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スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

300歳(?)の長寿にあやかりたい

2007-06-24 09:04:18 | 西国三十三箇所めぐり

<31番札所  姨綺耶山 長命寺(いきやさん ちょうめいじ)>
 

場所:滋賀県近江八幡市長命寺町157

宗派:天台宗
本尊:千手十一面聖観世音菩薩三尊一体
開基:聖徳太子

景行天皇に仕えた武内宿彌(たけのうちのすくね)がこの山に登り、柳の大木に『寿命長遠諸願成就』の文字を彫って祈願したところ、300年もの長寿を保ったと伝えられている。

その後、聖徳太子がこの地を訪れ山に登り、この柳の木を見て感銘を受け、自らこの木で千手十一面聖観音三尊一体の像を刻み、本尊として祀り、長命寺と名付けたのがこの寺の創始とされている。

戦国時代に焼失した伽藍を再建したのは豊臣秀吉なのだ。
今は、「長生きの観音さん」として、有名である。

 
バス停傍の土産物屋の前を通ると、すぐに石段が出迎えてくれる。ここから808段の参道が続く。雨が降っていることもあって上まで車で・・・???。


コチラは、途中まで車で登る。左の石碑には「健康長寿の観音さん」と彫られている。左の奥には石段が見えている。


このお寺の山門? 極めて簡素なものである。他の寺院とは異なっているのだ。


参道の両脇にはアジサイが・・・「あじさい祭り」が6月末に催されるという。


本堂の正面入り口。でも、本尊はこちら側でなく右に回った面で南側を向いているのだ。


鐘楼のあるところから、手前より護法権現社、三仏堂、本堂、そして三重塔を撮ったのだが・・・三重塔は見えない。雨と霧の中の境内は幽玄の世界だ。


「護法権現社」の裏、山の斜面に大きな岩がある。これは「修多羅岩(すたらいわ)」と呼ばれており、開山、武内宿彌のご神体であると案内されていた。


「三仏堂」は佐々木義秀の菩提を弔うために造立されたもの。釈迦、弥陀、薬師の三尊が祀られている。


ちょっと一休み。雨が振る中、軒を見上げると緑色が綺麗だ! 

琵琶湖・神秘の島にたたずむ寺

2007-06-23 15:30:54 | 西国三十三箇所めぐり

<30番札所  巌金山 宝厳寺(がんこんざん ほうごんじ) >


場所:滋賀県長浜市早崎町1664

宗派:真言宗豊山派。
本尊:大弁才天像。観音堂の本尊は千手千眼観世音菩薩。
開基:行基菩薩。

神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願により、行基が竹生島に渡り弁才天像と千手千眼観音を祀ったのがこの寺の創始と伝えられている。

平安時代には天台宗の僧が渡り、天台宗の修行の場として繁栄し、昌泰3年(900年)には宇多天皇も行幸したという。

宝厳寺は湖上の小島にあるにも拘わらず何回も火災に遭っている。
永禄元年(1558年)には堂塔はことごとく焼失。この後、戦国動乱の中、豊臣秀頼の力添えにより寺容が回復したと伝えられている。
かつては「宝厳寺」と「都久夫須磨神社」は一体であり、明治の神仏分離により両者は分離されたのだ。

「神を斎(いつくし)き祀る島」という意味から「斎島(いつくしま)」が島の名前になったとか・・・。


島に渡るには、船便で・・・。長浜港から片道30分。一人往復2980円だ。


竹生島の船乗り場に建っている石柱。「八町」の文字が・・・。1町は110mだから、島から880m以内は殺生、つまり漁をしてはならぬことを示している。


数軒のお土産店を過ぎるとすぐに参道の石段(169段)となる。なんと急なこと・・・。雨に濡れた石段が怖い。



本堂の内部。本尊の弁財天像は行基が刻んだ像といわれており、開扉は60年に一度。日本三大弁財天の中でも、とくに大弁財天像と呼ばれている。


三重塔。国宝の「法華経序品(竹生島経)」、重要文化財の釈迦三尊像などの文化財があるのだ。

よく見かける花なのだが・・・名前が出てこない。

境内にあった樹齢400年の「モチの木」。


本堂から観音堂には急階段を下りることになる。途中に唐門と観音堂がある。


手前が「唐門」。それに密着して屋根が見えるのが「観音堂」である。唐門は国宝。唐門、観音堂共に慶長7年(1602年)に京都東山の豊国廟から移築されたものとか。何れも桃山時代の代表的な建築物である。


観音堂の壁面には、牡丹の花の彫刻が彫られていた。この壁面を右手にして都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)との間に建てられた国宝の「舟廊下」に向かう。


この「舟廊下」も、唐門、観音堂と同じ年、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼により京都から移築されたものである。 


都久夫須麻神社。


湖畔に建てられた鳥居に向かって「素焼きの皿」に願い事と名前を書いて鳥居を潜れば願い事が成就するという・・・・。

 
「素焼きの皿」2枚一組で200円。投げたが・・・1枚はやっとのことで潜れたが・・・。隣のご夫婦は二人とも失敗されていたが・・・。


「観音堂」も「舟廊下」も、山の斜面に建っており、舞台造りとなっている。 


昨日(6/22)、琵琶湖の北部・東部に位置する「宝巌寺」と「長命寺」そして「観音正寺」の三箇所にお参りした。
出発時は、曇り空。名神高速に入るころから小雨が降りだした。
長浜港からの始発は9時。30分も前に到着した。雨が本格的に降りだした。
雨の振る中、竹生島行きに乗船するのは、4組の夫婦と2人の男性だけ。
湖面すれすれに飛ぶ「鵜」。この鳥の多さは今や問題とは・・・。
30分間で島に上陸。昔の巡礼者は小船で何時間もかかって来たと思うと・・・ありがたいものだ。
傘をさしながらカメラを濡らさぬように・・・撮影は素早く・・・。雨の中の撮影は大変だぁ。  
3箇所を巡り終えての帰路に、やっと雨が止んだのだが・・・。
巡拝者・観光客が少なく、心が落着く。雨の中の巡拝も、たまにはいいものだ。



琵琶湖の「鵜」の棲みかがこの島だ。この鳥の糞で樹木が枯れつつあると売店の方が言っていた。なんとかならないものなのかなぁ?
だけど、石碑には「殺生はスルナ!」と書かれていたし・・・。樹木は枯れても仕方がないか・・・。
 


竹生島には、僧以外は住むことが許されず、民家がない。お土産店の方たちは、船で島を行き来しているのだ。この日は2軒が開店していた。


第一番札所は「世界遺産」

2007-06-21 12:31:51 | 西国三十三箇所めぐり

<1番札所  那智山 青岸渡寺(なちさん せいがんとじ)>


場所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8

仁徳天皇の時代(4世紀)にインドから熊野灘に漂着した裸形上人が、那智山に籠もり那智の大滝にうたれ、その修行中に滝壺の中に黄金色の観音仏の出現を見たという。
上人は小堂を建て、この黄金の観音仏を祀ったのが当寺の創始とされている。

平安時代には法皇となった花山天皇が観音巡拝の中興となり、大滝の前で千日籠りに入ったのは988年のこと。

織田信長の兵火で焼失した堂宇は豊臣秀吉によって再建され、再び往時の賑わいを取り戻したのである。

那智の語源は「難地」といわれている。
観音が姿を変えた飛瀧権現として崇められてきたこの那智大滝のある「青岸渡寺」から西国三十三箇所の巡礼がスタートする。


同じ場所にお寺と神社が同居するのだ。従って看板表示もこのように・・・


450の石段の参道には土産物店が並んでいる。


本堂は天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残し、国の重要文化財に指定されている。
また、平成16年7月に、この霊場は高野・吉野と一緒に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている。観光としてこられる方は、本堂に入っても帽子も取らずに参拝される方も・・・心の持ち方なのだが・・・。嘆かわしい。



「蟻の熊野詣」として全国から多くの参拝者がこの地を訪れた往時の様子が掲げられていた。


境内には「シャラノキ(ナツツバキ)」が咲いていた。 

400年ぶりに再建された「三重の宝塔」は、昭和47年(1972年)に完成したもの。2階と4階までエレベータで登ることが出来、正面に那智の滝と原生林が眺められた。


「三重の宝塔」の4階からは、遠く熊野灘が臨むことが出来るのだ。


 
三重の宝塔から大滝に向かう石段。この「鎌倉式石段」は史跡に指定されており、那智勝浦町指定文化財である。


大滝の向かう入り口にあった。


落差133メートル。さすがに雄大である。滝口が三筋になっているのが那智の滝の特徴とされている。


至る所に「世界遺産」の表示が・・・


青岸渡寺の本堂の西南側に隣接する「熊野那智大社」へ。参道は石段だ。

那智大社の境内にある、樹齢800年の樟の木。根幹部は空洞化。平重盛の手植えといわれている。


全国に約4000社あるといわれている熊野神社の本社である。



昨日は、日帰りで、1番札所の「那智勝浦・青岸渡寺」へ。
自宅から車で片道4時間。総走行距離は317km。
走行距離はさほどでもないが、何しろ奈良県の真ん中を真っ直ぐ南に向かって”ダム”(大滝・大迫・池原ダム)と”川”に沿って、山道を走るのである。

崖崩れで片道規制の169号線を時々止まりながらの走行。
行き交う車はダンプカー。積荷は小石や砂など・・・。狭い道路・トンネルでのすれ違いはヒヤヒヤものである。

熊野灘の海を見る頃になると、なんとなくホッとする。
「七里御浜」・・・7里、真っ直ぐな28キロメートルほどの海岸線を那智勝浦へ。

青岸渡寺からの帰路は、楽しみな寄り道。何箇所かの海産物センターで干物などを購入。クーラー持参で買出しの心意気充分なのだ。

オマケに、七里御浜の海岸に下りて「漬物石」をゲットした。
これも想い出の一つだ。

まだ、明るい陽がある中で、帰宅したのだ。

 一番大きいので20cmほど。熊野灘の海は少し荒く、石もすぐ丸くなるのだろう。本当は、那智の黒い石が欲しかったのだが・・・。残念ながら無かった。降りた浜が悪かったのだろうか?   

「若狭富士」に馬頭観音

2007-06-07 12:26:38 | 西国三十三箇所めぐり

<29番札所  青葉山 松尾寺(あおばさん まつのおでら)>


場所:京都府舞鶴市松尾532

唐僧の威光上人が青葉山中の松の大木の下で修行中に馬頭観音像が現れ、慶雲5年(708年)にこの松の木の下に草庵を造り、観音像を祀ったのが松尾寺の興りとされている。

1119年には鳥羽天皇時代には寺領4千石、寺坊は65を数え、繁栄していたという。
その後、織田信長によってことごとく焼かれたが1581年細川幽斎によって復興し、京極家の修築を経て1730年に牧野英成によって今日の姿となっている。

馬頭観世音菩薩は頭に馬を載せていることから、農耕の守護神としてまた畜産の発展や交通安全、あるいは競馬関係者にも信仰されている。
境内にある馬の像もそれにちなんだものだろう。

国宝の「普賢延命菩薩像」(12世紀前半に制作されたといわれている絹本著色画。但し、現在は京都国立博物館に寄託されているとか。)
他に阿弥陀如来坐像をはじめかなり多くの重要文化財などがある。



車でこの山門にたどり着く道は、凄い急な登りである。
この仁王門は江戸中期、享保15年~享和2年(1730~1802年)に建てられたものといわれ、風格のある建物である。



本堂に向かって掛けられた廊下。なかなか趣きがあっていいものだ。
本堂は二重屋根の特異な形状をした宝形造りであり、非常に珍しく、印象的である。本堂正面にある「手水所」の屋根も宝形造りである。唐僧の威光上人の創建ゆえなのだろうか? またこの青葉山は死火山だったこともあり、寺の階段石、基礎石などに溶岩が使われているのも特徴だ。  現存の「本堂」は享保5年に着工し、10年の歳月をかけ享保15年(1730年)に完工したものといわれいる。



「鐘楼」の横には大きな「銀杏の木」があった。
木は元永2年(1119年)に鳥羽天皇が手植えした銀杏だとか。立てかけられた看板には、「樹齢870年、根回り6m、・・・」などが・・・。
 



西国第4番「施福寺」の境内にも馬の像が置かれていたが・・・。


今は拝観することが出来ない本坊(?)の門には菊花の紋が・・・元明天皇勅願寺であることを照明するものだ。


こんな石碑も・・・。


境内のもみじ。葉っぱが一回り大きいのだ。そして実をつけていた。


ご住職が考えられたものかどうか聞き忘れたが、この他にも「よい人材を得るために」「良寛さんのいましめ」「人生往来手形」「極楽往生手形」などがB4版1枚100円也。全てを買った。


天橋立の景観を望む

2007-06-07 10:30:32 | 西国三十三箇所めぐり

<28番札所  成相山 成相寺(なりあいさん なりあいじ)>


場所:京都府宮津市成相寺339

開基は、慶雲元年(704年)真応上人。
本尊は「聖観世音菩薩」。

この成相寺の由来は、真応上人がこの地で修行中、食べ物はなくなり餓死寸前。そこに一頭の傷ついた鹿。命には代えられず、その鹿の肉を煮て食べた。ところがこの肉は本尊の腿の木片であることに気付き、観世音菩薩が身代わりになって助けてくれたことを知った。

上人は喜び、木片を観世音菩薩の腿につけると像は元通りになったという。仏像が元通りに「成り合った」ので、「成合寺」、さらに転じて「成相寺」になったとか。


本尊は「聖観世音菩薩」。美人になれる観音様。美人観音の由来は御伽草子梵天国に詳しく書かれているという。


本堂内の納経所の上に掲げられた左甚五郎作といわれる「真向(まむき)の龍」。こちらを睨んでいるようで・・・。


本堂内に置かれていた「五鈷杵(ごこしょ)」。これを撫ぜると諸悪運を防ぐという。


この 「五重塔」は、山門から本堂までの参道左側(バス停前)の広場に建てられている。「平成五重塔」とも呼ばれている。もともと本堂もこの塔ももっと上にあったらしいが、1400年(応永7年)の山崩れで現在の地に移されたとか。


参道の途中に「撞(つ)かずの鐘」がある。
慶長14年(1609年)、新しい鐘を鋳造する時、誤って子供を坩堝(るつぼ)の中に落としてしまった。出来上がった鐘をつくと、子供の泣き声、母を呼ぶ悲しい声が聞こえるという。あまりの哀れさに子供の成仏を願って、以後、一切この鐘をつくのを止めたという。



本堂の前に置かれている鉄製の円筒形の「鉄湯船」。
かつて成相寺の湯屋で湯船(湯を沸かすのみ)として使用されていたものとか。
後には、薬湯を沸かし、怪我や病気の人を治療するためにも用いられたともいわれている。



日本三景の一つ「天橋立」。この成相山の頂上にある展望台から望むことができる。 


能登半島及び北アルプス白山を見ることができる。