簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

小夜の中山公園 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-09-02 | Weblog


 久延寺に伝わる悲しい「夜泣石」伝説に纏わる子育飴の店の前には、
小夜の中山峠の平坦地に作られた「小夜の中山公園」があり、展望台
に向かう遊歩道が整備されている。台地の上で見晴らしの良い公園ら
しく、30分もあれば一回り出来るらしいが、ゆっくりと立ち寄る間も
なく入口を見るだけである。



 「年たけて また越ゆべきと思ひきや 命なりけり さよの中山」
西行法師の大きな歌碑が街道沿いの道路に沿った地に建てられている。
有名な西行研究家の揮毫らしく、小夜の中山を語る歌枕として、象徴
的な歌となっている。



 平安時代末期の歌人でもある西行法師は、東大寺の大仏殿再建の為、
奥州の藤原秀衡に砂金を勧進しょうとの旅の途中にこの「小夜の中山」
峠を越えた。時に西行は69歳で、二度目の峠越えとなり、若き30歳の
頃を偲び、長生きを喜び読んだものだという。



 「小夜の中山」の峠に至る道は、大井川を超え金谷の宿からは丁度
1里の距離というから、4キロほどの道のりである。
しかし金谷坂、菊川坂、小夜の中山の峠登り道と上り下りが連続する
道は思っていたよりも遙かに厳しく、時間もかかり実際の距離以上に
遠く感じられた。



 公園を越えるとしばらくはほぼ平坦で、緩やかに、緩やかに波打つ
ような街道で、相変わらずの茶畑と、時折目にする製茶工場だけの長
閑な風景が流れていく。

 久延寺から小夜の中山公園を経て500mほど行った左手の草の中に
は、江戸から54里の小夜鹿一里塚跡も残されていた。次の宿場・日坂
までは、僅か24丁だ。(続)





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