「焼餅坂」を下り、その先で更に「品濃坂」の上りに取り掛かる。
このあたりは旧東海道の道幅を良く残す、尾根道のようだ。
しばらく上るとその先の方にこんもりとした森が見えてきた。
品濃一里塚公園の石柱が立っている。

江戸に幕府を開いた家康は、当初は軍事上の備えから街道の整備に着手した。
道巾を整え宿場町を決め、そこに大名や貴人のための本陣・脇本陣を、また庶
民のための旅籠・木賃宿を、途中には休憩のための茶店などを設けた。

更に道筋には旅人に木陰を提供する松を植え、江戸日本橋を起点とした距離
が判るように一里(およそ4キロ)毎に五間四方の塚を築き一里塚とし、そこに
「エエ木を植えろ」と下命した。

こうして一里塚は旅人にとっては格好の目印となり、夏には木陰を作り、冬の
寒風を防いでくれる休憩場所となると、その周囲には茶店ができ立場が設けられた。
塚の多くにはエノキが植えられている。
これは、承った家臣が「エノキを植えろ」と聞き違えたことによるものらしい。

「エノキ」は高さが20m以上にもなる落葉高木で、枝が多く、春小さな花が
咲き果実をつける。この食べられると言う甘い実は、街道を行く旅人の疲れい
やしになっていたのでは・・・と当時を思い浮かべてみたりもする。

「エエ木」を「エノキ」と聞き違えたのが、かえって良かったのである。
これが低木なら目印にもならず、木陰もつくってはくれなかったのだから。

ここ「品濃の一里塚」は、日本橋からは9番目の塚で、街道を挟んで東西に
築かれている。
このように両側の塚がほぼ完全な形で残されているのは極めて珍しいと言う。
その西側の塚には「エノキ」が植えられていたらしい。(続)
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