いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

マリー・アントワネット

2006年05月08日 19時06分21秒 | 兎に角書きたいの!
 横浜そごう美術館において「マリア・テレジアとマリーアントワネット展」
(華麗なるハプスブルク家 母と娘の物語)を5月7日最終日の日に鑑賞した。
本邦初公開ということで、オーストリア・ウィーンの象徴である「聖杯」1757
年と「聖パウロの聖骨入れ」1750年が展示されこれを含めてハプスブルク家の
家宝135点が展示されていた。
 展示構成は、
  第1幕~母娘の物語がいま、はじまる
   愛娘アントワネットの将来に不安を募らせる臨終の母テレジア。1770年
   4月21日,マリー・アントワネットはベルサイュへ向けて出発。この間
   母から娘に宛てた手紙は一個の親子と変わらない書簡を送っている。
  第2幕~女帝マリア・テレジア
   ハプスブルク家最高の才女と言われた母マリア・テレジの少女時代から
   国を支配する君子までの生涯を所持品、書簡などで紹介している。
    中でも、伊万里焼の鉢などがあり特にこれらは貴重品であったことか
   ら陶器が壊れないように淵を金細工などにより囲われていることは自分
   達が見ると異様に思えるほど大切にしていた様が伺える。
  第3幕~フランス王妃マリー・アントワネット
   19歳で、王妃となったマリー・アントワネットをフランス革命により、
   「悲劇の王妃」に到るまでを展覧している。
 18世紀のヨーロッパ動乱の時代を生きた母と娘、母マリアテレジア(1717
~1780)は女帝として優れた手腕をふるい、「国母」として国民から慕われ
16人もの子をもうけその末娘として誕生したのがマリー・アントワネット
(1755-1793)は婚姻政策の一環としてフランス・ブルボン王家に嫁いだが
フランス革命によって断頭台の露と消えた悲劇の王妃である。
 母から娘・娘から母への手紙はなかなか興味のある内容で、今の庶民風に言
えば姑との問題、家風の問題、夫への対応など母親としての細かいそして用心
深い娘への心配りが、文章に滲み出ている。
 今年がマリー・アントワネット生誕250周年にあたりその記念のために
この展示会が行われたとのこと。これを機に、遠藤周作などの作品に触れるの
もまた良からずと思った次第である。

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