「やうやく宿に入ければ宿ごとに遊女あり。立ち並びて旅人をとどむ」
広重は、当地では「赤坂 旅舎招婦ノ図」を描いている。
絵の左画面には、汗を拭きながら風呂から戻る男を描き、行く先の座敷
では寝そべる男、寛ぐ旅人の様子や、食膳を運ぶ女、客に呼ばれた按摩
等が描かれている。
中央に大きな蘇鉄を描き場面を分け、右の画面では出番を待つお化粧
中の飯盛り女の姿など、旅籠内の様子が細密な描写で描かれている。


広重の五十三次の画の中では、比較的風景が描かれることが多いが、
この画のように旅籠内の細かな様子が描かれているのは大変珍しい。
これは先の御油宿の客引きの画に続く連作と言われている。
この連作で描かれた留め女や遊女の姿が、御油・赤坂の知名度アップに
一役も二役も買っていたと言われているそうだ。


この絵の中心に描かれたのとそっくりな蘇鉄が、浄土宗の浄泉寺と言
う寺に有る。
宿場の中心に近い、街道を左に折れたやや奥まった所にある寺だ。
山門を潜り境内に入ると、本堂の前にある大きな蘇鉄の木が目に留まる。


これは寺の筋向かいにあった旅籠・清洲屋から移植されたものらしい。
蘇鉄は成長が遅く比較的長寿と言われていて、この木も相当樹齢を重ね
ているらしく大きく葉を広げ青々としている。
この樹の前に佇むと、この広重の画が旅籠・清洲屋の室内を描いたもの
とえてくるから不思議である。
広重も画材とするほど、御油とは隣り合わせの赤坂の宿も、街道筋では
遊女の多いところとして知られていた。
この宿場が規模の割に旅籠の数が多かった理由の一つがこれで有る。(続)


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