「なにおふ鈴鹿山は、八丁二十七曲がりにして道狭くして険し。
清水所々に湧きて云々」
鈴鹿峠(378m)を越える初めての道は、既に平安時代の仁和2年(886年)
に開通している。官道は「阿須波(あすは)道」と呼ばれていた。
芭蕉句碑の或る小公園の背後から再び厳しい山道を登ると、直ぐの所
に「馬の水飲み鉢」があった。鈴鹿の山では所々で清水が湧き出ていて、
こうして街道を上り下りする人馬のために水溜が置かれていたらしい。
これは関町教育委員会により、平成4年(1992)年に復元されたものだ。
鈴鹿峠の案内板には、平安時代の今昔物語集の話しとして逸話も紹介
されている。
「水銀商人が盗賊に襲われた際、飼っていた蜂の大群を、呪文をとなえ
て呼び寄せ、 山賊を撃退したという話や、坂上田村麻呂が立鳥帽子とい
う山賊を捕らえた」という話などだ。
東海道の箱根峠に次ぐ西の難所だけに、山賊に関する伝承が多く伝わっ
ていたようだ。
これまでの道中で、どこかで昼食をと思っていたが、食堂どころか、
スーパーやコンビニ、自動販売機すら中々見付けられなかった。
鈴鹿馬子唄会館では、非常用として持ち歩いてきたカロリーメイト等
を食べたものの、大して腹の足しにはなっていない。
仕方なく、峠越えを前に神社の境内をお借りして、最後の非常食チョ
コ菓子等と飲み物で、何とか空腹を凌いできた。
これで食べ物は全て食い尽くした。峠さえ無事に越えれば、との目算だ。
伊勢国・坂下宿から近江国・土山宿迄は、9.8㎞(二里半)の道程だ。
宿場から片山神社まで既に3㎞余りを歩いている。
ここから峠までは八丁と言うから、0.9㎞程となる。
峠を越えれば残りは、土山まで下り道で、このペースなら「道の駅・
あいの土山」までは行ける。何か食べるものに有り付けそうだ。(続)
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