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スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

醸造元・黒川醤油店を訪ねて ⑥

2007-10-05 09:33:17 | 奈良県のモノづくり探訪記
ここの「醤油」を使い出してから、20年近くになる。

宇陀市にある親戚で「この醤油、美味いなあ! 何処の?」ということを聞いてから、毎回1升瓶6本入りのケース単位で購入させて貰っている。

宇陀市大宇陀区にあるこの醸造元を訪ねた。ちょうど、店主の黒川さんがおられ、製造工程を詳しく説明して頂いた。

江戸時代から続く伝統ある仕込み製法と、大宇陀の自然と天然水が育んだ本醸造醤油なのです。

梅雨の末期に小麦と大豆を1:1の比率で熱を加えて攪拌し、製麹室(こうじを作る部屋)で2日間置くと、麹(こうじ)が出来るという。
この部屋は、今はお休み。昔から住み着いている酵母菌を殺さないように大切にされている。

うすくち醤油は、小麦を多く使い、たまり醤油は大豆を多く使うとか。
床や壁から美味しさの酵母菌が・・・そしてアルコール醗酵の香りが漂う工場は、歴史を感じる造りとなっている。

美味しさの秘密は、と聞いたら『昔からの酵母菌と大宇陀の空気・水、そして熟成室で2年間じっくり熟成醗酵させているからでしょうね。』と返ってきた。

作業場を見させて貰って納得したのです。 うん、やっぱり旨いはずだ!


昔ながらの街並みにある黒川醤油店。この看板が目印だ。

 「蒸缶」と呼ばれるボイラーに大豆と小麦を入れて蒸す。


小麦と酵母菌を加えて製麹室へ。今は、お休み中。木の箱に入れて2日間置いておくとか。天井・壁・床には白い酵母菌が・・・・。


熟成室では、もろ味を塩水に漬けて2年間(大手では半年程度?)熟成醗酵させる。アルコールが3%になるという。2年間熟成させることで色・味・香りが良くなるという。手前が1年半くらい経っているもの。年数とともに色が濃くなってくる。


熟成した、トロトロになった「もろ味」を、大きな布袋に入れて圧縮機で絞る。このしぼった液が生しょうゆなのだ。
「もろ味」で食べる場合は、3~4ケ月の熟成とするそうだ。
昔の杉樽も使われている。いつまで使えるか、壊れれば作る職人さんがおられないとか。



生しょうゆを、蒸気でじっくり加熱殺菌します。この1樽で6,000?。1升瓶にして3,333本分がある。


しょう油、もろ味などの商品が・・・。
ここの醤油は、美味い!




日本刀の魅力に触れて・・・⑤

2007-10-04 01:52:47 | 奈良県のモノづくり探訪記

ここは奈良県吉野郡東吉野村平野という高見山の麓。
河内國平刀匠(本名:道雄 第十四代刀匠・河内守國助次男)の刀鍛冶の作業場だ。

刀剣や作業場を見せて頂けるか不安であったが、奥様の快諾を得て、急遽の訪問となった。

朝夕が涼しくなったこの時期は、刀づくりの最盛期だとか。
やはり、暑さ・寒さによって作業効率や鋼(はがね)を熱する温度・湿度に微妙に影響するとか。
従ってお彼岸頃の3月・9月頃が最も適した気候であり、一番良い『刀』が出来るという。

ということで、刀匠は鍛冶場でお弟子さんと作業中のため、お会いできず、また火を使い叩き延ばす作業場には案内して頂けなかった。
(神聖な場に飛込んでの訪問は失礼千万であることは百も承知であり、多忙な中、対応して頂き、申し訳ない気持ちで一杯だ。)

刀匠が作刀した日本刀の茎(「なかご」といい、鍔(つば)までの手で握る部分の刀身部分)に『無玄関』という文字を刻まれた刻印を使われている。
この意味は、他の人との間には壁を作らずどこからでもお入り下さいとのことだという。
ということからか、突然の訪問にも拘らず快く受けて頂いたのかも・・・と勝手に解釈させて貰って・・・。

刀づくりの道具などが展示された建物に案内された。
刀の原料である「玉鋼(たまはがね)」を薄く平らにしたものを小割りにし、その割れ目を見て硬いモノと柔らかいモノを選別し、それぞれを固め、心鉄(しんがね)用と皮鉄(かわがね)用に分け、柔らかい心鉄を皮鉄の硬いモノに挟み込んで、刀身を作るのだ。

1300℃くらいまで炭で熱した心鉄と皮鉄を鍛接(たんせつ)という工程を経て叩いてくっつける。
そして、土置き工程(刃に紋を入れるため焼刃土を塗る工程)を表わす見本の刀を見せて貰いながら説明が進む。

刀匠の日本刀(太刀と刀)は、大阪歴史博物館、伊勢神宮など全国各地の博物館や神社に、また一般の愛刀家に多く納められているという。

続いては、今日は使っておられない「磨きの工程」や「銘を入れる」作業場へ。
その部屋は、はじめて目にするいろんな道具が壁面や床に整然と備わっている。
壁に掛けられている「刀身の形見本」。『主人は、名刀を見れば必ず形をとっておくんです。一振りずつ形が違うのですよ。』と言われる。

砥石で研ぐ作業台とその道具。
人を近づけないその佇まいは凛として神聖。砥石ひとつの置き場所にもこだわりがあるのだろう。

研ぎ師に頼んでいた刀が戻ってきて、銘を入れるのもこの部屋とか。
今はお弟子さんが手伝われているが、昔は奥さんも手伝われたことがあるという。
頼まれた前夜は眠られなかったとか・・・。それだけ、真剣に向き合わなければならないのだ。

説明を聞いていると、刀匠とお弟子さんが打たれる槌音が一定のリズムで隣の作業場から聞こえてくる。
覗くことも許されないほど、神聖な独特な空気が漂っている。
そこには「覗かせて頂けませんか?」と、聞くこともできない空気があった。

日本刀を一振り作るには、鍛冶屋・研ぎ・鍔・柄巻・鞘・紐など、10人程の職人さんがかかわるという。
島根県からの砂鉄を使い、いつまで、この原料が調達できるか不安とか。
刃文は粘土・炭・砥石の粉を混ぜた「焼刃土(やきばつち)」の塗り方によって、模様が異なるという。塗り方も独特の工具とウデが必要なのだ。

「焼き入れ」という工程で、水に入れ急冷することを何度か繰り返す。
この回数の見極めが難しいという。経験と勘だ。ここが刀匠のウデの見せどころなのかも・・・。刃にヒビが入ったりするのもこの工程の出来しだいといわれる。

刀身の反りの形、刃の文様は、年を重ねるごとに更に美しさを味わえるとか。言われていることがなんとなく分かる気になるから不思議だ。日本刀にはそんな魅力がある。
父親が嫁がせる娘に、守り刀として持たせることもあるとか。
日本刀の美術的な価値、本当の美しさ・良さを知っている人が増えているのだろう。

刀にまつわる言葉は、今日も日常的に使われているという。
例えば「鍔(つば)迫り合い」「切羽つまる」「目貫通り」「折紙つき」「鎬(しのぎ)を削る」「反りが合わない」「元の鞘(さや)におさまる」などなど。
なるほど、とうなずく言葉ばかりだ。

奈良県無形文化財保持者である刀匠は、七支刀、藤ノ木古墳出土太刀、剣等の復元も数多く手掛けられている。
そして、NHK番組への出演など日本国内だけでなく、リトアニア国など外国での鍛錬実演や講演なども多いとか。

日本刀の持つ魅力を出来るだけ多くの人に知って頂くために、本の出版やHP(「無玄関」河内國平公式サイト)の開設など、分かり易く解説されている。

刀匠の著書『刀匠が教える-日本刀の魅力』のなかで興味深い言葉を見つけた。

『「なんで今頃、まだ刀を作ってんねん」とよく聞かれる。
 「正宗」が残ってる。
 「一文字」が残ってる。
 闘いや。』

『秘伝という言葉はきらいやなぁ。
 見せたったらええねん。
 まねでけへん。』

「刀鍛冶」の現場を見せて貰った。本物の刀を目の前にし、分かりやすい日本刀の本を読み、今までこの世界に関心がなかったが、またまた興味のムシが・・・ムクムクと出てきたようだ。

玉鋼(たまはがね)。炭素の含有量が決めてになる。


心鉄と皮鉄を鍛接する工程が見本展示されている。

土置(つちおき)された見本の刀(中央)が・・・

作刀が展示されている。


砥石で研ぐ作業場。道具が整然と並んでいる。ここも神聖な場所だ。

『主人は、名刀を見れば必ず形をとっておくんです。一振りずつ形が違うのですよ。』といわれていた、刀身の形見本。



刀匠の著書『刀匠が教える-日本刀の魅力』より。定価1600円。


吉野の「本葛」について  ④

2007-09-25 20:31:43 | 奈良県のモノづくり探訪記
先日、訪れた吉野・中井春風堂の軒先に「葛の根」が置いてあった。木の根っ子のようだ。
「葛」について、店の方にいろいろ聞いてみた。

葛は豆科の植物で、茎は篭などの工芸品に、そして地中深くにある根が葛粉の原料となるのです。

「吉野本葛」と「吉野葛」とは、違うという。 本葛は高価だ。根を繊維状に粉砕して水と混ぜ、根に含まれる澱粉をもみだし、吉野晒という吉野地方独自の製法で精製したものが吉野本葛と呼ばれるという。

では、吉野葛とは? と疑問が残るが・・・・詳しくは聞かなかったが、本葛にいくらか別の澱粉が入っているのかなぁ?

冬の冷たい空気と水で仕上げる吉野本葛は、美しい白色。1kgの葛根から作れる葛粉は、約100gといわれている。

秋から春にかけて葛の根を掘り起こし、板状かサイコロ状に切って、天日で乾燥させたものを葛根(かっこん)と呼ぶとか。
風邪薬として有名な「葛根湯」には、この葛根が用いられている。葛の根には発汗、解熱、鎮痙作用があるのです。

ちょうど、今朝から「葛羊羹」を作ったとか。まだ型枠に入ったままで、作業場においてあった。

その手前には、葛で作った桜の花を型どった「葛菓子」が作業台の上で干されていた。

葛菓子は、葛粉を「寒の水」と混ぜて型に入れ、炭火にかけて乾燥させて作るそうだ。
冬場の12月~2月に1年分を一度に作っておくという。

吉野山は、冬場は雪山となり観光客も無いため、この期間は店を閉めて「葛菓子づくり」をするという。
寒風の中でしか作ることが出来ないのかもしれない。

買い求めた葛餅を、冷やして食べた。ホンモノの柿の葉っぱに乗った葛に包まれた葛餅。アンコは甘すぎず、上品な味で・・・やはりホンモノの葛は美味かった。


葛根だ。この根を繊維状に粉砕して水と混ぜ、根に含まれる澱粉を取り出すのだ。


葛の説明が店頭に・・・。


葛の製品はいろいろだ。


葛菓子の作業場には「葛羊羹」(奥)が、まだ型に入ったままだが・・・手前には桜の花の形をした葛菓子が・・・。


桜の花の形をした葛菓子。


これが、教えて貰った「葛の花」。この茎の下に「葛根」が・・・。


葛餅だぁ。


吉野山・金峯山寺の山門。


美味しい『柿の葉ずし』を求めて ③

2007-09-20 07:17:34 | 奈良県のモノづくり探訪記
今まで、全国各地で売られている「柿の葉ずし」。
いつ頃、生まれたのか? いつ頃食べるのが一番美味しいのか?
そのルーツとおいしさを探りに、吉野山・金峯山寺・蔵王堂前の中井春風堂に出かけた。

何故、春風堂かといえば、最近では、鮭、小鯛、穴子などがあるが、ここのは、鯖一本に拘っていてわが家で一番「美味しい」と決めているのであるからだ。
鯖一本も気に入ったのだが、奈良県内のヤマト・平宗・たなか・とらせ、など大手から吉野の雑貨店で作られたものより、鯖の塩加減とシャリの固さと柿の葉のしなり具合がいいのだ。(これには個人差がある)

そこで春風堂に聞いてみた。何故、美味しいのか? 他のものと違うところは?
『鯖は、焼津や和歌山からのものを昔ながらの石の重しでしめている。米は、コシヒカリ。柿の葉は、自前で塩で押して漬け込んでいる。使っている塩は、すべて「赤穂の塩」に拘って使っている。』という。

美味しい理由は、昔ながらの造り方で、塩の按配を考え、鯖・米・葉との調和を図っているためだろう。
柿の葉で包んだものを重石を乗せて寝かせ、3日ほど経ったのが一番の食べ頃とか。

『美味しく食べる時期については、6~7月と9月が、一番美味しいのです。
8月は暑いため鯖の色が黄色く変色する。冬は寿司米が硬くなるからなんですよ。』

3月から11月末までの営業で、冬場の12月~2月はお客も無く、1年間の「葛(くず)菓子」作りに集中するという。

さて、ルーツだが、江戸時代中頃に吉野地方の夏祭りのご馳走として作られていたのが元だという説も。
昔、魚が吉野地方に来るには、和歌山の紀ノ川から運ばれてくるか、熊野灘から伯母峯を通ってきたのだが、かなりの日数がかかったのです。 そのため、魚が傷まないように腹に塩を詰め込みんでおり、その魚の身をそいでご飯のうえに乗せたのが「柿の葉ずし」の始まりといわれている。

鯖には、高度不飽和脂肪酸などを豊富に含み、血液中の血小板の凝集を抑え、コレステロールを減らすことで、動脈硬化の予防によいとされている。
また、すし飯に含まれる昆布や酢も体に良い。
さらに、柿の葉の中のタンニンは防腐剤の役目を果たすとともに、血液の循環をよくして血圧を抑える効果があり、ビタミンCも豊富なのです。

昨夜は、「柿の葉ずし」をしっかり味わいました。

中井春風堂  吉野郡吉野町吉野山545  0746-32-3043


14個入り1700円。10個入り1200円。 


吉野葛を使ったいろいろなクズ商品も・・・。


金峯山寺・蔵王堂前にある中井春風堂。


『吉野手漉き和紙の里』 探訪 ②

2007-09-19 11:07:12 | 奈良県のモノづくり探訪記
遠い親戚が約30数年前、和紙づくりをしていたことで、「紙漉き」の作業場を見たことがあった。
また、冬の吉野川の冷たい中で、白い布のようなモノ(楮の樹皮だったのだ)を洗っているのを見かけたことがある。

ということで、昨日は、吉野郡吉野町窪垣内にある「和紙の里」に、宇陀紙保存技術保持者の福西弘行さんとご子息の正行さん父子を訪ねた。

国道370号線から細い急坂をあがったところに「福西和紙本舗」があった。
庭に干し板に張り付けられた紙が並べられている様子を思い浮かべていたが・・・残念ながら軒下に板が積まれたままだった。

父子は、水で晒され綺麗になった楮(こうぞ)の樹皮のホコリや不純物をナイフでそぎ落とす「徐塵(ちりきり)」という作業中であった。根気のいる地味な仕事である。
快く迎えて頂き、作業工程と作業場を案内してもらう。

午前中に桜の樹皮で染めた紙を漉いていたとか。これは草木染めといわれるもので、紙漉き場に漉いたピンク色の紙(になる前のもの)が10cmほどの高さで積まれていた。暫くすると、松板に張り付け乾燥させるという。
漉き槽には少し赤みがかった水が溜まっていた。

作業場の壁には、昔の作業工程が写真にして掲げられている。吉野川で洗っているもの、釜で煮ているもの、漉いているものなどなど。
また、自宅の玄関の軒下には薬師寺・高田好胤管長が亡くなる半年前に書かれた扁額が掛けられ、墨書もあるという。
どういうかかわりがあったのか・・・恐らく、「紙と書」で、かなりの交友があったのだと推察するが・・・。

途中で手を止め、漉いた紙の見本を見せてもらうことに・・・・。
隣の部屋には、和紙がアチコチの棚に無造作に積まれている。
薄い桃色、薄紫色、茶色、白色、薄い紙、厚い紙などが・・・。

近年は、インテリアとして見直され、個性的に使われることが多いとか。 行灯や電気スタンドの笠としても・・・。
和紙に柿の渋を塗ると虫がつかず「柳梱(ヤナギコオリ)」に張られる人もいて、注文があるとか。何百年ももつという。
和紙は繊維が長く引っ張っても破れず、思いっきり引っ張っても千切れなかった。

壁には文部大臣、知事などの表彰状がズラリ。また、著名な方からの和紙に書かれた礼状や書・画の作品が・・・いっぱい。

さすが、各地で手漉きの実演をされているためか、説明も滑らかです。

『吉野川で楮(こうぞ)を洗って、それを煮て、叩き潰し、漉き槽の中に入れて、木糊の液を加え、スダレの上に手際よくスキ上げて、積み重ね、水を切って、1枚1枚丹念に板に張り上げて出来上がります。』・・・と。

『吉野の紙の存在が一般的に知られるようになったのは、近世徳川期に入ってからであるとか・・・。
伝記によると、「壬申の乱」で吉野に兵を挙げた、大海人皇子が国栖の里人に紙漉きと養蚕を教えたのが始まりである。』と言われている。

朝廷や寺院に納めるのに都合の良いこの地で普及したのも頷けます。 明治中期まではこのあたりは原料の楮(こうぞ)が栽培されていて、村の半数の300戸で和紙づくりが行われていたが、戦中・戦後以降、需要が減り、洋紙に圧されて、今や数軒にまで減っているという。

福西和紙本舗では、宇陀紙(国栖紙)と言われる掛け軸の総裏紙と、美栖紙(表装用中裏紙)、吉野紙(薄くてキメ細かく、美栖紙と同じ)、吉野杉皮和紙(洋風クラフトなど工芸材料などに)、草木染め和紙(原料の楮に、桜・あけび・ねむ・トマト・ヨモギ・アイ・サカキ・栗のイガなどの樹皮を炊き出して混ぜ合わせたもので、植物の色彩が好評)の4種類を造っておられという。メインは、宇陀紙(国栖紙)であるが、最近は草木染め和紙が多くなっているという。

10名ほどで紙漉き体験を希望すれば、かなえて貰えるそうだ。
桜の草木染めの名刺を頂いた。また、キズものなので、と手元にあった吉野杉皮和紙と吉野紙をカミさんは貰っていた。
毎年春に、近鉄百貨店(上本町)で、実演するという。
案内状を送付するから是非、来て欲しいと誘われていた。

宇陀紙保存技術保持者の後継者としてご子息が修業中だ。
既に、楮(こうぞ)を煮る作業を任されているとか。
煮すぎると繊維が溶けてしまうため、この作業には気をつかうという。
『かなり難しいが、もう大丈夫ですわ。』と嬉しそうに話されていた。

 「吉野・紙漉きの里」。向こうの山の手前に「吉野川」が・・・。


この地が手漉き和紙の発祥であることを示す案内看板。



楮(こうぞ)樹皮のホコリをそぎ落とす「徐塵(ちりきり)」という作業中の福西さん。


作業場の壁には作業風景の写真が・・・。


紙漉き場には、午前中に漉かれたピンク色の紙(になる前のもの)が10cmほどの高さで積まれていた。


作業場の軒下には、漉かれた紙を天日干しするための松板が立てかけられていた。


玄関の軒下には薬師寺・高田好胤管長の扁額が・・・。


各種の賞状と、礼状や作品などが・・・。


色々な種類の紙を見せて頂いた。薄緑色、薄黄色、紙の色から草木を想像するのも楽しいものだ。


福西さんが、実演の時に着られている「和紙の服」。3年間着ていてもしっかりしている。


カミさんが貰った和紙。茶色の紙は「吉野杉皮和紙」、白の紙は「宇陀紙(国栖紙)」だ。さて、何に使うか・・・楽しみだ。名刺の少しピンクがかったほうは、桜の草木染めだ。