平成18年3月、金光町、鴨方町、寄島町が合併し浅口市が誕生した。
総面積で言えば岡山県内では最小の市で、その中心が旧鴨方町である。
その町の最寄り駅である山陽本線鴨方駅の北方2キロほどを通る鴨方往来に、
石柱が立てられている。

鴨方往来とは江戸時代に岡山藩が整備した6本の官道の一つで、ほかには金毘
羅往来、松山往来、津山往来、牛窓往来、倉敷往来があった。
それらは藩内各地から岡山城下に向けて伸び、そこで山陽道と結び、更に東海道へ
と繋ぎ、江戸に向かう道であった。

その石柱には「江戸へ182里」と書かれている。
全国に街道が整備され、ようやく庶民の間にも往来の行き来が始まった江戸時代、
当時の人々は一日に10里を歩いたと言われている。今で言えばおよそ40キロだ。
日の出前に歩き始め、日の入りまでには旅籠に入るのが一般的であったらしい。

途中には厳しい峠越えや、人足渡しの川越が控えていたこと、雨風の激しい日な
どもある事を考えても、182里ならば凡そ3週間もあれば江戸まで行けたことになる。
馬や籠など縁遠い庶民には歩くしか術のない時代とはいえ並みの体力ではない。
一日二日なら多少の無理も出来ようが、何日も続くとなればその困難を想像すると、
改めて昔の人の「すごさ」を思い知らされる。

石柱の建つ丁度そのあたりが、鴨方の旧陣屋町で、そこには「浅口市かもがた
町屋公園」が有る。
修復再現された江戸前期の町屋が建ち、詩歌や物語などの中で知られる植物を
集めた伝統植物園を備えた公園で、「日本の歴史公園100選」に選ばれている。(続)

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その町の最寄り駅である山陽本線鴨方駅の北方2キロほどを通る鴨方往来に、
石柱が立てられている。

鴨方往来とは江戸時代に岡山藩が整備した6本の官道の一つで、ほかには金毘
羅往来、松山往来、津山往来、牛窓往来、倉敷往来があった。
それらは藩内各地から岡山城下に向けて伸び、そこで山陽道と結び、更に東海道へ
と繋ぎ、江戸に向かう道であった。

その石柱には「江戸へ182里」と書かれている。
全国に街道が整備され、ようやく庶民の間にも往来の行き来が始まった江戸時代、
当時の人々は一日に10里を歩いたと言われている。今で言えばおよそ40キロだ。
日の出前に歩き始め、日の入りまでには旅籠に入るのが一般的であったらしい。

途中には厳しい峠越えや、人足渡しの川越が控えていたこと、雨風の激しい日な
どもある事を考えても、182里ならば凡そ3週間もあれば江戸まで行けたことになる。
馬や籠など縁遠い庶民には歩くしか術のない時代とはいえ並みの体力ではない。
一日二日なら多少の無理も出来ようが、何日も続くとなればその困難を想像すると、
改めて昔の人の「すごさ」を思い知らされる。

石柱の建つ丁度そのあたりが、鴨方の旧陣屋町で、そこには「浅口市かもがた
町屋公園」が有る。
修復再現された江戸前期の町屋が建ち、詩歌や物語などの中で知られる植物を
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