<番外 法起院>

所在地 奈良県桜井市初瀬776
この法起院は、長谷寺を開いた徳道上人が晩年隠棲したお寺で、天平7年(735年)の創建と伝えられている。
徳道上人が718年、病にかかり生死の境をさまよったとき、夢の中で 閻魔大王より「三十三の宝印」を授かり、三十三箇所の霊場を定めた。
晩年、聖武天皇の勅命を受け、現在の長谷寺の基礎を作ったのである。
現在の寺は、元禄8年(1695年)に長谷寺の英岳僧正によって再建されたものである。
規模は小さく、こじんまりとしたお寺である。

「山門」の左側には『長谷寺開山 徳道上人御廟所』と書かれている。長谷寺の事実上の創建者と考えられる道明上人の廟所と比べ、こちらの方が立派なのである。
右側には『総本山長谷寺開山坊 法起院』と書かれており、長谷寺の本家というか開山堂としての位置付けを明確に示している。

「本堂」も小ぶりである。本尊は徳道上人像。像は徳道上人が自ら造ったものといわれている。

本堂左手の十三重石塔は、上人の御廟。

本堂、左側の「上人沓脱ぎの石」。足跡らしきものは・・・分からないが・・・。

所在地 奈良県桜井市初瀬776
この法起院は、長谷寺を開いた徳道上人が晩年隠棲したお寺で、天平7年(735年)の創建と伝えられている。
徳道上人が718年、病にかかり生死の境をさまよったとき、夢の中で 閻魔大王より「三十三の宝印」を授かり、三十三箇所の霊場を定めた。
晩年、聖武天皇の勅命を受け、現在の長谷寺の基礎を作ったのである。
現在の寺は、元禄8年(1695年)に長谷寺の英岳僧正によって再建されたものである。
規模は小さく、こじんまりとしたお寺である。

「山門」の左側には『長谷寺開山 徳道上人御廟所』と書かれている。長谷寺の事実上の創建者と考えられる道明上人の廟所と比べ、こちらの方が立派なのである。
右側には『総本山長谷寺開山坊 法起院』と書かれており、長谷寺の本家というか開山堂としての位置付けを明確に示している。

「本堂」も小ぶりである。本尊は徳道上人像。像は徳道上人が自ら造ったものといわれている。

本堂左手の十三重石塔は、上人の御廟。

本堂、左側の「上人沓脱ぎの石」。足跡らしきものは・・・分からないが・・・。