験があり、それに合格しなければ希望の職業につくことが出来ない、それがわかっていても、結局立ち直ることが出来ない人間でした。
そんな私に立ち直るきっかけを与えてくれたのが、生長の家の創始者である谷口雅春先生の本で、それを読んで人間観が変わり、立ち直ることが出来たのでした。

 

その人間観というのが、今朝読んでいた本の中に簡潔に現わされている文章があったので、それを、懐かしいままに、ここに書きたくなりました。それが下の「生命の進化」という一節です。


生命の進化:吾々の生命は常に一層高き進歩に向かって行進しつつあるのである。併し、「低いもの」が如何にして、「一層高きもの」を思い浮かべ得るであろうか。「一層高きもの」はそれよりも「低次のもの」を考えるのはいと易きことであろう。しかし「低きもの」には「一層高きもの」を理解することはできない筈である。現在「低きもの」でありながら、「一層高きもの」を理解し得るのは、その「一層高きもの」に触れることによって、自己の内にある所の「一層高きもの」が喚び出されてくる結果と言うほかはないのである。
 「一層高きもの」に生命が進化し行くのは、既に「一層高きもの」が生命の内部に宿っており、それが色々の環境や条件や境遇や経験によって触発されて輝き発して来るにほかならないのである。吾々は今与えられている環境・条件・境遇・経験から逃げ出そうと考えてはならないのである。それを喜んで受け、それから得られるところの凡ての経験を通して吸収しなければならない。それによって吾々は内在する無限の神性を、一層多く開顕することができるのである。  『生活の智慧365章』より

 

或る天文物理学者が言っていました。
「吾々が宇宙を理解することが出来る、それが不思議だ」と。

 

汚れを知らない少年の頃には純粋な心で、どんな悪にも負けないところの強さや正義や優しさに憧れたりするが、それはただの少年時代の夢想ではなく、人間の奥深くに本来的に備わっているものを、まだ汚れを知らない少年時代に感じるからではないだろうか。

 

私は、言ってみれば、「自分は救いようのないダメ人間」と思っていたのに、上役から、「いや、お前はそんな自分が思っている様なダメ人間ではない。俺が見る所、お前はなかなか筋の善い人間だ。頑張ればいくらでもよくなれる人間だ。もっと自信を持て!」と言われたようなものだったのでした。


人は「瓦か、ダイヤモンドか?」

2020年01月22日 | 人生

私の好きな話に、こんな話があります。

 

ある寺の小僧が毎日熱心に仏さまを拝んでいました。

そんなある日。お師匠さんがその小僧に聞きました。

 

お師匠さん:毎日熱心に仏を拝んで感心なことだが、それはどうしてかな?

小僧:ハイお師匠様、わたしは悟りを開いて仏になりたいと思っているのです。それでこうして毎日仏さまを拝んでいるのです。

 

と、小僧は答えました。

それを聞いたお師匠さんは何も言わず、黙ってその場を立ち去りました。

 

それから、しばらくした或る日のこと、今度はお師匠さんが一生懸命に瓦を磨いていました。

それを見かけた小僧が、お師匠さんに聞きました。

 

小僧:お師匠様、瓦を磨いてどうされるんですか?

お師匠:うん、実はな、瓦も磨けばダイヤモンドになるんじゃないかかなと思っての、こうやって磨いておるんじゃよ。

 

お師匠さんがこう答えると、小僧はつい可笑しくなって言いました。

小僧:お師匠様、瓦をいくら磨いたって、瓦は瓦ですよ。ダイヤモンドにはなりません。

 

そう答えた瞬間、小僧はハッと気づいたそうです。

自分は今まで凡夫が修行して仏になると思っていたが、そうではなく、初めから仏であるものが、仏であることに気づくのだ、と。


どこから生まれて来たか?③

2020年01月19日 | 人生

今から100年ぐらい前、つまり1905年、そして1915年に、アインシュタインによってそれぞれ特殊相対性理論、一般相対性理論が発表された。それと並行するように、その頃から原子の構造が解明され、ミクロの物質、つまり素粒子の振る舞いなどの研究が進み、量子力学と言われる新しい物理学が誕生した。その相対性理論と量子力学、この2つによって、今では宇宙がどのように造られてきたかということが、随分わかるようになってきた。

 

そして驚かされるのは、小はミクロの物質から、大は天体まで、それらの生成や運動が数学的秩序の上に成り立っていて、その運動は方程式で現わされるということである。

 

そのために――まだ多くの謎があるが――ともかく、それらの運動に関する方程式をコンピュータに入力することで、どのように宇宙ができてきたかをシミュレーションすることができ、私たちはその宇宙生成過程の一部を映像で見ることができるぐらいになっている。

 

宇宙の生成過程に数学的秩序があるなら、宇宙が偶然にできたとは考えにくい。偶然の産物ではなく、その背後に、眼に見えない智慧が働いていて、その智慧によって生成過程が導かれ、原子、素粒子、あるいは天体等の動きが統制されている、そう考えても決して突飛とは言えないだろう。 (そこに智慧があるということは、そこに生命があるともいえる) 多くの研究者たちは、その美しいほどの数学的秩序に感動し、神秘を感じているらしい。あるいは偉大なる生命を感じているかもしれない。だからこそ、知れば知るほど奥深いものを感じ、興味が尽きないのではないか。

 

さて、人間には黒人、白人、その中間の黄色人種と言われるものがあるが、皮膚の色は違っても人体の構造は同じであるから、その設計者は同じといえるだろう。

 

人体を構成しているその材料(窒素、炭素、カルシウムなど)は、星の中でつくられ、星が寿命をむかえて爆発し宇宙に飛び散り、それがやがて人体をつくりだす源になっているから、「人間は星のカケラでできている」とか「星から生まれた」とか言われる。

 

そして夫婦の和合により精子が卵子に到達すると細胞が分裂増殖しはじめる。しかし、それだけでは人間はできない。「人間なるもの」の設計が必要であり、その設計(智慧)に従って、ただ単に同列一様に細胞が分裂増殖するのではなく、手となり、足となり、内臓各器官の臓器となって配置されなければならない。このように智慧(つまり生命)が天下ってそれに導かれることがなければ、人体なるものは誕生しない。人体を誕生せしめたものは智慧ある生命であり、その智慧ある生命が人間であり、人体は地球という天体で生活するための宇宙服と言えるのではないだろうか。

 

つまり人間は、色々な言い方が出来るが、要するに宇宙を誕生させた智慧ある生命と同質であり、生命から誕生した生命である、といえるのではないだろうか。

 

たとえば、「私の身体」という言葉は、所有格を意味する言葉で、「私なるもの」と「身体」とは別であることを示しており、「私なるもの」が身体から去れば、その身体を「抜けがら」とか「亡きがら」とか言うことを思えば、「なるほど」と頷けるのではないかと思う。

 

その智慧ある生命を、尊きもの、神聖なるもの、素晴らしいもの、とかいうのではないだろうか。

であればこそ、それに反することをすれば気が咎めるのであり(本来の自分ではないから)、反対に他に親切をした時とか、何かよいことをした時に嬉しくなったりするのは、それが本来の自分であるからだろろう。

 

インターネットで調べた記事の中には、「自分らしく生きること」とあったが、その「自分らしく」とは具体的に何かは書かれてなかったが、つきつめれば、多分、上に書いたようなことになるのではないだろうか。

 

以上は、本で読んだ受け売りですが、いじめが少しでもなくなることを願いつつ書かせてもらいました。

最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございます。