INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

お役所前の風景(76)

2009年03月13日 |   ┣ お役所前の風景
(つづき)
「大野城(おおのじょう)市役所前」のバス停。
西鉄とコミュニティバス「まどか号」のバス停が並んで建っている。

かつては下大利地区の「21番」の一部がここを終点としていたが、現在はひとつ先の「大野城サティ」まで延長されている。
またかつては、現在「二日市~朝倉街道~甘木~杷木」を走っている「40番」も、このバス停前の道路(県道福岡日田線、旧国道3号)を通って、博多駅、天神方面に向かっていた。
「40番」が二日市までの運行となった際、その代替として、現在の「41番」の一部が朝倉街道まで延長されたが、それもすぐに廃止となった。
この廃止により、太宰府市の水城・国分地区が「バス空白地帯」となったことで、コミュニティバス「まほろば号」の出現へとつながっていく訳だが、もし仮に「41番 朝倉街道行き」が細々とでも運行を継続していたとしたら、こういった展開にはならなかった可能性もある。
今から振り返ってみると、「41番 朝倉街道行き」の廃止が、その後の県内のコミュニティバス発展に与えた影響は実に大きかったと言えるかもしれない。

話は変わって、市役所前の西鉄のバス停の英字表記は「OHNOJYO CITY OFFICE」となっている。

「OHNOJYO」という表記に違和感があったので、公式にはどういう表記なのかを調べてみたところ、公式には「ONOJO」が用いられている。

県内の他の自治体の正式な英字表記を調べてみると、
 北九州市(きたきゅうしゅう) …KITAKYUSHU
 中央区(ちゅうおう) …CHUO
 城南区(じょうなん) …JONAN
 大川市(おおかわ) …OKAWA
 大牟田市(おおむた) …OMUTA
 大木町(おおき) …OKI
 大任町(おおとう) …OTO
 築上町(ちくじょう) …CHIKUJO
 上毛町(こうげ) …KOGE
となっている。

カナをそのままローマ字にしたときに、
 「~UU」となるときの2文字目の「U」
 「~OU」となるときの2文字目の「U」
 「~OO」となるときの2文字目の「O」
については、いずれも省略することになっているようだ。

一方で、飯塚市(いいづか)は「IIZUKA」であり、「~II」となるときの2文字目の「I」は省略しないようだ。

考えてみれば「東京」を「TOUKYOU」と書いたらやはりヘンなので、上記のような決まりはある意味合理的なのかもしれない。
23番」の「大蔵(おおぞう)」行きが、幕式の行先表示で「OZO」と表示されているのを見て「違和感がある」と書いたことがあるが、実は「正しい」表示だったということになる(おそらく製作者はそこまで意識してなさそうだが)。

でも大任が「OTO」、大木が「OKI」…など、文字数が少なくなるにつれ、「違和感」が増してくる気がする。
もし大町(おお・まち)という自治体があったとすると、「O TOWN」となる訳で、それはちょっとかわいそうだ。
「大野城市」の「ONOJO」についても、単純に読むと「おのじょ」だし、もし仮に「王野助尾市」(おうのじょおし)という市があったとしても、「ONOJO」が使われることになる…。
まあ、仮定の話をしてもしょうがないのだけど。

私もたまに、小倉北区の「到津」が、「いとうず」か「いとおず」か「いとおづ」か「いとうづ」かわからなくなるときがある。

日本語は難しい(こんな結論でいいのか?)。
(つづく)

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4 コメント

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Unknown (Tokyo Chikushi)
2009-03-12 16:20:24
40番は、仰せのとおり、3号線を通って博多駅さらに天神へと走っていましたが、それより前は、山田で左折して大橋、赤坂門方面へと走っていました。その頃は無番だったかも…
行き先も「天神」という表示ではなく、「福(天神)岡」となっていました。当時、甘木はおろか、旧筑紫郡地域からでも天神に行くことを「福岡に行く」というのが一般的でしたからね。3号線経由になってからもしばらくは、「福(博多駅・天神)岡」という表記だったような気がします。
思い出せるだけの停留所を書いてみると、
篠隈、石櫃、中牟田、山家道、天山、針摺峠、朝倉街道、石崎、東新町、二日市、六反、関屋、水城、瓦田、山田、雑餉隈営業所、銀天町、南八幡、木峠、○○(思い出せん)、井尻、大橋天神、学校下、玉川小学校前、…(不明)…、平尾、一本木、新川町、薬院大通、…(不明)…です。
別に急行の停留所を書いたわけではなく、全ての停留所を書いたつもりです。今と比べて、スカスカですね。
いつの頃からか、山田で曲がらずに3号線をまっすぐ行くようになりました。3号線が整備されて人家も交通量も増え、メインルートとなってきたからでしょう。それから山田で曲がるルートは寂れていったような気がします。(ここでいう3号線とは、今でいう旧3号線のことです。)
41番というのは、40番(二日市―杷木間)のうち原鶴温泉に立ち寄るものだけにつけられた番号かと思っていましたが、SORAMAMEさんの記述によると、「41番の一部が朝倉街道まで延長され…」とあり、ちょっと位置関係がわからないのですが…?
後半のローマ字表記についてもコメントしたいことはたくさんありますが、ここは前半だけに留めておきます。「ローマ字表記」と「仮名表記」は同じではなく、またPCとともに生まれた「ローマ字入力」も別の法則で成り立っているということでしょうか。
返信する
Unknown (soramame)
2009-03-12 17:57:39
Tokyo Chikushiさん、こんにちは。

>40番は、仰せのとおり、3号線を通って博多駅さらに天神へと走っていましたが、それより前は、山田で左折して大橋、赤坂門方面へと走っていました。

なるほど、そうなんですね。
山田から先、雑餉隈~天神は「50番」に引き継がれて、その後廃止となったという訳ですね。
それにしても朝倉街道~天神間は、大牟田線にぴったり寄り添うようなルートだったんですね。

>41番というのは、40番(二日市―杷木間)のうち原鶴温泉に立ち寄るものだけにつけられた番号かと思っていましたが、SORAMAMEさんの記述によると、「41番の一部が朝倉街道まで延長され…」とあり、ちょっと位置関係がわからないのですが…?

すみません。読み返してみると、説明が不親切でした。
「41番」とは、甘木幹線「40番」の兄弟路線の「41番」ではなく、福岡地区の「41番」(博多駅~比恵~板付~麦野~山田~雑餉隈営業所)のことです。
返信する
Unknown (Tokyo Chikushi)
2009-03-12 19:08:57
なるほど!
私の跳び跳びの記憶では、次のように思っていました。
雑餉・大橋経由から3号線経由となり40番という番号が与えられた路線と、福岡中心部からくる7番という路線が3号線内の堅粕―山田間で併走しており、7番には「麦野」経由と「金隈」経由があった。番号の並びを揃えて40番台とするためか、7番は経由ごとに分かれて41番と43番となった。そのうちに40番は、天神―博多駅間が廃止、そしてとうとう博多駅―二日市間も廃止となり、JR二日市を起点をするに至り、山田―関屋間を通して走るバスはなくなった。その後に残った二日市―杷木間の40番に41番という子分ができた、と。
40番が大幅に短縮となった時に、同時に麦野経由の41番が、北側から朝倉街道まで延びてきたということですね、一時的に。
40番が短縮される前にも、天神や博多駅を出て朝倉街道まで、という便もありましたから、それを41番に移したというような感じですね。
まるで、アメーバがいろんな方向に触手を延ばしたり、縮めたりするような図を想像してしまいます。
一つ忘れてはならないのが、昭和通から博多駅を通らずに隣保館、麦野と走り、雑餉まで行く珍系統50番ですネ。
返信する
Unknown (soramame)
2009-03-13 12:34:46
Tokyo Chikushiさん、こんにちは。

アメーバが触手を縮めた結果、現時点では福岡地区・筑紫地区それぞれに全く違う「40番」と「41番」ができてしまい、両地区は分離されてしまっているというのが現状です。
ただ、「40番」の末尾に「0」を付けた「400番」が、甘木と博多駅をバイパス、都市高速経由で結んでおり、間接的にはつながっているという感じでしょうか。

「7番」や「50番」は懐かしいですね。
過去の経緯をうかがう限りでは、「50番」が雑餉隈~大橋~天神~板付~雑餉隈と循環していた時期は、そう長くはなかったということでしょうかね。
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