簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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海蔵川と三滝川(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-02-15 | Weblog
 多度神社の所で国道を外れ、一部残された旧道に斜めに入り込む。
しかしその距離は無く、すぐに堤防に突き当たる。

 「東海道分間之図(元禄版)」によると、当時この辺りは松並木で、
その中に小さな茶店が建ち、横には松と榎の植えられた一里塚があり、
海蔵川(かいぞかわ・かいさうし川ともいう)には小さな土橋が架けら
れていた。



 昭和に入り河川が拡幅整備された際、川の中に取り込まれて一里塚は
消滅した。平成13(2001)年、一里塚跡と定め公園として整備したのが
「三ツ谷の一里塚跡」である。
そこから土手を上がり、上流に60m程迂回して国道の海蔵橋を渡る。



 橋を渡り下流方向に土手道を歩き、再び旧道に入り南下する。
この辺り、嘗ては浜一色村と言い、海蔵川とこの先の三滝川に挟まれた
砂州地帯である。今日では下流の海浜は埋め立てられ、広大な四日市コ
ンビナートとして開発されている。



 国道1号線の西側には「陶栄町」と言う町があり、そこに「萬古商業
会館」が有るらしい。
その名の示す通り、この辺りから下流域にかけた一帯は、四日市の地場
産業・萬古焼で栄えたところで、今でもその工房が有るという。



 更にその先に進み、三滝川に架かる三滝橋を渡る。
嘗ては「みたち川のすゑ土橋」と呼ばれ、長さ卅五間の土橋が架けられ
ていた。橋は明治になると板橋に、更に大正には鉄構橋(長さ72m、幅
6.3m)に架け替えられた。



 「すゑ」は「陶」、即ち陶土を意味したもので、昔から萬古焼に敵し
た土が多かったようで、それが名物焼き物へと発展していった。
 萬古焼は、特に紫泥の急須が知られていて、他のも土鍋、蚊取り線香
を立てる蚊遣豚など、生活に密着した焼き物が多い。 
渡ればここからは、四日市の宿へと入っていく。(続)





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