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syaraku's dream/final

2009-08-05 | art
                 葛飾北斎画「絵本東遊」(寛政11年:1799年)

写楽の浮世絵はブレイクしなかった。
以降、写楽の名も作品も忘れ去られた。時が流れ、写楽を知る人々もこの世にいなくなってしまった。

日本人にとって浮世絵は芸術品ではなく、大衆絵の枠を出なかったため欧米に流出していった。
100年以上経って、日本美術の研究をしていたドイツ人牧師ユリウス・クルトが写楽の浮世絵を激賞した。「西洋に追いつけ追い越せ」と考えていた大正時代の日本人は驚いた。芸術大国の欧羅巴人から「スバラシイ」と絶賛された写楽の浮世絵って、ナルホドよく見ると斬新な構図といい表情といい素晴らしいじゃないか!
…で、写楽って誰よ?

江戸大衆文化の開拓者であったがゆえに、時代の先取りをしてしまった「写楽仕掛人」蔦屋重三郎。
雲の間からその様子を眺めて、満足げに微笑んでいることだろう。


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城山三郎の「官僚たちの夏」と「辛酸-田中正造と足尾鉱毒事件」を読んだ直後に書いたので、いささか「男のロマン」に陶酔してしまった。あはは。
写楽に関する書物を読んでいないので、同じような展開のストーリーはどこかにあるかもしれない。
ちょっとした「寄り道」が大層な「道」になってしまったが、大いに愉しめた。
蔦屋重三郎に関する書籍は読んでみようと思う。

私の好きな浮世絵は歌川(安藤)広重の「東海道五十三次」。広重は蔦重が死去した1797年に誕生し、62歳で死去。死因はコレラ(!)だったそうな。


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