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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

毛越寺・浄土庭園

2016-12-19 | Weblog
 拝観券を求め、およそお寺の山門らしくない武家屋敷のような門を潜る。
それもそのはずこれは江戸時代にこの付近を治めていた一関藩・田村氏の城門
を移築したものだと言う。



 潜ると左手に「宝物館」が、右手に雪に覆われた「大泉が池」が見える。
その間を貫く参道の先に建つのが、平安時代の建築様式に倣い平成元年に再建
された朱塗りの柱も鮮やかな「本堂」である。



 寺域に残された礎石や発掘調査などから、「本堂」手前には二階建ての「南大門」
が聳えていたとことが確認されている。
ここが東西に長く横たわる「大泉が池」への入り口で、その中ほどの「中島」を経由
する二本の反り橋が架けられ、対岸に寝殿造りの金堂が構えていたが今では礎石
が残るのみである。



 池にも見所は多い。
南西側には「築山」があり、東部には柔らかい曲線を描く「州浜」がある。
厳しい崖と、美しい海岸線を表現しているようだ。
南東部には池辺から大小の岩が水中に飛び石となり、その先端の出島には大き
な岩がそそり立っていて、これは荒海を表しているのだそうだ。



 このように池には、色々な場所に意図した造形が加えられている。
それは平安時代に書かれた、わが国最古の庭園書「作庭記」の内容に基づいて
作られたもので、学術的にも貴重な池と言われている。



 しかし現代的の考察がどうあれ、ここは仏教で言う「極楽浄土」を具現化した場
所である。日が沈む西方に阿弥陀堂を造り阿弥陀如来を安置する。

 庭園の池は、神聖な彼岸と現世である此岸を隔てるもので、長い戦乱の時代に
命を落とした人々を救う鎮魂と祈りの場であった。(続)




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