お袋から、こんなものが箪笥の奥から出てきた・・・と。
40年前に他界した親父が残していたもので、謡曲の稽古本などとともに収納していたものらしい。
この書は、もちろんホンモノではない。それでも和紙にプリントされているようで、昭和9年1月の大日本雄辧會講談社(現・講談社)が発行していた「キング・改題して富士」(大衆娯楽・雑誌)の付録だったらしい。
▲西郷南洲の書(複製) 43cm×100cm
1枚は、「南洲」の書。南洲とは西郷隆盛の号で、多くの漢詩を残す中の「偶成」(他に偶感)というものらしい。
落款も押されていてなかなか見ごたえがある。
幾たびか辛酸を歴(へ)て志始めて堅し
丈夫玉砕すとも甎全(せんぜん)を愧(は)ず
一家の遺事人知るや否や
兒孫(じそん)の為に美田を買わず
※ 「一家遺事」のところが「我家遺法」になるものもある。「一家遺事」が自筆のものらしい。
▲東郷平八郎の書(複製) 43cm×100cm
もう1枚は、「東郷平八郎」の書。原書は千葉県の我孫子市にあるそうだ。
天興正義神感至誠
(天は正義に興〔くみ〕し、神は至誠に感ず)
東郷元帥の花押(かおう)は、「サーベル」だそうだ。
ネットで調べると、この書と同じ複製が、あるところに額に入れられ大切に保管されている。
さて・・・この二つの書、かなり虫食いにやられている。
額に入れるか、表装に出すべきか・・・それとも・・・時々、持ち出して眺めるだけでいいのか・・・迷ってます。
他に、このような書をお持ちの方・・・また、見られた方・・・おられるのかなぁ?
40年前に他界した親父が残していたもので、謡曲の稽古本などとともに収納していたものらしい。
この書は、もちろんホンモノではない。それでも和紙にプリントされているようで、昭和9年1月の大日本雄辧會講談社(現・講談社)が発行していた「キング・改題して富士」(大衆娯楽・雑誌)の付録だったらしい。
▲西郷南洲の書(複製) 43cm×100cm
1枚は、「南洲」の書。南洲とは西郷隆盛の号で、多くの漢詩を残す中の「偶成」(他に偶感)というものらしい。
落款も押されていてなかなか見ごたえがある。
幾たびか辛酸を歴(へ)て志始めて堅し
丈夫玉砕すとも甎全(せんぜん)を愧(は)ず
一家の遺事人知るや否や
兒孫(じそん)の為に美田を買わず
※ 「一家遺事」のところが「我家遺法」になるものもある。「一家遺事」が自筆のものらしい。
▲東郷平八郎の書(複製) 43cm×100cm
もう1枚は、「東郷平八郎」の書。原書は千葉県の我孫子市にあるそうだ。
天興正義神感至誠
(天は正義に興〔くみ〕し、神は至誠に感ず)
東郷元帥の花押(かおう)は、「サーベル」だそうだ。
ネットで調べると、この書と同じ複製が、あるところに額に入れられ大切に保管されている。
さて・・・この二つの書、かなり虫食いにやられている。
額に入れるか、表装に出すべきか・・・それとも・・・時々、持ち出して眺めるだけでいいのか・・・迷ってます。
他に、このような書をお持ちの方・・・また、見られた方・・・おられるのかなぁ?
でも昭和9年のもの。80年は経っているんですよね。
すごいですよ。
それに何が書いてあるか、わかるっていうのもすごい!!
鑑定団を見ていて、掛け軸が出てきても、一体何て書いてあるか
私などはさっぱりわからないんですもの。
美田を買わず…ここは額に入れられたらどうでしょうか…
昭和8年12月3日印刷で翌年の1月1日発行のキング第十巻第一号付録と記されています。
キングとは、今日の講談社で前身の大日本雄辧會講談社らしいですね。大正時代から発行されていた大衆誌で、改題して「富士」となったりしていて、その雑誌の付録だったらしいです。
なんとも見事な付録が付いていたものですね。
さて、最も簡単で安価な表装をしてもらって・・・時々、眺めようかとは思っているのですが・・・如何ほどかかるのか・・・見積もりを取ってから決めようと思っています。(横でかみさんが睨んで居りますが・・・)
額に入れられているか表装されているのでしょうね。
そんな形にされていれば・・・さぞかし更に立派に見えるでしょうね。
私も・・・と思っているのですが・・・なかなか・・・。
まだ、悩んでおります。