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気の向くままに

山、花、人生を讃える

どこから生まれて来たか?②

2020年01月17日 | 人生

前の記事で「どこから生まれて来たか?」と題して書きはじめたのですが、あとで「しまった!」と後悔しました。

 

実は相変わらず子供たちの「いじめ問題」がニュースの話題になったりするので「どうしてこんなことになるのか」と気になっていて、先日、今の子供たちはどんなことを思ったり考えたりしているのかと、インターネットで参考になる記事はないか調べてみる気になりました。

 

そして最初に読んだ記事に、子供の成長に大切なことは「自己肯定感である」ということ、そして日本の子供たちはアンケートの調査結果によれば、他の国に比べて「自己肯定感」がいちじるしく低いということが書かれていました。

 

わたしは経験上、そして自分の得た知識からも、この考えに大いに賛成でした。そしてこの自己肯定感をもつためには、「人間はどこから生まれて来たのか」ということを知ることがとても大切だと思ったのでした。

 

何故なら、私は若い頃、「生まれて来たくて生まれて来たんじゃない。親が変なことをするから生まれたくもないのに生まれて来たんだ」などと、自分が堕落したのは自分の責任じゃないと言い訳するように漠然とそんなことを思ったりしていたものでした。

 

自分の日々が順調な時はそんなことは思わないと思いますが、「面白くない」と感じるようになると、若い年頃にはそんなふうに考えやすいのではと思います。そして、その上に何かのマイナス要因が重なったりすると自暴自棄になったり、何か悪さをしてウサ晴らしに走ったりするのではないかと思います。

 

そんなことから、自己肯定感がもてるようにと「どこから生まれて来たか」について、自分の学んだことを書きたくなったわけですが、「しまった。分に過ぎたことを書き始めた」と後悔し、この話の続きはなしにしようと思っていました。

 

ところが、自分の記事の「アピールチャンス」が来たとき、思い切ってクリックすると、自分が思っていた以上の反響があり、「この問題については多くの人に関心のある事なんだ」とあらためて思い、そしてまた嬉しくなり、「続きを希望」に後押しされて、もう少し書いてみる気になった次第です。

 

さて、人間は母親の子宮を通ってこの世に誕生しているが、かといって母親が製造元ではないことは確かだろうと思います。母親が製造元なら、男の子が欲しいと思えば男の子が生めるし、女の子が欲しいと思えば女の子が生める。が、実際にはなかかなか思うようにはいかない。また、これ以上子供はいらないと思っても生まれるようですし、反対にどれほど欲しいと願っても生まれないこともあるのを見れば、父親・母親が子供をこしらえたのではないことは明らかだと思います。

 

禅宗の『無門関』という本の第8則に次のような話があります。

 

月庵(げったん)和尚が、弟子の修行僧たちに次のような質問をした。

≪問≫奚仲(けいちゅう)という人が車を発明して100輻造った。ところがせっかく造った車を何を思ったのか、両方の車輪を取り去り、車軸を外し、ばらばらにしてしまった。そして首をかしげて考え込んでいる。さて、契沖は一体何を明らかにしたかったのか、答えて見よ。・・・というのでした。

 

これは、「果たして、車はどこにあるのか?」という問題なんだそうですが、「車はどこから生まれて来たか」と置き換えてもいいと思います。

 

そして、車は先ず最初に奚仲(けいちゅう)という人の心の中に描かれ、そして心に描かれた設計に従って、部品が集められ、車が作られた。つまり車は「契沖の心の中にある」。そして車の本質は何かと言えば、眼に見える形ではなく、「わっばがあり、それが回転して、前進するもの」そのアイディアが「車なるもの」であり、車の本質であると・・・。形あるものはいつか壊れるが、心の中にあるアイディア、「車なるもの」は毀れることがないから、色々形を変えては、新しい車が出現する(進化)。

 

人間がこしらえたものはこのように、車も、飛行機も、船も、汽車も、ラジオも、テレビも、携帯電話も、ありとあらゆるものは、まず最初に人間の心の中に描かれものであり、そしてそれがやがて眼に見える形となってあらわれて来た。

 

では、それらを作った人間はどこから生まれて来たかという話になるわけですが、本当に、人間は親のセックスによって、生まれたくもないのに偶然に生まれてきたのだろうか。もし、本当にそうであるなら、悪いことをしてはいけないという根拠、立派な人になりなさいというような根拠はどこから生じて来るのだろうか。

 

偶然に生まれ、やがて死んで何もなくなるのが人間であるなら、何故、多くの人の心の中に、利己主義者になってはいけないとか、威張り散らかす様な人間になってはいけないとか、そして、やさしい人間になりたいとかの欲求が内部から涌いてきたりするのだろうか。

 

そんな問いに答えることができなければ、もし、子供たちから、「いじめはなぜいけないの?」「自殺は何故いけないの?」ときかれても、答えることができない。そして、そこにいじめの問題が改善できない要因があるのではないかと、そんな気がしています。


どこから生まれて来たか?

2020年01月14日 | 人生

今年は東京オリンピックが開催される年ですが、前回、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時の話として、次のような話を思い出します。それは私が21歳の時(昭和45年)初めて生長の家の練成会に参加したときに聞いたのですが、講師がこんな話をしました。

 

それはホテルに泊まった或る外国人のこと。多分アフリカの人だったと思いますが、彼は水道の蛇口をひねると水が出ることに驚き、「こんな便利なものがあるならぜひ国に持って帰りたい」、そう思ってフロントに行き、「あれをお土産に持って帰りたいが、とこに行けば買えるのか?」聞いたという話です。

 

ウソか冗談のような話ですが、その講師は「わたしかフロントをしていた人から直接聞いた話ですから、本当の話ですよ!」と話していて、それが今も鮮明にわたしの記憶に残っています。

 

さて、この講師がなぜこんな話を持ち出したかということですが、それは、「水道の水は果たして蛇口から生まれてきたのか?」という問いかけであり、それは同時に「人間は果たして母親の子宮から生まれて来たのか?」という問いかけであり、さらには「人間はどこから生まれて来たか?」の問いかけでもありました。


友の有難さを感じる

2019年12月29日 | 人生

昨日は仲間5人で忘年会をした。忘年会といっても、酒のない忘年会で、カラオケをして、その後近くの店で食事をしただけのことである。

 

カラオケは3時間、それぞれ好きな歌をうたい、最後は一人の発案で、それまで歌っていた曲と打って変わった「ふるさと」をみんなでうたった。初めは「?」だったが、歌ってみるとこれが今日の中で一番ジーンとさせられた歌だった。

 

夕食は皆1000円前後のものだが、グルメを志向する者はメンバーの中にいないので、この程度の食事会でというか、この程度だからというべきか、ともかくこれで充分楽しい食事会なのである。

話は弾み、幸い店も空いていたので90分ほどもアレコレ雑談して、お互いに「良い正月を」と言って解散した。

 

毎年の忘年会で、毎年、こうして友のいる有難さを感じさせてもらっている。感謝

 

 

私の好きな1節

○あなたがたは、いつでも好きな時に帰郷できる。

あなたがそうしたいと思えばいつでも、わたしたちは、再び一緒になることができる。

わたしとの合一という歓喜、あなたがたは、それを再び知る。

帽子がはらりと落ちるとき。

風があなたの顔を吹きすぎるとき。

夏の星空の下でコオロギの声を聞くとき。

はじめて虹を見るとき。

赤ん坊が生まれてはじめて泣き声をあげるとき。

素晴らしい夕日が最後の光を投げかけるとき。

そして、素晴らしい人生の最後の息をひきとるとき。

わたしは常に、時の終わりまで、あなたがたとともにいる。

あなたがたとわたしの合一は完成されている。

これまでも、今も、そしてこれからいつまでも。

あなたと私はひとつだ。今も、永遠に。

(以下略)              『神との対話』(ニール・土ナルド・ウォルシュ著)より


藤井美和さんの話

2019年12月21日 | 人生

先日書いた『突然の恋』を読み終わり、昨日から『小さな奇跡』(谷口純子著)というエッセイ集を読み始めた。そして次のような感動的な記事があったので、紹介させてもらいます。

 

それは「藤井美和」という人の話で、この方は現在(2007年頃)関西学院大学准教授で、死生学・スピリチュアリティ研究センター長をされているとのことである。

 

この藤井美和さんという方は大学で法律を学び、卒業後は新聞社に就職し、その頃はまだ少ない男女平等の仕事に就くことができ、やり甲斐のある仕事を任され、充実した日々を送っていたそうだ。ところが会社に就職して6年目、仕事に脂がのってきた28歳のとき、突然頭痛と手の痺れを覚えたそうである。

 

そして「3日」というほんのわずかな期間に、指1本動かず、瞬きさえできない全身麻痺の状態になったとのこと。それは藤井さんにとって全く思いがけない出来事で、病院に運ばれ、麻痺が進む中で死に直面し、「私の人生は何だったのだろう、何のために生きてきたのだろう」と思ったそうです。

 

そして、自分の28年の人生を振り返ったとき、お金や社会的地位、名誉や財産など目に見えるものを求めて、多くの時間とエネルギーを費やしてきたが、死に際してそれらは何の助けにもならないという事がわかったそうです。また、自分はこれまで人のために何かしただろうかと、自分中心の人生を振り返り後悔したそうだ。バリバリ仕事をすることが、自分のためにも会社のためにも役に立つことだと思っていたが、知らず識らずのうちに自己中心的な生き方になっていたと気づいたとのこと。

 

病院に運ばれたその日のうちに麻痺は呼吸筋に及び、息をするのも苦しい中で、藤井さんは祈ったそうだ。

 

「神さま、もう一度生きるチャンスを与えてください。もう一度命が与えられたら、今度は人のために何かしたと言えるような、そして本当に喜んで天国に行けるような、そんな生き方をしたいのです」

 

こうして、泣きながら祈ったその晩、進行していた麻痺が止まった。が、その翌日、主治医からは「もう死にませんよ。けれども、一生寝たきりか、良くて1年後に車椅子に乗れたらいい方です」と言われたそうだ。

 

だが、藤井さんはその後、奇跡的な回復をし、半年後には杖をついて退院し、2年後には関西学院大学に学士編入し、更にはアメリカのワシントン大学で5年間学び、博士業を取得して現在に至っているとのこと。そして、この話は藤井美和さんと双子の妹である里恵さんとの共著『魂のケアー・病む人のかたわらに』という本に載っているとのことです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


猛暑の中の記念すべき1日

2019年09月10日 | 人生

昨日は最低気温が28度、最高気温は36度の猛暑日だった。

その中で9時から16時までシルバー人材の剪定作業をした。

 

わたしはこんな猛暑の中でも本当に仕事をするだろうかと中止になることを願っていたが、班長の立場になると、さすがに責任感が強く、予定の仕事はこなして行かなければならないという気持ちが優先するようで、安易に「中止」と云う訳にはいかないようだった。

 

わたしも中止を願いつつ、作業は予定通り行われるだろうとは思っていたので、クーラーボックスに、アイスノン、冷たい飲み物、水にぬらしたタオル、着替え用の服、団扇などを用意した。
わたしは他の剪定班のメンバーよりも熱中症にかかりやすいことは経験的にわかっていたので、何とか乗りきるにはこれぐらいの準備は必要だった。

 

この日は個人のお宅ではなく、忠魂碑のある公園のような所だったので、遠慮なく上半身裸になることが出来、その点も大いに助かった。他の人は汗に濡れた作業服のままで休憩しているが、私がそれと同じことをしていると、身体が火照ったままで息苦しいのだが、日陰で上半身裸でいれば、ずいぶん楽なのである。

 

また、アイスノンで冷やした濡れタオルで顔や体を拭くととても気持ちがよく、これで火照った体が冷やされてかなり楽になる。そして団扇でパタパタ仰ぐ。

 

通常は1日仕事の場合、休憩は午前、午後各1回だが、この日はさすがに午前、午後20分程度の休憩を2回取ってくれたので、大いに助かった。

 

しかし、メンバー6人のうち、1人は10時ころスズメバチに指をさされて救急車で運ばれ、また去年から剪定班に入ったいちばん若い人(65)が午前中でダウンし、昼からの作業は棄権という、なかなか過酷の作業だった。

 

わがシルバーの剪定作業は、7,8月は休みで、9月がシーズン初めである。そしてこの日が私の2回目の作業日でまだ身体も作業に慣れておらず、猛暑の予想でもあったので、迷惑を懸けることにならないかと心配したが、前日に、少しでも暑さに慣れていこうと、炎天下の中を1時間以上歩いたりの準備もした。そして、何とか最後までやり通せて、ほっとしたのだった。

 

大げさかもしれないが、こんな猛暑の中の1日仕事は、私にとっては記念すべき1日だった気がするのである。


自分だけの「見返り美人」

2019年09月02日 | 人生

今朝、あるブログの過去記事を読んでいたら、「見返り美人」という言葉が出てきた。

 

それで思い出したのだが、私と家内がある山に登っていたときのこと。

私より家内が数メートル先を歩いていて、その家内が休憩ポイントの峠に着いたとき、

突然おどけて、わたしの方へ振向きながら、「見返り美人」と言ってポーズをとった。

その、おどけた仕草と表情が二度とは見られない傑作だったのだが、

思い出すと、今でも笑ってしまう。。

 

と、いうことで、自分だけが見た、「自分だけの見返り美人」の思い出でした。

 

 


この年になって「愛」について思う

2019年08月29日 | 人生

私が入学した高校は男ばかりの全寮制だった。そして中にはいろんな上級生がいた。人生とは、恋愛とは、善とはなど議論の好きな人、「女なんて小便臭くってよ~」が口癖の人、喧嘩自慢の人、怪談話が好きな人、色々であった。怪談話など実に巧みに話す先輩もいて、今思い出しても感心させられる。

 

さて、今思い出すのは、怪談話ではなく、「恋愛論」である。まだ高校生という純情時代、恋愛と言えば、相手がたとえ病気やケガで醜くなったとしても、尚、好きでたまらないというのが、本当の恋愛であるということに異論をはさむ者はいなかった。

 

しかし、「あれから40年」ではないが、あろうことか、ひたすら家族のためにと、辛いことも乗り越えて定年まで頑張ってきた夫を、その夫が毎日家にいるようになると、それを鬱陶しいという奥さんがいるらしい。(男にとって、家庭は最も心を休めることが出来る場所と思うが。)こんな話をたびたび聞かされるが、こんな理不尽なことがあってよいものだろうか。と男の私は思う。

 

もし、自分の妻が、わたしのことをそんなふうに思っている事がわかったとしたら、「俺は今まで何のために生きてきたんだ」と世をはかなんで、自殺してしまうかもね、である。

 

スポーツのコーチや議員などの暴力、暴言の話を聞くと、自分の中にもそんな血が流れているのを知っているから、男はつくづく駄目な生き物だと思ったりもするが、家族のために辛いことも乗り越えて、定年まで頑張って働いて来た男たちが、妻からうっとうしがられているなどという話を聞くと悲しい気持ちになる。たいがいの男たちは、なんだかんだと言いながら、奥さんを愛していることを知っているから、同じ男として、一層悲しい気持ちになる。

 

そして、翻って、自分を思い、家内を思い、自分はどうかと考え、家内に多少の欠点があるからとて、そんなわずかな欠点に気を取られることなく、今までどんなにありがたかったかを思い、これからも共にいてくれることの有難さを思い、もっともっと家内にやさしく親切でなければと思ったりする。そして、この年になって「愛とは?」と、再び考えさせられたりもするのである。


立ち直っていく青年たち

2019年08月12日 | 人生

生長の家の練成会では、「人間は神の子であって、本来完全円満である」という話をするのだが、その練成会には、家庭では困りものの不良といってもいい青年が、親戚のおばさんとか誰かのすすめで練成会に参加してくることが多い。そして、たいがいはまっとうな青年になってかえって行く。

 

それは不良に見えても、生き甲斐を見出せず、歓びや希望が見出せずにもがいていて、それが不良青年の如くあらわれているだけだから、生き甲斐を見出せばたちまち本来のまっとうな青年に立ち返ることが出来るのだろう。

 

以下は、わたしが20代前半にはじめて練成会に参加したとき、その講師の講話に感動し、メモしていた話です。

 

ある時、やはりそんな不良青年が参加していて、講師の「人間は“神の子”である」という話に食って掛かってきた。

 

「俺みたいな悪党をつかまえて“神の子”とはチャンチャラおかしい。いい加減なことを言うな」

 

そう言って、アコーディオンをうるさく鳴らし、話の妨害をしてきたとのこと。

 

それで、その本部講師は講話を中断し、彼に近寄って言った。

講師:それが、君が“神の子”である証拠だ。

青年:何が俺が神の子か。ウソを言うな!

講師:いや、君が今、自分みたいな悪い奴を・・・と言っていたが、その“悪い”と分かるというところが素晴らしいのだ。君が本当に悪い人なら、自分が悪いという事がわからないんだ。君の中にかくれている“善い心”こそ君の本当の心なのだから、君は本当は素晴らしいのだ」と話した。

 

すると彼は「なる程、自分の中には、自分でも気づかなかった“善い心”があるんだな」とはっと気づいて、それ以後も、すすんで練成に参加するようになり、次第に善良な青年に変わっていった、という話である。

 

忘れていた昔のメモしたノートを読んで思わず目頭が熱くなり、この話を紹介したくなった次第です。

読んでいただき、ありがとうございます。


今さらながら、気づかせてもらったこと

2019年08月01日 | 人生

昨日の名古屋の最高気温は36.8度。今日の予想最高気温は38度近くまで上がるらしい。
そして最低気温は28度との予報だった。

 

普段めったにはエアコンを使わないが、さすがに昨日は入浴後はできるだけ汗をかきたくないということで、夜の9時にエアコンをつけ、一晩中エアコンのお世話になった。ちなみに、昨日の日中の私の部屋の温度は34度。夜9時のエアコンをつける前の温度は32度だった。

 

私の小学生の頃の夏休み中の最高気温は32度が多かった。33度というのはあったかもしれないが私の記憶にはない。
そして、小学生以後は最高気温何度ということに自然と関心がなくなっていった。

 

そして、再び最高気温を意識するようになったのは、35度とか36度の日が何日か続いて、猛暑が騒がれた年だった。
私が40代前半の頃ではなかったかと思う。

 

その頃、暑さで食欲がないとこぼしたのだろうか。私が乗船中、家内が仏壇に私のための陰膳を供えてくれていたことを聞いた。
その陰膳の効果のほどは分からないが、それを聞いて、心強く、うれしく思ったのは間違いない。

 

思い出したが、最近、わたしは毎日の食事を作ることの大変さをある方のブログを読んで初めて知った。
それは、その方がブログの中で、仕事を終えて家に帰った後、家族が腹を減らして待っているのを感じながら、疲れた身体で急ぎ仕度することのプレッシャーや、手伝う気持ちもなくテーブルに座っている夫への不満などが書かれているのを読んだのだが、その時、私とその夫とが重なり、その夫の気持ちもわかる気がしたし、同時に、仕事をもちながら毎日、3度の食事を作ることの大変さも、初めて実感として伝わって来た。そして、自分もこのご主人と同じだったと大いに反省させられたのだった。

 

私は食事の用意をするのは家内の仕事だと、当たり前の如くに思っていて、「ご苦労様、ありがとう」というほどの気持ちは持ち合わせてはいなかった。

 

何が始まりだったかは覚えていないが、家内が、
「私だって働いている」と言ったとき、私は語気を強め、
「パートと一緒にするなっ」と怒ったのをよく覚えている。
そして、それも一度ではなく、3回ぐらいはあったと思う。

 

昨年、家内が入院したこともあって、少しは食事を作ってもらえることの有難さも分かっては来たが、それでも具体的にその大変さやご苦労に思いを馳せることはなかった。ブログを読ませていただいて、初めて作る人の気持ちになり、その大変さを肌で感じるように気づかせてもらうことができた。

 

そして、逆に、どうしてこんなことに今まで気づかなかったのかと思ったりもするが、これは多分、それだけ自分が自己中心的になっていた、あるいは「夫婦なんだから当たり前」という感覚に支配されていたせいかもしれない。
いずれにしても、未熟だったと大いに反省させられたことでした。

 

こうなると、夫婦は所詮他人なんだと思って、その他人様に世話していただいていると思った方がよいかもしれない。
そしてある認知症の奥さんが、世話してくれているご主人に、

 

「どなたか存じませんが、何の縁があって私にこんな親切をしてくれるのか・・・ありがとうございます」

 

と、言ったという、その言葉が、思い出されたことだった。


懐かしく思い出されること

2019年07月24日 | 人生

長く続いた梅雨空から解放されて、ようやく青空がのぞいた。今日の名古屋の予想最高気温は34度とのこと。私の住まいは水田の多い田舎だから、それよりは1~2度は低いはずだが、ともかく本格的な暑さを迎えることになるようだ。

 

夏の暑さは今の年齢の私には厳しいが、しかし、一方では初恋のような甘さ酸っぱさもある。
夏になると何故か「若い頃が懐かしい」という気分になるのである。

 

よく「夏の思い出」というが、「春の思い出」も「秋の思い出」も「冬の思い出」も、あまり聞かないから、これは多分、私だけのことではなく、日本人に共通した感慨かもしれない。

 

わたしの高校生時代にはグループサウンズが大人気だったが、私は一向に興味がなかったにもかかわらず、いや、それよりも若い女子たちにキャーキャー騒がれて喜んでいる軟弱な男たちという反感さえもあったのに、今、共通の時代を生きた同世代という仲間意識のようなものがあるし、当時のグループサウンズの曲を聞くと懐かしいのである。

 

グループサウンズばかりではなく、特に昭和40年代の曲は、その頃好きでなかった曲でも、懐かしく感じられるし、社会人になってからは歌謡曲にまったく興味がなかったのに、今は歌番組を録画して楽しんだりもしている。

 

私は学年が進むごとに落ちこぼれていった劣等生だったから、授業をさぼるのは割りと平気で、よく午後の授業をさぼってヨットで遊んだ。狭い岩礁の間を滑るように走るのはほんとうにスリルがあって、この時だけは「生きている」という実感があった。

 

しかし、また停学も3回くらい、最後は無期停学で、立ち直りたくても立ち直れずにもがいていた、謂わば灰色の時代でもあった。父親がそのたびにはるばる三重県の学校まで呼び出されたが、その頃の私は親の心配などは、気にもしていなかったように思う。親の心配よりも、自分が心配だったのである。

 

そして、卒業したすぐ、21歳の誕生日がまじかに迫った時、「一体こんな自分はこれからどうなるのだろう」と思い、一つ手相の本で自分の将来を占ってみようと云う訳で、名古屋の大きな本屋さんに出かけた。その時、『生命の実相』40巻がずらりと並んでいるのが目に入り、試しに読んでみる気になって2冊を買った。それ以後読んでは買いに行き、読んでは買いに行きを繰り返し、3月に読み始めて夏が終わるころには全巻を読んでしまった。感激のあまり本部に手紙を出したことも覚えている。

 

この本には「人間は神の子である」ということが、いろんな宗教教祖の教えや、哲学、心理学、医学、最新の物理学など、あらゆる方面から理路整然と説かれていた。それだけでなく、あらゆる人生の諸問題に就いても格調高く、しかも易しく説かれているので、読みながら舌を巻くばかりだった。複雑な概念を誰にもわかりやすく説く著者の頭の良さ、文章力のすばらしさに感動し、同時に、これで「自分は救われたぞ!」という感激がふつふつ湧き上がって来た。まさに暗闇に光を見つけた瞬間だった。そして、神が本当にいるということが、何か不思議であると同時に、それがとてもうれしかった。それは、この世の中は決していい加減の、偶然任せのものではないということであり、生きる価値を見出だした瞬間でもあった。 

 

夏になると、若い頃が懐かしく思い出されるのは、そんな影響もあるのかと思いつつ、今年もまた当時のことが懐かしく思い出されてくるのである。


或る重要な「質問」&「回答」

2019年07月23日 | 人生

少し前の生長の家の月刊誌を見ていたら、質問・相談コーナーにこんな質問が出ていました。

 

≪質問≫これまでいろんな宗教の集まりに顔を出してきました。どの宗教も決まって、「誰一人として悪い人はいないし、皆いい人だ」と言うのですが、それならなぜ、たくさんの殺人事件などが起きるのか、その問いに答えていないように思います。自分の宗派を伸ばすことばかりに躍起になっているのは、本末転倒のような気がしてなりません。(60歳 男性)

 

と、このような質問です。そして、これに対して次のように解答されていました。

 

≪回答≫

生長の家でも、「人間の本質は“神の子”であり、皆いい人であって、悪い人はいない」と教えています。
なのに、なぜ殺人事件などが起きるのでしょうか?

 

それは、「自分が神の子である」と気づいていない人が多いからです。
気づいていないから欲や嫉妬や恨みにとらわれ、人を殺したりなど悪を犯すことがあるのです。

 

では、皆いい人がなぜ悪を犯すことができるのかというと、人間には悪や善を為す自由があるからです。
いい事でも(善)、誰かに強制されてしかできないなら、その行為はほんとうの善とは言えなくなります。
善か悪かを自由に選択できる中で善をなすとき、初めてその人は善をなしたということができるのです。

 

人々に善と悪から善を選択してもらうには、「人間は神の子で神性、仏性を宿している」ということに気づいていただくことが必要になります。あなたは、「自分の宗派を伸ばすことばかりに躍起になっている」と宗教を評しますが、宗教の布教活動の本来の目的は、「人間の本質は皆いい人で、神性、仏性を宿している」と気づいてもらうことにあるのです。

 

生長の家では、殺人などが起きている世界を「現象」と呼び、殺人のない、完全円満ですべてが調和している世界を「実相」と言い、この実相が本当にある世界であって、現象は仮にあらわれている世界だと説きます。ですから、仮存在である現象世界の悪を攻撃しても悪はなくなりません。

 

そしてこの世には、心で認めたものが現れるという法則(唯心所現)がありますから、善を現すには、善いこと、物事の明るい面を認め、表現することで、善が広がり悪が消えていくのです。生長の家は、そうした生き方を「日時計主義」と言い、その実践をお勧めしているところです。

 

と、このように書かれていました。

 

つい最近、ある一人の人間によって、30人以上もの人たちが犠牲となる痛ましい事件が起きました。
そして、神仏がいるなら、どうしてこのような理不尽なことが起きるのか?というのは常に投げかけられる問題です。
上の回答を読まれた人は、さらに「ならば神がいるとして、なぜ神は、このような犠牲になるような人たちを助けようとしないのか」という疑問がわいてくるかもしれません。しかし、質問への回答はここまでなので、中途半端のようですが、ここで終わらせてもらいます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます


困難なるものの内にこそ蘊蓄が多い

2019年07月06日 | 人生

○人類の文明発達の歴史は、それまで困難、不可能とされてきたことを、人間の智慧によって可能にした歴史でもあります。

 

○アメリカの世界的発明家であるトーマス・エジソンは電灯を灯すまで1万回の失敗を重ねました。

しかし、そのことについて他の人から、

「1万回も失敗を繰り返したようですね」と尋ねられたエジソンは、

「私は失敗したことなどない。1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」と言ったそうです。

この言葉は、発明だけに限らず、わたし達の人生にも当てはまるものです。

 

生長の家の本部講師をつとめておられるA先生は、このように話を切り出され、そして自分の体験談を次のように話された。

 

○私は35歳の時、友人の連帯保証人になって1千万以上の借金を背負わされたことがありました。
私は、「友人を恨むことなく、この借金を払いおおせたら俺はすごい人になれる。神の子無限力を発揮する機会を与えてもらったのだ」と、考え方を変えたのです。そして、「きっとよいように導かれる」と祈りながら、コツコツと借金を返し続けました。すると、色々な人から思いがけない援助の手を差し伸べられ、幸運にも恵まれて、12年後に完済することが出来ました。

 

A先生は、ごく簡単にこのように話をされ、最後は次のように締めくくられました。

 

○私は自分の体験を通して、『真理の吟唱』(谷口雅春著)の中にある「人生の苦難を克服する祈り」の一節、
「困難なるものの内にこそ蘊蓄が多いのである」という言葉を実感しています。と


感動した、あるチラシの文章

2019年07月04日 | 人生

以下は、私の親しい友達の、その息子(20代のはじめ)が書いたという、夏季中高生練成会のチラシに掲載されている手記とその案内です。とても素晴らしく、感動させられたので、ここにも紹介させてもらいます。

 

 

皆さん、ありがとうございます。青年会の○○です。

僕は中学生の時にイジメを受けたんです。自分で自分を傷つけて「この世から居なくなってしまおう」とまで思った。仲の良い友達はいたけど、その辛い気持ちを話せなかった。心の内を見せられなかったんです。

 

でも、僕の場合はラッキーで、母が生長の家を勉強していたので、僕の様子に気がついてくれて相談することができました。おかげで、今でも信じられないぐらいですが、いじめっ子の彼と、大人になった今でも遊ぶほど仲良くなりました。そんな体験から、ただ仲が良いのが、いいんじゃない。本当の友達が必要だと思うようになりました。

 

今はそういう人が周りに居てくれます。本当に自分が辛い時に、相談できる相手、嬉しかった時に一緒に喜んでくれる人、ちゃんと心が通い合っている感じがして、弱さも強さも認め合える人が誰にでも必要なはずなんです。

 

そこで、今回の中学生・高校生練成会は、「深い愛」をテーマにします。両親、友達、恋人、先生、いじめっ子、どんな人間関係も根っこは「愛」で繋がっています。でも根っこなので、普通は見えません。見えないから忘れてしまって、栄養を送らなくなってしまいます。するとだんだん力を失っていくんです。でもまた水をあげればどんどん育っていく。

 

「愛の根っこ」の見つけ方、育て方を、2泊3日で一緒に学んでみたいんです。多くの人に参加して欲しいので、途中からの参加や帰るのはOKにしています。もし私に練成会は必要ないと思ったらかなりチャンスです。そんな人ほど、愛の根っこに気づくと変化が大きい。少し知るだけでも人生に根強い影響を与えられます。まだ4月ですが、もう準備を始めています。会えたら嬉しいです! 一緒に楽しみましょう!

 

 

というものですが、素晴らしいですね。

そう言えば、このお母さん、あまり自分を飾らない、とても明るい人です。そして、電話をしてもなかなかつながらないほど忙しくしている人ですが、子供がいじめられていることによく気づいたなと、それだけでも感心させられました。最後まで読んでいただきありがとうございました。


「赤い糸」はあるか?

2019年06月27日 | 人生

結婚して2年目ぐらいの時、家内からこんな話を聞かされた。

 

家内は28歳の時、今年中に結婚すると決意し、勤めていた市立幼稚園を退職し、京都宇治市にある生長の練成会に参加し(10日間)、終了後も研修生として道場に残って修行していた。その合間に本に書かれている「幸福なる結婚を招く祈り」というのを毎日読んでいた。

 

そんなある日、本部講師(先生)が彼女にこう言って指導したとのこと。

「○○さん、自分の半身がいると思っているのではまだ足りませんよ。半身ではなく、もう一人の自分がいると思いなさい。そういう気持ちで読んでいれば、どうしなくても、すぐにでも向こうからスーと寄ってきますよ」と。

 

わたしはそれを聞いたとき、びっくりしたというか、大きな感銘を受け、一瞬、頭の中が真っ白になった。何故かと言えば、その頃の私はこんなふうだったからである。

 

私はその頃のある日、朝起きるとすぐに、何とも言えない寂しさに襲われたのだった。「いったいこの寂しさは何なのか?」と思うが、思い当たるものは何もない。じたばたしても良くなる訳でもないから、一晩寝て次の日を待つより仕方がなかった。ところが次の日も、次の日もまったく同じだった。それで、たまらず熱田神宮に神想観(祈り・瞑想)に出かけた。

 

熱田神宮へ行ったのは、この数年前に、ある目的があって神想観に通ったとき、奇跡的なお蔭をいただいたことがあったからである。

 

そして熱田神宮の鳥居をくぐると、こらえていたものがこらえきれなくなって涙がこぼれてきたが、かまわず参道を進み、神前に座り神想観(40分ほど)をした。しかし、泣きたいような心境で、ただ神さまの前に座っているだけのようなものだった。が、それでも少しは気がまぎれ、ふと今の家内を思い出し、彼女と話をしたくなった。

 

その頃は、彼女は知り合いではあったが、個人的付き合いはなかった。けれども電話をすると、彼女は練成に行っているとのことだった。それを聞いた私は、意外にも、すぐに宇治へ行こうと思い、迷惑になってはいけないので、念のため電話をして彼女を呼び出してもらうと、「どうぞ、来てください」とのことだったので、次の日に宇治へ向かった。

 

そして練成を受けながら3日ばかり道場に寝泊まりし、彼女の自由時間に付近を散歩したが、その時、ふと「プロポーズしてしまえ」という気持ちになり、「俺と結婚しないか」とプロポーズした。

 

そんな経緯があったので、彼女からはじめて話を聞かされて、理由もないのに、朝起きてすぐ猛烈な寂しさに襲われたことや、先生が言ったいう「どうしなくても、スーと寄ってきますよ」の言葉に衝撃を受け、頭が真っ白になったのだった。

 

そんなわけで、私は「赤い糸」のようなものはほんとうにあると思っている。

「所詮、夫婦は他人」と言われることもあるが、肉体的にはそれぞれ別の親から生まれていて血のつながりはないのだから、確かにそういう見方もできる。しかし、目には見えなくとも、意識の奥深くでつながっているという事は十分考えられることだろうと思う。

 

≪幸福なる結婚を招く祈り≫ (冒頭と終わりの部分)

○神は一つの魂を陰陽二つの肉体に分割して宿し給い、互いに相呼ぶ半身の魂として、愛というものの美しさと深さと、切実さとを体験せしめ給うのである。・・・中略・・・

 尚、一つの魂の半身を見出し得ざる人よ、必ずその半身が、あなたと同じくその半身を呼んでいることを自覚せよ。既にあなたの半身は今既にそこにあるのである。あなたたちはそれを信ずることによって互いに相逢う時がくるに違いないのである。 
                                                              『真理の吟唱』(谷口雅春著)より


すべては「自分が何者か」を表現している

2019年06月22日 | 人生

『神との対話』(ニール・ドナルド、ウォルシュ著)には、自分が普段心に想い、口にし、行動したりすることは、どんな些細なことであれ、すべては「自分は何者か」という事を表現している、と書かれている。そして、その表現されたものは「自分自身の自画像である」と。

 

もし、地域的なことであれば、その地域に住む住民の自画像であり、国家であれば国家の自画像であり、団体や組織であれは、その団体組織の自画像であると。そして若し、国家が戦争をすれば、それがその国の「自画像」である、というわけです。

 

さて、
たとえば、家内が何か私の気に入らないことをしたとして、私が心の中で、それを不平不満に思うとする。こういう場合、たいていは、不満に思ってはよろしくないと知りながら、家内がこうなんだから、自分が不満に思うの仕方がない、と思うことが多い。

 

しかし、「自分の気に入らないことをすれば、ちょっとしたことでも不満に思うのが自分である。これが自分の自画像である」となると、そんな自分を情けなく思い、、なんとか自分を変えたいと思うのが普通の人間であろうと思う。(普通なら、その様な自分に満足はできないだろうから)

 

この場合、「家内がこうだから仕方がない」という心の状態から、「それを赦せる自分になりたい」という心の状態になる。これだけでも大きな1歩であり、少しは子供から大人になり始めた、と言えるのではないか。

 

そんなわけで、『神との対話』に書かれている、

  ○どんな些細なことであろうと、すべては「自分が何者であるか」を表現している。

  ○世界に向かって「自分はこういう人間である」と表明している。

  ○社会に「自分の自画像」を写しだしている。

という、このような視点を持つことは、とても大切なことではないかと思います。