簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

街道の松並木(東海道歩き旅・武蔵の国)

2017-07-05 | Weblog


 再び旧街道に戻り、東海道本線を越えると、その先で国道1号線に突き当る。
街道はここで直角に右に曲がり、そんな道路の向こう角に保土ヶ谷本陣跡がある。
本陣はその土地の最も有力な名主や庄屋が務めているが、この刈部家も代々小田
原北条氏家臣の家柄だそうだ。



 本陣が混雑した際、その代役をなすのが脇本陣である。
この宿場には藤屋・水屋・大金子屋の三軒が控えていて、消防署のあるあたりが
跡地らしいが何れも昔の建物は残ってはいない。
現在に残る旅篭・大金子屋の当時の雰囲気を残す建物は、明治初期に造られた
家だそうだ。



 左から今井川が接するあたりに、江戸から数えて8番目と言う、一里塚が築かれ
ている。文献によると当時の塚は、五間(約9m)四方もの大きさをし、遠くからも目
立つ存在で有ったようだ。



 その先には上方見附跡の石垣が有るが、何れも小さく復元されたものだ。
この通りには復元された松並木などもあり、そんな道が300mあまり続いている。
当時はこの辺りから国境の境木まで、3キロにも及ぶ松並木が続いていたと言う。



 松並木は、旅人に取って夏は暑さ除けの日陰を提供し、冬は風雪除けとし、また
道中の休憩場所として重宝されると同時に、道の土が流出しないようにする地固め
であり、遠くからでも道の存在を示す導であり、実に多機能だけに官民挙げて保護
に努めてきたと言う。



 しかし近年のモータリゼーションで、道路の拡幅には無用の長物と多くは切り倒
され、今日残る所は数少なくなっている。
切ってしまって、またこうして復元しているが、中央分離帯として残すなど、方策は
いくらでもあったのではと思うと残念でならない。(続)



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コメント
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