簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

草津の湊(四国遍路の旅・高野山編)

2015-10-07 | Weblog
 旧鳥羽街道、現在の千本通りは鴨川の左岸堤防の下を、それに沿うよ
うに南に下っている。
堤防の上にはサイクリング・歩行者専用道路が整備されていて、ここは堤
防下の旧街道よりも見晴らしがよく、川風も気持ちが良いので暫くこの道を
歩いてみる。



 鴨川と西高瀬川が合流し、さらにその西側には桂川も流れていて、この少
し下流で合流する。
右岸の堤防までは数百メートル程も有るのだろうか、遮るものも無い広々と
した空間が広っている。

 振り返れば、京都タワーらしき姿も望まれる。
京都のもう一つのランドマーク、東寺の五重塔は・・・と探してみるが、さすが
にこれはビルに埋もれ、見つけることが出来ない。



 堤防下の街道沿いには、本光寺、天然寺、法伝寺、一念寺など、小さなお
寺だが意外と多い。
そんなお寺に混じって建つ、お城のような城壁の門を構えた民家の玄関先
に、「鳥羽伏見の戦跡」の石碑が建てられている。



 その先で街道は左にカーブし堤防からは離れて行くが、そのままサイクリ
ングロードを直進すると、羽束師橋の下に「草津みなと 鱧海道 由来」と書
かれた看板が建てられていて、それによるとここにはその昔、草津湊が有っ
たと言う。



 瀬戸内や四国、和歌山などから魚を積んだ大型の曳き船が行き来し、陸
揚げされた魚が京の都に走って運ばれた。
そのため野菜や魚の初物を「はしり」と言う語源になったとされている。



 ここには魚市場も有ったらしく、近くには「魚市場遺跡」の石碑も建てられ
ている。海から40キロも離れた内陸に、魚市場が開かれたことは、当時では
大変に珍しいことで有ったらしい。(続)





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