簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

八丁二十七曲(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-09-06 | Weblog


 「なにおふ鈴鹿山は、八丁二十七曲がりにして道狭くして険し。
清水所々に湧きて云々」
 鈴鹿峠(378m)を越える初めての道は、既に平安時代の仁和2年(886年)
に開通している。官道は「阿須波(あすは)道」と呼ばれていた。



 芭蕉句碑の或る小公園の背後から再び厳しい山道を登ると、直ぐの所
に「馬の水飲み鉢」があった。鈴鹿の山では所々で清水が湧き出ていて、
こうして街道を上り下りする人馬のために水溜が置かれていたらしい。
これは関町教育委員会により、平成4年(1992)年に復元されたものだ。



 鈴鹿峠の案内板には、平安時代の今昔物語集の話しとして逸話も紹介
されている。
「水銀商人が盗賊に襲われた際、飼っていた蜂の大群を、呪文をとなえ
て呼び寄せ、 山賊を撃退したという話や、坂上田村麻呂が立鳥帽子とい
う山賊を捕らえた」という話などだ。
東海道の箱根峠に次ぐ西の難所だけに、山賊に関する伝承が多く伝わっ
ていたようだ。



 これまでの道中で、どこかで昼食をと思っていたが、食堂どころか、
スーパーやコンビニ、自動販売機すら中々見付けられなかった。
 鈴鹿馬子唄会館では、非常用として持ち歩いてきたカロリーメイト等
を食べたものの、大して腹の足しにはなっていない。



 仕方なく、峠越えを前に神社の境内をお借りして、最後の非常食チョ
コ菓子等と飲み物で、何とか空腹を凌いできた。
これで食べ物は全て食い尽くした。峠さえ無事に越えれば、との目算だ。 



 伊勢国・坂下宿から近江国・土山宿迄は、9.8㎞(二里半)の道程だ。
宿場から片山神社まで既に3㎞余りを歩いている。
ここから峠までは八丁と言うから、0.9㎞程となる。

 峠を越えれば残りは、土山まで下り道で、このペースなら「道の駅・
あいの土山」までは行ける。何か食べるものに有り付けそうだ。(続)



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鈴鹿の芭蕉句碑 (東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-09-04 | Weblog

 片山神社の前右手に、東海道鈴鹿峠を指す道案内板が見えている。
すでに途轍もない急坂である。案内板の後ろにも急な細道が見え、こ
れがどうやら本来の古道らしいが、道を塞ぐように案内板が建つとこ
ろを見ると廃道となっているようだ。



 「八町二十七曲」の始まりは石垣で固められた九十九折りの急坂で、
たちまち息が上がる。所々往時の者と思われる、石畳も敷き詰められ、
既に苔むし古色を見せている。

 箱根の東坂や金谷坂は、川の丸石が多用されていて歩き辛かったが、
ここは平らな石が多く比較的歩きやすい。
これなら鈴鹿馬子唄を口ずさみ、馬を引いて歩く事も出来そうだ。



 前方に国道1号線の高架橋が見えてくると、旧道の様子が一変する。
高架を潜る辺りからは、道路の開通で旧道が失われ、付け替えとして作
られた階段道が延々と続き、コンクリート壁に付けられた道も橋の上の
国道まで登っている。



 この辺りは東の難所・箱根の東坂と事情は同じだ。
峠を越える新道が通り、分断された旧道の殆どが階段で連結されている
ので、距離的には短くて良いがこれは結構きつい。



 「ほっしんの 初に越ゆる 鈴鹿山」
江戸時代の俳人・松尾芭蕉はこんな句を残し、記念碑が建っている。

 「鈴鹿山 浮き世をよそにふり捨てて いかになりゆく わが身なるらむ」
平安時代の歌人西行法師も、歌を詠んでいる。



 上り詰めて、そこで国道を横切ると、その道路脇に小公園がある。
天然記念物の山桜が植わり、東海自然歩道の案内板も建てられている。
ここは古くから文人墨客が行き交った峠道だ。(続)






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片山神社 (東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-09-01 | Weblog


 国道を離れ右の旧道へと入り込むと、片山神社の大きな石柱や、嘗て
の宿場町・古町跡等を見る辺りでは、心なし道の勾配も増してきた。
この先は片山神社への参道を経て、いよいよ「八丁二十七曲がり」と言
われた西の難所、鈴鹿峠越えの道が待っている。



 杉林の細道となった旧街道は、山道らしい装いに変わってきた。
日差しが遮られ、落ち葉の積み重なった道には、黒い影がまだら模様を
描いている。国道を行き交う車の喧噪もここまでは届かず、辺りは静寂
に包まれている。

 聞こえるのは、鈴鹿川のせせらぎ、時折の小鳥の鳴き声と、落ち枝を
踏み折る微かな靴音のみだ。
宿場を出てから車どころか、誰一人と会ってはいない。



 やがて旧道は、片山神社の鳥居前に出る。
説明によると、延喜式内社で、元は三子山をご神体として祭祀されてい
たが、火災により当所に遷されたとある。
昔は「鈴鹿権現」とも「鈴鹿明神」とも呼ばれていた。



 鳥居の前に参拝の夫婦連れがいて、久しぶりに見る人の姿である。
話しを聞くと「車で参拝にきた」と言う。
「東海道を歩いていて、これから峠に向かう・・」と返すと大層驚いた
様子で、「私達は歩けない」と言い、「峠まで乗せましょうか?」と親
切に言ってくれた。
「歩きなので・・・」と丁重にお断りすると、「そうだよね、かえって
迷惑だよね」と苦笑する。



 そんな夫婦に手を振って分かれ、珍しい「鈴鹿流薙刀術発祥の地碑」や、
病気の母親を助けた孝行息子を讃えた「孝子万吉顕彰の碑」を見ながら、
峠に向かう急坂に向け足を踏み出した。(続)





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