ワタシ、Activeに生きてますか?

食と日々の生活、思いを綴る。

1・31 用事メール再開

2010年01月31日 | 暮らしと思い
義母からの用事メール再開。
きょうは義弟と位牌の注文に行ってきたとのこと。
ついでに、他の買い物をすれば良いのにと思うのだが、こちらにリストが届く。
用事がなくとも行く予定でいるが、「せざるを得ない」ように仕向けられると気が重くなる。
「テレビ(番組)の本、入れ歯の接着剤に消毒薬、卵、パン・・・」
夫や私でなくてはならないというものではない。

親に建ててもらった二階家の階段を塞いで行き来できなくしたうえ、電気メーターも分けると言う義弟。
そんな仕打ちをされても跡継ぎがいる分、私たちより頼りになるというのか。

この世は修業の場と認識している私でも、結構厳しく、義母や義弟そして夫の気持ちがわからない。

夜になれば、テレビのリモコンがおかしい、どうすればと何度も電話をよこす。
いじった本人(義弟)に言えばいいのに。


朝 ・ジャムトースト・バナナ・コーヒー
間食・塩まんじゅう(先輩)
昼 ・カレーうどん、コロッケ、キムチ
夕 ・野菜と肉の蒸し鍋・キムチ・黒粥

1・30 私は他人

2010年01月30日 | 暮らしと思い
夫が「やせましたね」と言われている。
食事と実家通いの疲れが原因だろう。
私は変化なし。
やはり私は他人なのかな。
お義父さんに「あなたは他人だから」と言われたことがあったっけ。


朝 ・ジャムトースト・バナナ
昼 ・ウナギちらし・とろろ昆布の吸い物・キムチ
間食・お汁粉(S田さん)
夕 ・マヨキムチキン丼・芽カブ・味噌汁


1・29 甥は生きていた

2010年01月29日 | 暮らしと思い
昨日、兄に義父が亡くなったことを伝えた。
花輪でもと心配してくれたけれど、来なかった親戚(義母の姉妹)さえいたので心配いらないと伝えた。

姉の容体は不明だが、長年行方不明だった甥(姉の長男)から電話があり生存がわかったとのこと。
当の兄は透析で命をつないでいるが、目はどんどん悪くなっているらしい。
それなのに酒を飲み、破れかぶれの生き方をしていると義姉がなげいていた。

私が、自分の身内の見舞いや親の墓参りに行っていないことに、夫も義母も何も言わない。


朝 ・お茶漬け
昼 ・マンナン粥
間食・ふんわりクリームコッペパン
夕 ・巻き寿司・回鍋肉・野菜きんぴら・冷奴

1・28 親思い

2010年01月28日 | 暮らしと思い
今朝も夫不明。
昨日、義母がケーブルテレビのリモコンが使えないと何度も電話してきたので、
義母のところに行ったのだと思う。
母親の心配をすることに文句を言うつもりはない。
告げてくれれば安心していられるのに。
それにしても、仕事に身が入らず、義父の遺産は義弟が独り占め。
夫は、異議を申し立てそうでもないし、どうなるのだろう。



朝 ・チーズトースト・コーヒー
昼 ・カレー
間食・栗どら焼(S田さん)
夕 ・オムレツ・油焼きナス・めざし・とろろ昆布汁・ごはん

1・27 見栄が頭をもたげた

2010年01月27日 | 暮らしと思い
昨夜、日付が変わってから義母より電話あり。
義弟が帰ってしまい「今夜は一人」とのこと。
一日中様々な手続きに連れまわされて疲れきっていること、一昨日私たち夫婦が、
社会保険事務所に出かけたのを見た親戚が、兄弟げんかをして早く帰ったと思い
うわさしていたこと等30分ほど話を聞いた。
うわべだけでもにぎやかだった葬儀から一転して一人になり心細かったのだろう。

今朝起きたら、夫がいなかった。
昨夜言っていた通り、義母のところに行ったようだ。
この先のこと、私からは何も言わない。
世話をしないと言うことではないけれど。

あと飾りの祭壇が、兄が三段だとわかり、夫の一段が気になりだしているらしい。
質素にお金をかけないでと言っていたのに、見栄を張る性格が頭をもたげてきたようだ。
見せかけの豪華な祭壇より、故人を悼む心のほうが大事だと思うのだが。

朝 ・お茶漬け
昼 ・うどん
間食・ポテト、アップルパイ・塊炭飴
夕 ・蒸し野菜・エビチリ・焼き肉・味噌汁

1・26 10年のブランク

2010年01月26日 | 暮らしと思い
葬儀のとき、十年絶縁していた(義父母に出ていけと言って)義弟の嫁、義弟の子ども達、誕生を知らせてもくれなかった義弟の孫(義父母にとってはひ孫)が初めてやってきて、いろいろ手伝っていた。
義母は冷たい仕打ちに「辛い、死にたい」といっていたことは忘れたのか、「いい子だね」と言っていた。
当人にとって忘れられることなら、怒りをぶり返させることはなく、残り少ない時間を悲しまずに過ごしてもらうために、私が気にしなければよいのだろう。

しかし、私自身にとって、10年と言う時間が無駄に過ぎたとは思わないけれど、惜しい。
両親の世話をするという約束を反故にしたうえ、私たちに親を押し付け「それなりのことをしただけだろう」とうそぶく義弟を、私は許せない。
夫は、姪やその子ども達にべたべたしていたが、子どもに罪はないにしても、私の心中は穏やかではない。

風もないのに揺らぐろうそくの火を見て「故人が喜んでいる」というが、孫達と楽しく一緒に暮らすために、同居できる家を建ててやり引越したのに、6ヶ月で追い出され、亡くなる直前、再び同居の話を持ちかけて喜ばせておいて、ドタキャンした義弟家族が、死んでからでも来てくれたことを喜んだのだろうか。
義母は「夫がみんなをよんでくれた」と言って喜んでいたが。

穿った考えをすれば、当人達の心の負担を軽くするため、無理してきたのではないか。
なぜなら、問題の核心である義母を引き取ることにはまだ難色を示しているのだから。
1週間以上仕事を休み、葬儀の準備をし執り行った義弟。
それで10年のブランクを埋めたつもりなのか。
私はやっぱりまだ許せない。 

朝 ・お茶漬け
昼 ・そば・麻婆もやし
間食・最中・半熟チーズケーキ
夕 ・豚肉のすき焼き風・芋いか煮・ごはん

1・25 告別式

2010年01月25日 | 暮らしと思い
義母と二人、コタツで目を覚まし、洗顔もそこそこに冷凍ごはんをチンして
お茶漬けにした。
義母は斎場まで同乗させてくれる親戚に確認をとるようにと私を急かす。
結局夫が迎にきてくれた。

義父が亡くなった翌日、義父の兄も亡くなった。
しかし、葬儀は義父の兄のほうが先だった。
同じお坊さんだったので、「兄を先に立てる」義父の思いがそうさせたといった。

告別式はこの世からの卒業式、初七日はあの世への入学式。
だから、亡くなって8日目でも告別式のあとに初七日を行った。
喪中であっても、喪中だからこそ、神社仏閣にお参りして神や仏にすがり、心の平安を得たり助けてもらうべきだから、決して神社の鳥居をくぐってはいけないことはない。
仏壇には香りのものを供えなさい。なぜなら仏は食べたり飲んだりできないから。
炊き立てのご飯やトースト、入れたてのお茶、新鮮な花、様々な香りのお線香をそなえなさい。

本当に良く話をしてくださるお坊さまでした。

喪主は義母だったが、全ての挨拶を義弟が行った。
兄である夫はなにもしなかった。
これは義母の希望であり、○○家は義弟が継ぐと親戚に知らしめたことになるだろう。
私にはどうでも良いことだけれど、夫の本心はわからない。
イラついていたから、やはり思うところはあっただろう。

義父は私が炊いて盛り付けた一膳飯と、お団子を持ってあの世へ旅立った。
そしてお骨と一緒に入れた義父愛用の時計は、私がTBSラジオに投稿した
記念にいただいた時計だった。誰も知らないことだけど。


朝 ・お茶漬け
昼 ・告別式弁当
夕 ・そば・てんぷら・やきとり・いちご

1・24 ようやく通夜

2010年01月24日 | 暮らしと思い
朝からでんわ。
もちろん義母から。
日曜だから道が込むはずと、早く出かける予定だが、ずぅーっと仕事して、
寝たのは午前3時。
着替えて出かける用意をしたところ。
当の夫はまだ眠っていた。
なきがらを守って1週間。義母にとっては長かったのだろう。
分からなくもないが、今日明日で終わる。
でも私たちの生活は、多分まだ続く。
働らかなくては食べて行けない。
何せ、義弟一人で遺産独り占め、夫には回ってこないのだから。
それでも、やらなければならないことは長男として求められているのだ。
子どもがいないと言うだけで。


朝 ・お茶漬け
通夜・握り寿司・天ぷら・点心
夜食・お茶漬け

通夜
予想以上の弔問客。
式の後のお坊さんの話も分かりやすく、戒名の説明もあったし、精進落としの席にも長くいて下さった。
夜は家にもどり義母と二人きり。
今夜もコタツ寝で寝ます。

1・23 懐紙の折り方

2010年01月23日 | 暮らしと思い
お骨あげ待ちのお茶菓子と、使い捨ての皿、懐紙を用意した。
懐紙の折り方が、慶弔で違うことは知っていたが、どちらがどちらかわからないので検索した。
右下がりが慶事用で、左下がりが弔事用。
勉強になりました。

朝 ・チーズトースト・グレープフルーツジュース・コーヒー
昼 ・そば、焼きアゲ、とろろ昆布
間食・小ざさの最中
夕 ・豆腐とキャベツの味噌炒め・ウィンナーと目玉焼き・キムチ・ごはん

1・22 新型インフルエンザ

2010年01月22日 | 暮らしと思い
耳鼻咽喉科に行ってきた。
義父の死でバタバタして薬を飲み忘れたけれど、のどの違和感は無くなったことを報告し、診察してもらった。
もう異常なし。
赤みも腫れも無くなっているとのこと。
ついでに、右耳の通気もお願いしたが、うまく通らなかった。
おかしかったらそのつど来るようにと言われた。
飛行機に乗る予定も、水中にもぐる予定もないから、当分はこのまま。

私の前の患者さん2人(2歳児とおばあさん)、新型インフルエンザだった。
どちらも予防接種を受けていたらしい。
私は受けていないけど、大丈夫?



朝 ・チーズトースト・バナナ・カップスープ
昼 ・うどん入り鮭鍋
間食・リンゴコンポート・スィートポテトフィリング
夕 ・三色豆の玄米粥

1・21 湯たんぽ

2010年01月21日 | 暮らしと思い
我が家の暖房器具は、小さなガスストーブと古いハロゲンストーブ、そして湯たんぽ。
昨夜の帰り道、風は生暖かく春風のようだったが、ここ数日の寒さに湯たんぽが手放せなかったので、いつものように昨夜も湯たんぽを入れた。
いつものように抱きしめて眠るほどの寒さではなかったが、やはりまだまだ湯たんぽは手放せないようだ。

きょうも義母からの電話。
祭壇の花、菊に統一と決めたのに、「この辺りはいろんな花を使う」とか、「供した人の名札」がどうとか時を構わず電話してくる。
私たちは仕事していること考えていない。


朝 ・ジャムトースト・バナナ・コーヒー
昼 ・アジ開き・煮しめ・キムチ・粥
間食・ブランデーケーキ
夕 ・イカ刺身・豚キムチ・芋きんとん・とろろ昆布汁・ごはん

1・20 解放してほしい

2010年01月20日 | 暮らしと思い
たびたび義母から電話あり。
葬式費用のことや、祭壇の花のこと。
費用は見積りでは、義母が言っていた額の半分だし、花の消費税は、
その店が内税と言うだけなのに、いちいち文句を言ってよこす。
私たちは、もう口は出しませんがお金も出せません。
好きなようにしてください。
でも、ここで葬儀屋を替えることは出来ませんが。

一切接触せず、同居を拒む義弟の嫁の選択は正しいのかもしれない。
人間性については別として。


朝 ・チーズトースト・グレープフルーツジュース・カップスープ
昼 ・キノコ雑炊・煮しめ
夕 ・すき焼き風鍋・ごはん

1・19 本籍地はどこ

2010年01月19日 | 暮らしと思い
昨夜はいつもより一時間ほどはやく寝たのに起きられなかった。
やはり心身ともに疲れているのかな。
これで一段落でもなく、一安心でもないので、決してがっくり来ているわけではないのだけど。

朝一の電話は義母から。
死亡届けに、本籍地が必要と伝えてあったのに、義弟のところに越したとき、移したかどうかわからないとのこと。
大事なことは蚊帳の外に置いて、どうして私に尋ねるの。
義母と義弟たちで内緒でやったことなのに。

朝 ・お茶漬け
昼 ・豚バラ肉と白菜の蒸し煮・五穀と黒豆のお粥・キムチ
夕 ・めざし・すき焼き鍋風・麻婆もやし・もずく・キムチ・味噌汁・ごはん


1・18 斎場空きなし

2010年01月18日 | 暮らしと思い
コタツの横で、眠ったような眠らないような4~5時間。
起きてバタバタ朝食の用意。
義母は味噌汁が欲しいといい、夫が作った。
私は、義父に供える一膳飯を義父のお茶碗に盛り、お地蔵様用のお団子(6個)作りをした。
そのあと、夫は義弟と共に菩提寺のお坊さんへの報告とお経のお願い。
葬儀屋からの斎場の報告を受けると、空きはなく、土日が一番早いとのこと。
日曜日通夜、月曜日告別式と決定。

昼食、出前するところもなく、あるもので済ますことになり、夫と二人台所に。
そうめんと残り野菜の精進揚げの用意を始めると、義父の孫やひ孫、親戚が訪れ10数人に。
ひたすら揚げ物をし、そうめんを茹で食べてもらった。

告別式まで日にちがあるので、納棺したほうが良いと葬儀屋さんからの提案で本日することに。
義父のひ孫、孫、子ども達、妻そして私も納棺の手伝い(湯かんの変わりに清浄布で手足を拭いたり、手甲伽半、白装束をつける)をし、全員でささえて棺におさめた。
その途中、お坊さんが見え、納棺の間もお経を上げてくださった。
枕経のあとの説法は、幼稚園児もいるので、やさしい言葉でしてくださった。
一膳飯やお団子のこと、戒名のことなども説明してくださり、義父の戒名のため、仕事のこと、義父の人となりについても良く聞いてくださった。
「当家は、北条氏康の家来の武将で由緒ある血筋・・・」とお坊さんに言われ、お布施の心配をしていた義母たちだった。

その後、葬儀屋と詳しい相談をして見積もりをお願いし、今夜は義弟に任せて帰ったきた。
さすが疲れたのか眠い。


朝 ・目玉焼き・味噌汁・ごはん
昼 ・そうめん・精進揚げ
夕 ・お茶漬け

1・17 義父死去

2010年01月17日 | 暮らしと思い
午後8時半、義父危篤の報、今22時、病院にむかっています。


朝 ・五穀と黒豆のお粥
間食・シェフモアのあんまん
昼 ・寿司(中とろ、まぐろ、ヒラメ、いか、ゴボウ巻き、カッパ巻き)
夕 ・おにぎり


仕事中、義弟から電話があり、病院からの連絡を聞いたが、その頃すでに義父は
亡くなっていた。
私たちは明日行く予定だったし、きょうに限って、誰も見舞いに行ってなかったようだ。
家族はだれも最期に間に合わなかった。
転院が決まった翌日、そして家族が誰もいないときに旅立った義父。
義父の精一杯の抗議だったのかもしれない。

以前相談した葬儀屋に寝台車を依頼し病院に向かった。
義父は96とは思えないツヤツヤの肌で、穏やかに眠っているようだった。
自宅に安置し、式の相談。
斎場やお寺さんの予定を知らなければ決まらないので、明日の連絡待ちとなった。
枕元に花と、水、線香を置き、今夜は、義母、夫、私の三人が守っている。
今夜は三人コタツで仮眠。