簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

啄木と不来方のお城(JR全線乗潰しの旅)

2012-10-08 | Weblog
 沢山食べるコツは、そばを噛まないこと、つゆは飲まない事、適度に薬味
で気分を変える事、それに余り空きっ腹で挑戦しない事だそうだ。





 100杯食べれば、オリジナルの“証明手形”が貰えるのでそれぐらいは・・・
と意気込んで見たが、あえなく80杯を過ぎたところでギブアップ。
 それでも二人の連れは、100杯と120杯まで頑張って、見事“証明手形”
をゲット。苦しくも、楽しい食事イベントであった。



 会計時の帰りがけ、お店の若い店員さんに「不来方のお城へは歩いて
どれぐらいかかるの?」と聞いたら、怪訝な顔をして首を傾げている。
 「盛岡のお城なんだけど・・・」と言うと、ハッと気が付いたようだ。



 嘗て盛岡城跡は、岩手公園として整備されていた。
40年前のアルバムを見ると、盛岡の観光地図には岩手城跡、岩手公園と
書かれている。ところが現在では「盛岡城跡公園」と呼ぶらしく、観光地図
やパンフレットにもそう書かれている。

 不来方は、古くは盛岡市を表す由緒ある呼び名であった筈だが、今の
若い人たちには馴染みも無い死語に成ってしまったようだ。



 お城近くの盛岡中学に学んだ啄木は、後のアイヌ学者・金田一京助の影響
を受け、文学に志し、やがて上京する。

 

 盛岡の町の中央を流れる中津川のほとりの岩手公園は、啄木がこよなく
愛したところで、城跡の草むらに寝ころび、文学書や哲学書を読みふけった
と言われている。

“不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心”

こんな歌を残した啄木は若くしてこの世を去っている。(JR全線乗潰しの旅・完)


                               


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盛岡のわんこそば(JR全線乗潰しの旅)

2012-10-05 | Weblog
 駅中の観光案内所で、「40年前に来た時には、与の字橋のたもとの
“わんこや”と言う店で食べた記憶が有る」と話すと「その店はもうなく
なった」と言う。



 当時、その店では一杯食べるごとにマッチの軸をテーブルに並べていた
事を俄かに思い出した。

 案内所で列車の待ち時間でも行ける近場のお店を教えてもらった。



 その店は駅の向かいに建つビルの二階にあった。
盛岡では有名な店の出店らしい。



 和風のいかにもお蕎麦屋さん風の玄関を入ると、広い座敷が目に入る。
テーブルに並ぶ赤い座布団がいかにもそれらしい雰囲気を醸し出している。

 

 お椀をかさねるわんこそばは3,150円、早速それを注文する。
初めにお刺身や鶏そぼろ、なめこおろしなどの薬味が運ばれてくる。



 空のお椀を差し出すと、赤い前掛けをしたお姉さんが「ハイ、ジャンジャン」
と軽妙な掛け声と共に、お椀の中にそばを投げ入れてくれる。
 それを間髪入れず「ズルズル」と喉に流し込む。
空に成ったお椀を差し出す。そばが投げ込まれる・・・・この繰り返しである。



 一杯食べたら空のお椀を重ね、積み上げて行くので、今どれほど食べた
かがすぐに解る。

50杯位までは苦も無く啜り込む事が出来たが、その後は次第にそのペース
は落ちて来る。時には「ふーっ」とため息も漏れる。



 救いはお姉さんの持っている大きなお盆にそば椀が無くなった時だ。
厨房へ新たなそばを取りに行く、その僅かな時間でほっと一息つく事が
出来るのだ。

 そば椀一杯のそば玉の大きさは不揃いだから、少ない時には「よしよし・・」
と苦も無く啜りこむことができるが、時に「何これ!」と言うほどの大玉に出会
うと、こんな時は一口では啜りこめない。(続)



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盛岡の三大麺(JR全線乗潰しの旅)

2012-10-03 | Weblog
 40年ぶりの懐かしい渋民の駅・・・と言っても当時の情景が鮮明に思い
出せるわけではないが、車窓から見る駅は、賑わいも無くとても活気ある
駅には見えなかった。





 滝沢を出て新幹線と並走するようになると沿線風景も次第に都会風に
変わり、終着の盛岡が近く成る。お昼前、終点の盛岡に到着した。
IGRいわて銀河鉄道の0番線は、行き止まりに成っていた。





 お昼時でもあり、何を食べようか・・・。
ここは“盛岡三大麺”と言われる麺料理が知られている土地柄、矢張りこの
中から選ぶべきだろうと、情報を仕入れるべく駅中の観光案内所に駆け込む。



 “盛岡じゃじゃ麺”は、平麺に特製の肉味噌とネギやキュウリを加え、好み
に合わせてニンニクやショウガ、ラー油をかけて食べるもので、主に盛岡を
中心に岩手県内で食べられている郷土料理と言う。

 “盛岡冷麺”は、所謂ラーメンの冷スープ版で、辛味の調整に大根キムチ
を使い、口直しには季節の果物が添えられるらしい。これは、主に焼き肉屋
さんのメニューだとか。

 “わんこそば”は、一口大のそばを、お客のお椀に次々と入れ、満腹に成り、
お客がお椀の蓋をするまで入れ続けると言う、この地方に伝わる、お腹いっ
ぱい食べてもらおうとするおもてなしの郷土料理である。



 後は新幹線に乗って帰るだけで、ここから先の予定は特にない。
指定席を取っているし、それまで3時間以上も有り、昼食時間として不足は
無い。何にしようか迷っていると「わんこそばなら駅前のビルで食べられま
すよ」の一言。これで背中を押され、お昼はわんこそばで決まり。(続)


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啄木の故郷・渋民村(JR全線乗潰しの旅)

2012-10-01 | Weblog
 花輪線を行く殆どの列車は、好摩から先渋民・滝沢などIGRいわて銀河
鉄道の線路に入り終点の盛岡を目指す。
 この区間はかつての東北本線、2002年12月に、東北新幹線の八戸まで
の延伸に伴って私鉄の路線に成ったところだ。



 次の渋民は、当時の南岩手郡日戸村で生まれた詩人・石川啄木が、生後
間もなく移り住んだ故郷として知られたところだ。


 
 40年ほど前、雪深い当地を訪れた頃は、古い茅葺の農家が建っていた。
病のため帰郷した啄木が過ごした、斎藤家の建物である。(下写真)

 今ではその隣に啄木が代用教員として教鞭を取った渋民村尋常小学校
の建物も移築され、辺りは啄木記念館として整備されているらしい。

“かにかくに 渋民村は恋しかり おもいでの山 おもいでの川”



 東に姫神山、西に岩手山、その中を取り持つように流れる大河・北上川
などを臨む自然豊かなこの地を懐かしみ、恋焦がれて彼は歌を詠んでいる。

“ふるさとの 山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな”



 当時二つの山を望む北上川の岸辺には柳が密生していたと言う。
啄木は、こうした風景を思い浮かべては、望郷の念に駆られ涙していた。

“やはらかに 柳あおめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに”



 明治45年4月、啄木は腹膜炎と肺結核を患い、不遇の内に27年の余り
にも短い生涯を終えている。

“病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目に青空の煙かなしも”

 僅かな停車時間に車窓から見た渋民の駅が、遥か遠い昔のセピア色
した懐かしい記憶を走馬灯のように甦らせてくれた。(続)


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