昔、使っていた手帳に控えてあった言葉です。
誰が作ったのか、どこに載っていたのか分かりません。
心がそろうと はきものも そろう
ぬぐときに そろえて おくと
はくときに 心が みだれない
だれかが みだして おいたら
だまって そろえて おいて あげよう
そうすれば きっと 世界中の
人の心も そろうでしょう
心が洗われる言葉です。
簡単なことだから、日頃から心掛けたいが・・・なかなか。
ブログ仲間の「のび太さん」と「るなさん」から、この「はきものをそろえる」という言葉について、教えていただきました。
この言葉は、禅宗の『照顧脚下(しょうこきゃっか)<足元を照らして顧みよ>という意味』が基になっていて、長野県・円福寺の住職、藤本幸邦さんが戦災孤児たちを引き取って育てていた時、玄関先やトイレでの子供たちの靴の脱ぎ方を嗜めるために分かり易く作られた言葉です。
「自分の足元を見よ」「自分の行いを見よ」ということなんですね。
こころしたいものです。
ふだんの小さなことにまっすぐ目が向くようになりますね。
この言葉、ほんまに、そうですね。
そうありたい、そうしよう、と思いつつ
なかなかできないことを自分の心を洗うために
やってみよう、そう感じました。
無理なさらず、この機会に
深い心のお散歩を楽しんでください。
ご快癒、お祈りしています。
りです。
此の言 葉は、心に残る教えですが、永平寺 道元
禅師の教えと聞いてます・・・・「道元禅師から
のメッセージ」で検索してみて下さい。
私は靴、サンダルを脱いだあと、毎回注意されるのです。そろえて、履きやすいように向きを変えることなど
心が乱れているのですネ
どうせ、又、はく靴なんだから、どうでもいい、とか、実用上、困らないから釜の蓋は曲げておいても良い、とか言うのではなく、それらの姿が人間の心に影響を及ぼすから、きちんとしたほうが良い、と言うことだと思います。小さな病院の待合室の土間では特に感じますね。
そういえば玄関で履物を脱ぐのは日本だけかな。
この言葉、深く心に染みこんでいます。
本日のブログに勝手ながら転載させていただきした。
事後報告でごめんなさい。
春めく日がふえてきました。
どうぞよい季節の到来とともに
すっかりご快復されますように。