古には蜃気楼が見えたという那古浦、四日市宿の入口に当たる三滝橋
の上からは、今日その海は見えない。
要塞のような異様な形で、石油コンビナートが立ち塞がっている。
高度経済成長期に、「四日市喘息」など公害問題をまき散らした工場群だ。
四日市は第二次世界大戦では、終戦の年の6月に9回にわたる執拗な
空襲で全市の1/3が焼失し、多くの死傷者工場の壊滅的な被害を受けた。
戦後に海浜部の開発が進み、大規模なコンビナート等が形成されると、
町は急速な近代化・工業化が進み、町中でも大規模な再開発・区画整理
が行なわれた。
結果街道筋からは、古い物は失われ、何も残されることは無かった。
環境問題は、その後の技術革新や環境政策などで次第に改善された。
しかし住民の健康を損ね、苦しみを与え続けた事実は消しようも無い。
又近代化により古き物を失った開発が、この町の発展を支えはしたが、
その代償も大きかったことも否めない。
古い道標の立つ道を右折、国道1号線を西に渡ると正面に「諏訪神社」
が見えてくる。創建が鎌倉時代初期という古社で、四日市地区の氏神様だ。
社頭が街道に面していた事も有り、多くの旅人が旅の安全を願ったという。
東海道分間絵図によると、宿場の賑わいもこの辺りまでで、その先は松並
木が描かれている。
今日諏訪神社の社頭は賑やかなアーケード商店街「表参道 スワマエ」
と成っている。この道が旧東海道である。
この先44番目の宿場、石薬師までは二里半九丁(約11㎞)の長丁場となる
が、今宵は近鉄の駅近くに宿をとっている。(続)
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