簾 満月「バスの助手席」

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横尾山・静圓寺(チョット一息)

2024-05-01 | Weblog
 岡山県の南東部に位置する瀬戸内市は、人口3.5万人余りの町である。
平成16(2004)年11月、邑久郡(おくぐん)の邑久町、牛窓町、長船
町が合併し、公募により「瀬戸内市」と決まり発足した。



 「牛窓」は瀬戸内海に面し、嘗ては外交使節・朝鮮通信使が寄稿する
港町として栄えた風光明媚な地で、今日では「日本のエーゲ海」と呼ば
れ、マリンスポーツなどが盛んだ。



 「長船」は鎌倉時代から始まった「福岡の市」が知られ、その様子は
国宝・一遍聖絵(いっぺんひじりえ)でも描かれている。
また古くから刀剣・備前長船が知られた刀の生産地でもある。



 「邑久」は叙情的な夢二式美人画、大正浪漫を代表する画家・竹久夢
二の生誕地で知られ、生家は今もこの地に残されている。
近くには夢二40代の頃、自らが設計し建てた自宅兼アトリエの少年山荘
も復元されている。

 そんな夢二が幼い頃遊び回っていたのが、夢二の菩提寺として知られ
る「横尾山・静圓寺」である。



 寺の創建は古く、天平2(730)年、行基によるもので真言宗の寺だ。
後に報恩大師により備前四十八カ寺の一つとされ隆盛を極めるも一時衰
退、桃山時代再建され、元禄年間に当地に移されたという。
昭和の初め頃までは、境内で会陽(裸祭り)も開かれていたと言うが現
在は無住である。



 標高数十メートル程、横尾の低い丘陵地の中にひっそりと佇む一山一
寺多院制の寺で、嘗ては寺領300町歩を有し33坊も数える大伽藍を構え
ていたが、火災などで多くは消滅した。

 現在に残るのは、光明院、安楽院、地蔵院の三院のみである。
その一つ地蔵院では、毎年三月末に「人形供養祭」が開催されている。(続)



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