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堺市役所21階展望ロビー壁面の航空写真:東から見た古墳群
仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の遥拝所の前の道路を渡ってすぐ、大仙公園内に堺市博物館があります。自動車の人は、遥拝所の東側にある有料駐車場へ。自転車は博物館の入口前のスペースに止められます。 まずは、百舌鳥古墳群シアターで、古墳群についての映像を10分間くらい観ました。会場が地下だったのですが、博物館の受付から地下へ降りる階段が見えなくて、解りづらいなと感じました。映像は数回に分けて上映されていて、それぞれ内容も違ったようなのですが、時間がないため1つだけ見て常設展示室へ向かいました。常設展示室は有料ですが200円なので安いです。まずは、古代ゾーン。部屋の中央には長持形石棺の実物大レプリカが。その周りに出土品の展示がされていますが、奈良の橿原考古学博物館と異なるのが、甲冑が多いことです。 橿原の方の武具は、装飾的なものでしたが、こちらは実用的で、実際身に着けて戦った古代人の姿が想像できました。明らかにこの時代は、戦争の時代だったのだと思います。
百舌鳥古墳群は西暦300年の終わりから400年後半くらいのものだとされています。ここに巨大前方後円墳がある仁徳天皇・反正天皇・履中天皇は、古代中国の歴史書『宋書』の夷蕃(いばん)伝・倭国条=「宋書倭国伝」の中に登場する「倭の五王」、讃・珍・済・興・武の誰かに当てはまる大王です。これらの大王がしていた軍事と外交について、『日本書紀』『古事記』は触れていないので、4世紀~5世紀の倭国については多くの謎がありました。百舌鳥とタッグを組んで世界遺産登録を目指している古市古墳群も含め、天皇陵=大王の墓の学術調査によってその謎を解明することができれば、日本古代史に大きな成果が得られると思います。また、謎が解明できなければ、世界遺産の価値も問うことができないのではないかな、とも感じました。 ↑レプリカ石棺には、副葬品がどういう位置にあったかも再現してありました。また、実際の甲冑の重さを体験できるようになっていて、試しに兜を持ってみたら結構重かったです。中庭にぽつんと置かれた石室は、これこそ本物なのにどうして雨ざらしなのでしょうか…。 ↑埴輪は、犬や馬など動物や踊る人型など、ユニークな埴輪が目を引きました。
↓博物館には、中世や近世のものも展示してあるので、古代の焼き物と中世の焼き物を見比べられるのも面白いです。 画像左は、古代のマグカップ。ドイツでビール注いで飲んでいそうなカップです。右の画像は、本物の織部。逆さにした扇子形だと思ったら、パラソル形なのですね。古代と中世、どちらも甲乙つけがたい作品です。
興味を引く資料もありました。 奈良時代、民衆のために尽くした僧・行基は堺市出身だそうです。
館内を半周したかたちで、受付ロビーにでました。無料休憩室でしばし休息。ガラス張りの壁から公園内のタワーが見えました。
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