コロナ禍前に関宿を訪れた時は、昼過ぎと有って町並は観光地然とし、
観光客が溢れ還っていた。流石に今日はそんな人出はまだ見られない。
日常的な朝の光景なのか、観光らしき姿がチラホラと見えるだけで、
そんな中を時折商用車が忙しく行き交っていた。

ここ関宿には、昔から知られた銘菓「関の戸」がある。
徳川三代将軍の時代から続く老舗「深川屋」の作る和菓子で、赤小豆の
こし餡を求肥で包み阿波の和三盆でまぶした一口大の餅菓子だ。
江戸時代と変わらぬ配合・製法を引き継いでいると言う。

あの折、甘党にはこのまま去りがたく気になって店の前をうろついて
いると、どこからともなく醤油の焦げる香ばしい匂いが流れてきた。
匂いに誘われ、気になって先に進むと「前田屋製菓」の店先にその源が
あった。

屋台では高校生の孫が祖母の手伝いと言って、みたらしを焼いていた。
一言二言言葉を交わし、その香ばしいみたらしと、名物の江戸時代から
続く「志ら玉」も頂いた。
上新粉で出来た生地に北海道産小豆で作ったこし餡を挟んだ生菓子で、
外側には四季をあしらった三色の彩りが添えられていた。

あれからもう何年も経っている。
あの孫娘も随分と大きくなったであろう。
訪ねて見たいところだが、店はまだ開いていない。
街道を西に向かい時間を潰し、頃合いを見計らい引き返してみると、
ようやく10時半近くになって固く閉ざしていた表戸が開いていた。

早速「志ら玉」を頂き、何年か前の訪いを話すと、孫娘は「おおきく
なりました」との事だった。
近くにある「深川屋」にも立寄って「関の戸」も頂きたいところだが、
ここで時間を取り過ぎている。(続)


