簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

寺と街道 (三蟠鉄道廃線跡を歩く)

2023-09-13 | Weblog
 西国街道沿いに立地する國清寺は、池田藩の保護もあり、広大な敷
地に壮大な伽藍を構える繁栄を見るが、時代が江戸から明治に変ると、
寺の北側を通る街道は国道2号線となり、やがて寺領を削り国道は拡
幅される事になる。



 更に昭和に入ると大戦が起こり、岡山空襲では、伽藍の悉くを焼失し
てしまう。幸い御本尊の南無釈迦尼佛は奇跡的に焼失を免れたものの、
今日に残った建物は山門と鐘撞堂、大愚堂(座禅堂)位で有った。



 追い打ちをかけるように、戦後の都市計画等で敷地は大幅に縮小を余
儀なくされた。路面電車の走る通りは、国道となったものの、旭川に架
かる小橋、中橋、京橋がボトルネックとなり交通渋滞に悩まされ、新た
な付け替えが検討されることになる。



 東山の東照宮から西に向かう通りを拡幅し新国道とし、旭川にも新橋
をかける計画だ。それにより南側の寺領も大幅に削られ、門前には新国
道2号線の旭川を跨ぐ取り付け道路が通ることになる。
昭和38(1963)年のことで、着工から2年余りで完工した。
片側2車線、両側に歩道付きの新道と新京橋だ。



 今では新京橋に向かう新道が寺の門前を塞ぐように東西に流れ、幹線
道路らしく多くの車が行き交っている。
その後国道は郊外にバイパスが造られ、国道250号線となったが、今もそ
の喧噪は変わらず、交通繁華な地に変わりない。



 中心市街地に有り、周りをビルに囲まれ、狭いながらも今尚寺域を構
える寺の山門を潜ると、禅寺らしく小振りながら手入れの行き届いた庭
が目に入る。木々の濃い緑に覆われた境内は、四季折々の風情が楽しめ、
思いがけないほどの静寂がそこにはおりている。(続)

               (写真:國清寺近くの東中島町の町並)

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