簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

問屋場 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-09-21 | Weblog
 日坂宿を西に進むと問屋場跡が有る。
幕府などの公の文書や品物などを、次の宿場に取り次ぐ業務を飛脚と
言い、その仕事を担うのが問屋でそれを司る役所を問屋場と言った。
また幕府公用の旅行者や大名などが利用する人馬を用意して、必要に
応じて次の宿場まで運ぶ重要な役割も担っていた。



 その為幕府は交通量の増加に伴い、寛永年間の記録によると、一宿
につき人足100人、馬100匹の設置を義務付け組織化していた。
慶長6(1601)年以来、幕府により定められた所謂「伝馬制」である。



 大きな宿場では複数の問屋場が置かれていたところもあるらしいが、
ここ日坂の宿場には一カ所置かれ、問屋、年寄り、請払、帳附、馬指、
人足割、人足割下役などがその業務に当たっていたと言う。



 昔から街道筋に一定間隔で置かれた場所を「駅」と言い、そこで文
や品物、人などを引き継いで先に送ることを「駅伝」と言っていた。
今日頻りに行われる「駅伝競走」は、この伝馬制からヒントを得て名
付けられたと言われている。



 ここ日坂宿には昔から「葛の粉にてつくり、豆の粉をまぶして旅人
にすすむる」と言われる「わらび餅」が名物として、旅人に持て囃さ
れていた。
ここに来るまでは楽しみに気に留めていたのだが「脇本陣黒田屋跡」
のサインに気を取られ、うっかりとして見落としてしまい、宿場の西
外れまでやってきてしまった。



 宿場には、今でも手造りに拘る山本屋商店と言う店があり、ワラビ粉
で造り中に餡が入っ餅が売られているらしいが、食べ損なってしまった。
大した距離ではないだろうが、歩きとなると引き返すのも癪でそのまま
宿場外れの秋葉灯籠の立つ辺りまでやってきた。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする